なぜ?
大邱に???と今更ながらの質問にお答えします。
今回、大邱に行った理由。
それは、
大邱市の大邱観光名誉広報委員の任命式に出席するためだったのです。
日本と韓国の友好親善のために、大邱をアピールする大役を任命されました。
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大邱市長と記念写真です。
大邱は、広島と岡山と姉妹都市なんだそうです。
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真ん中で私の韓国語を心配そうに見ているのが、
韓国観光公社のみんなの人気者、金さん。
今回は大変お世話になりました。
コセンマナショッチョ?カムサヘヨ。
この日は大邱の一年に一度のお祭り
「薬令まつり」が開かれていて、
テープカットに出席させていただきました。
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後ろに見える門はセット。
お祭りの時にだけ作られ、雰囲気を盛り上げるために置かれています。
ドアも付いていて、セットといえど結構しっかりしていました。
ドラマ「ホジュン」をご覧になった方。
中国の漢方を使用していた朝鮮王朝で、気候風土的にあわない所があったため、
王様から「朝鮮にあった薬の使い方を作るように」と命じられ16年の歳月をかけて作ったのが
「東医宝鑑」。韓方の基礎になりました。
その様子も再現されるなど、薬の街として栄えて行った街の歴史を伝えます。
薬の市場として経済、文化の交流の場として発展して行った、大邱。
お祭りの様子もご紹介します。