大きな気づき、のお話し。

毎度のことながら、長い、です(笑)



こももさん昨日ダウンは話し合いで

割と早めに落ち着き、明日高校に

個別相談のかたちで行くことに。


そこでようやく、またひとつ

私に


『思いこみ』


があったことに気が付く。


こもも志望校は、事前の

イベントに参加することで

入試作文が免除になります。


そこで私が思いこんだのは


作文が免除になったほうが楽。


というもの。思い込み、だから

思いこんでいるって自覚もなく、

ようは


当たり前


というかたちで、反射ってくらいに

そう感じていたんだな、ってことに

こもものおかげで気付くことができた。


こももはイベント的な雰囲気が

基本好きじゃないのに、

私がそこにあまりフォーカスせずに

作文免除が本人もいいだろう、という

思い込みのままで、じゃぁ行けるときに

行っておこう、って思っていた部分が

こももの意思とずれてたんだなぁって

ことを知り、改めて、まだまだ私も

思いこみが大きいなぁと思いました。


こもも曰く、イベント参加するより、

作文書いたほうがいい、そうな。


なら別に、無理にイベントで行くことないんだよねー。

と、いうわけで明日個別相談となったわけです。


相談に行くのは、今年度の資料を貰うというのと、

月末に中学担任さんから連絡があるので

その時に中学へ必要事項を伝えるという手はずに

なっていて、そこはこももも了承したので、

その辺りの確認のために一度高校には

行っておきたいな、という私の思いがメイン。


個別相談は、本人が一緒でも私だけでも

いいそうで、当日のこももの調子次第でOKなので

明日は一緒か私ひとりかは分からないけれど、

必要なことは明日行くことで完了かな、と思っています。


そもそも、志望校に足を運んでおきたい、

というのは私の方の意思だったんだよね。

諸々確認のため、みたいな事務的要素が

大きいのに、そこに、作文がないなら楽、っていう

別要素の思いこみをごっちゃにしてたんだなって

ことも気づきました。


人は本当に気付かぬうちに、自分の思考の癖が

出ていて、フラットに物事を見られていない部分が

多いんだなあってことを改めて実感した出来事でした。



そしてもう一つ、これはまさに私自身も

同じだったなってことにようやく気付かせて

もらえたんだけど、


レクリエ―ションが好きじゃない


という真実にやっと目を向けることができました。


おうち生活を選ぶと、周囲の優しい方々は大抵


『楽しめるように』


と、いろんな方法を考えて下さいます。

遊びながら学べるように、

楽しく身につくように。


そしてそれは愛情であり、優しさであり、

とってもありがたい気持ち。


ただその『気持ち』を捉える感度が

高すぎると、


『その思いに応えなければならない』


と思ってしまう。

つまり、楽しんでもらおう、という意図に応えて


『楽しんでいる、という状態を

 表現しなければならない』


という義務が生じるように感じる。

だから、とても気を使う。


言葉を選ばずに言えば、

興味が特に無いことだったり、

親しくない人たちと一緒に何かをすることって


楽しく無い


のですよね。

少なくとも、私は。


自分が興味のあることは、誘われずとも

自らやってみたいと思うし、

なんとなく興味あるなーってことを

友人から誘ってもらったら、それは

やってみよう、と思える。


だからすべてのレクと言われるものが

イヤなわけではないけれど、なんでもかんでも

やってみるのが好き、でもない。


基本私もこももも、好奇心旺盛、ではない、

というのが本当のところ。

好き、の範囲が狭いのだと思うし、

別段それが悪いこととも思わない。

好きじゃないものを無理に好き、って

いうエネルギーを使うよりも、

好きなモノを好きって言えるほうが

私はいいなぁって思ってるから。


そんなわけで、こももが行事が苦手なのは、

そういう理由なんだよね、と、やーっと

気が付くことが出来ました。


そしてこれ、私が子どもの頃ずっと

感じていたことだな、と。

私の場合は、そこに『応える』ことを

選択していた自覚がある。


子どもらしさとはこういうもの、

こうすれは人は楽しいと思うはず、

という期待に応えることで、

その場をスムーズに過すほうが楽、だと

思っていたから、学校行事とか


楽しんでいる風


に頑張っていたなぁって記憶があるんだよね。

それが当たり前、礼節、とか思ってたから。


子どもは外で走り回るもの

子どもは遊ぶことが大好き

「遊ぶ」のが楽しいに決まってる

自然に触れることが幸せ


・・・これらが苦痛だったなぁ・・・と

私の子ども時代、学生時代の気持ちを

ようやく私自身が再確認することができた。

上記の「普通子どもは」って部分、

私はどれもそう感じなかったけど、

それを表さずに、楽しんでいる風を

演じていたのだから、そりゃ体壊すよねぇ(苦笑)


私は演じることで自分を壊すほうを

選択したけれど、こももは


「私はそれが好きではない」


という表現をする方を選んだ。


そして、その分色んな意見を受けるから

エネルギーを使うけれど、それでも

自分の思いを大事にする方を選択した。


彼女の生き方から私自身が

学ぶことだらけだな、と思う。


別に、どっちの選択が正解、なんてものはなくて、

ただ私は、自分の生き方が本当は自分にとって

心地良いものではない、と分かっていながら

その思いに気付かないフリをしていた

学生時代だったという自覚がある分、こももの

生き方から


主体性を持って生きる


ということを学ばせてもらっているんだなって思う。


人それぞれ、好きなこと、嫌いなこと、

妥協してもいいなと思うこと、

譲れないこと、みんな違うから、

自分自身の持つ価値観に気付いて、

それを素直に表しながら、意見交換

しながら生きていくことが、本来の

社会性なんだな、とこももから学んでいます。



こももとの時間がもうすぐ15年になるけれど、

それでもこうして、まだまだ私の思いこみが

あるんだなって気付く日々だから、毎日が学びです。


またひとつ、自分の思いこみの枠を外して

生きることに気づかせてくれたこももに感謝キラキラ2


私がそこに気付いたことで、こももは

いつも通り穏やかな時を過し、

こももはこももで、その部分をよりしっかりと

早く伝えることが必要だったんだなっていう

気づきを得たようで、こうしてお互い成長な

時間を一緒に過せることが幸せだなぁと思いました顔


明日は朝早くから見学に出かける予定なので

今日はゆっくり過したいと思います(*^_^*)




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