新年幕開けに北陸の大きな地震。

 

被災された方にお見舞い申し上げます。

 

地震や火事の映像がテレビやネットで流れてくると、

 

身体が硬直してしまうので、直視できませんでした。

 

1995年の阪神淡路大震災、2004年の中越地震、2011年の東日本大震災で現地で被災した体験が

 

蘇ってくるのです。

 

忘れていたと思っていたのに、体に刻まれている。

 

1995年、震災直後、仕事のため始発の新幹線で新大阪から東京に戻らなければならず、

 

マネージャーに

 

「今日、いけないと思います」と連絡したら

 

「何言ってんの。新幹線動くから来てね」と言われたのを覚えています。

 

現地にしか、分からないことがあるのです。

 

2004年は、

 

私が実家に着いて、

 

マネージャーは新幹線に乗ったまま、トンネルで止まり、

 

暗い夜を過ごしました。

 

私は、現地からの電話リポートをして地域の破壊された姿を目の当たりにしました。

 

会社と連絡を取り合ったことを覚えています。

 

あの時のマネージャーは、震災対応ができる人に成長しました。

 

2004年の中越地震は電話リポートをして、地元の壊れた姿を見て愕然としました。

 

その後、半年、1年経つと報道もされなくなり、

 

避難生活を余儀なくされている人もいるのに、忘れ去られてしまう。

 

地震の復興の姿を見てもらうため、地震を風化させないために始めたのが

 

「桃米」作り。

 



米所、魚沼市で震災復興米として農業を始めました。

 

震災復興が農業の原点になっています。

 

日本は地理学的に地震多発地帯。

 

どこで起こっても不思議ではありません。

 

被災地の姿が、自分の未来であり、過去でもあります。

 

震災を体験した人は、心がざわついた時間を過ごしたと思います。

 

そして今年、元日からの地震。「明けましておめでとうございます」と言えずにいましたが、

 

出来る人は、出来ることを出来る場所ですればいいのです。

 

全国が塞ぎ込んでいたら、被災地の経済復興も進みません。

 

支援サイトが立ち上がっています

 

色々な支援の形があると思いますが、

 

遠くからできることの一つかと思います。

 

大変な時に、声をかけるのが申し訳ない。。。と思う方いらっしゃると思いますが

 

思いは伝えてくださると、力になります。

 

無言は無視だと思っています。

 

「返事は無用です」と一言添えたら、頂いた方の負担が減ります。

 

知り合いがいたら声をかけてください。


(私には要りません。お知り合いに是非!ね)

 

できることを、できる場所で淡々とする。

 

被災された方の、1日も早い日常が戻りますように。