なかなかハードな感じの内容だけど
これがあって、今があるから、
しっかり書いておきます。長いよ(笑)

以前にアメンバー限定とかでは書いたり、
ちょこちょこどこかで書いたりした気もするので
重複部分が多いですが、改めて。


戦わず、争わずにいること。
全部OKな姿勢。

これは、こももが教えてくれたこと。

人と違う生活だと、
時にホントにびっくりするような
出来ごとに遭遇します。

昔々、こもも育児に関して

「この生活は
 ひきこもって、
 加害者になって
 自ら命を絶つ可能性がある。」

という主旨を伝えられたことがあります。

当時の私は、やはりその言葉に
とても怒りを感じたけれど、

「たとえそうなっても、
 我が家の責任で今の生活を
 選んでいますから。」

といったことをお伝えするという
対応をしたことがありました。

こももにはいつも、全てをそのままに
伝えて、彼女自身が受け止め受け入れ
判断することが出来るようにしていたので
彼女にもそのまま伝えました。

自分が加害者になるよ、
って言われている。
そんな事実を伝えること自体
とても動揺したし、もちろん私は
まだまだその言葉たちを
冷静に受け止められるくらいの
成長度じゃなかったもので、彼女に

「こももがいいと思う意見を
 取り入れればいい。
 大人になったときに
 こももがどう生きたかで
 どの考えが正解かの答えが出る。」

なんて発言をしました。
今思えば、この時点で
自分が正解
じゃなくちゃイヤ、って思いがあったから
相手への否定のこもった
発言になってしまってたんですよね。

でもこももは、自分のことにも関わらず、
とても冷静に

「すべては、なるようになるから。」

と伝えてくれました。
怒る事もなく、乱れることもなく、
ただ淡々と、でもしっかりと
そう伝えてくれたこもも。


私の中では、相手の発言によって

否定された

という思いがあって、そこに向けて

怒り

があったから、冷静さを欠いてしまって
いたのだと、こももの言葉で気付かされました。
他者の言葉によって、なにより自分が
自分の思いを否定していたのかもしれない。
分かってもらえない=正しくない
そんな風に感じて、自分の育児が正しくないって
思われた=だからダメ、って自分にも
ダメ出ししていたんだよね。
だから、心が揺れた。

どんなことも、それぞれの経験からの思い、というだけで。
未来予測は、自分が知っている知識、経験からの
ものであるから、本当にどこにも「正解・不正解」は
なくて、さらに、どんな結果が出たとしても、
だから○○が正しかったとか、間違ってたって
判断を下すことも必要ない。

すべては、なるように、なる

他者意見に左右されることは
自分の軸を手放してしまうことで、
自分軸が揺らぐから、怒りや不安という
感情が生まれる。

分かって。
私が正しいの。


私はそう言ってるのと
同じだったんだって気がついた。

分かって貰わなくちゃ。
私が正しいって証明しなくちゃ。

そんな風に感じていた私のエゴまで
こももは見抜いていたんだなって思う。

別に、そう思うことも怒りも不安も
ダメなこと、じゃない。

ただ、その感情に自分が
振り回されている状態は
自分が辛いし、自分の幸せから
遠ざかるだけだから、
自分のために手放して進みたい。

自分の感情がダメ、ってジャッジしていたら
それはただまた否定のループを
自分で創りだして、自分の幸せから
遠ざかっちゃうだけで、
もったいないから。

だからこももは、私が怒っていることも
不安だとか悲しいって思うことへも
別段否定も肯定もせず、ただただ
そのままに受け止めてくれていたんだなって
今は思います。

当時も自分では冷静に、ジャッジせずにいる
つもりでも、まだまだ出来てないんだなって
ことをその時にこももから学びました。


本当に自分の行動に納得していたら
周囲がどう思い、発言したとしても
それは自分を否定されたのでも
汚されたのでもなく、ただ、そう考える
人もいる、というだけ。

だからこももは、相手の考えも、
ただ「ひとつの考え」として見て、
そこに怒りや不安を感じることもないし、
否定することも無かった。

それは我慢することでも、
自分を曲げることでもまたなくて。

意見が違う、という事実なだけ。
意見が違うから、無理に
合わせる必要はないし、
無理に相手を変えさせる必要はない。

相手に媚びへつらう必要もないし、
分かってって戦う必要もない。

ただ自分は、自分が生きたいと
思う今を、大切に生きる、という
姿勢を表現することが、
自分のやることであり、
自分の幸せを選ぶこと。

そして、それを表現することが
愛を表す、ということ。


私の中では、この出来ごとはかなり
大きかったです。
同時に、こももの言う

『覚悟』

の意味をより深く見せつけられた時でもありました。
そして、自身を顧みることができた経験。

それはその経験をさせてくれた相手があったからこそ。


すべてはなるようになる。

今こうして、当時より穏やかで
いられるのは、そんな経験をさせてくれた
相手がいたからであり、
その経験を知恵に変えていけるように
導いてくれたこももがいたから。

やっぱり、私ひとりでは、進めなかったんだなって思う。

だからといって、今の育児が、こももを
ひきこもらせるためでも、
加害者にさせるためでも、
命を放棄ささせるためでも、
もちろん、無い。

でもそれは、私とこももが、分かっていればいいこと。
他者理解があっても、無くても、何一つ
その思いは変わることはない。

こももが、こももの人生を幸せに生きるために
私と、こももが、選んだ道。
そしてそれはまた、他者へ押しつけるものでも、
理解させるものでもない。

ただそうある、というだけ。


明日の冬至を前に、自分の軸をしっかり
持つために、ちゃんと整理しておこうと
思って書いてみました。

きっとこれからも、私が迷ったり、
ぶれたりしたら、こももがそっと
軌道修正をしてくれるんだと思う。

だからなるべく、私がフラフラしないように(笑)
こももの手を煩わせず、一緒に楽しんで
進んでいけるように、しっかり立とう。

こももに、そして経験すべてに、
感謝。