死因究明制度の崩壊 | 豆太郎のブログ

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昨日放映された,テレビ朝日系の報道番組『ザ・スクープ』で、今月28日、鳥取の連続不審死事件で渦中の女が、強盗殺人容疑で逮捕された事件を例に、以前日記にも書いた日本の死因究明制度の不備を追及する内容が放映されていました。

もう一度おさらいになりますが、日本では病院等の医療機関で死亡した人以外は、その遺体を警察が検視する事に法律上なっています。その検視によって事件性がある場合は司法解剖がなされて死因の究明を行い、犯罪捜査も始まる訳ですが、事件性がないと判断された遺体は大方が死因の究明をされずに荼毘に付されてしまうのが今の日本の現状です。下の記事を見てください。
2009年に全国の警察が取り扱った遺体は前年比0.6%減の16万858体で、このうち、事件性などを判断する検視官(刑事調査官)が現場に出動して調べた遺体(臨場数)は、43.4%増の3万2676体と過去最多になった.。一方、司法解剖や行政解剖された遺体は1万6184体で3.0%の微増。総数に占める解剖率も10.1%で0.4ポイントの小幅上昇にとどまった。(2010/01/28-10:18)

私が書いた事と矛盾する内容になっているのにお気付きですか。

警察が扱った遺体が16万858体。これに対して検視官が現場に出て検視した遺体数は3万2676体。残りの遺体の検視はどうしたの?と思いますよね。実は残りの遺体は現場に出て行った警察官(必ずしも遺体検分の知識があるとは限らない)が判断しているのです。ある意味、遺体を見慣れていないような平和な府県の警察だと、犯罪性があっても見逃す可能性は否定出来ません。しかも解剖され、法的に死因が究明されたのは3万2676体の中で1万6184体。全遺体数の約10%に過ぎないのです。それでも冤罪が起きてしまうのも怖い話ですが、仮に16万858体全てを検視官が検視出来たとしたら、今の統計数を元に試算しても約6万遺体になり、一見すると犯罪性がないと思われていたものが、実は犯罪性があったと判明する確率も当然ながら大きくなるでしょう。

要するに殺人を犯しながら、それが事故や自殺と警察が断定したが為に見逃され、犯人はのうのうと市民の中で生活をして居るという話しになります。

どうしてこんな話しになるかというと、検視官自体の総数が全国で196人(2008年までは190人)しか居ないからです。今年は増員されて20人増えるので、史上初めて200人を越えて216人になる予定です。ということはですが、196人の検視官で3万2676体の遺体を昨年は検視したとの事ですから、1人あたりの検視数は約1667体という計算になります。これを1日に換算すると約4.5体。検視官は県警本部などに居ますので、県下へ要請があって臨場して検視するとしても、テレビドラマCSIのようにはいかないことが想像出来ると思います。もしも16万858体全てを検視したら、検視官1人あたり8207体にもなり、1日あたり約22.5体も検視する事になりますから、物理的にそれは不可能ということが判ると思います。

番組で扱われた鳥取県の事件に関して、鳥取県警に配属されている検視官は2名だそうです。この数は特に少ない訳ではなく大半の自治体警察はこの程度の人数しか検視官の定員がないのが現状です。

さらに深刻なのが、司法解剖を行う専門医の不足です。司法解剖は大学医学部に設けられている法医学教室などで、法医学の専門知識を得た医師(大抵は教授や准教授)によって行われます。全国でこの資格を持つ医師は184人(警察庁が資料で公表している鑑定嘱託医数は132人)しかいません。しかも大学に対する国の助成金の削減が続く中で、教室の運営経費が危機的状況に置かれています。国公立大では、平成10年度から20年度までの10年間で、年度予算は3,571千円から1,909千円に削減され続け。10年前の47%になってしまっています。そのため医学部での教員の定数を減らす傾向が強り、法医学教室も例外とはされず、教員数は減少傾向にあります。(現在既に18人減)法医学を目指す医師が将来就職出来る場が狭まる現状を知る医学生は、当然法医学を目指さず、人材の確保育成すら危機的状況に陥ってるのが現状です。

その上、この法医学教室への解剖依頼には、行政解剖においても行われるので、その負担が重くのし掛かります。行政解剖については、実は各地方自治体が監察医制度を運用して、独自に解剖を行うべきものが、予算措置などの都合で行われずにきてしまったしわ寄せともいえるものです。現状は非常にお寒い限りなのです。例えば、2007年度に行われた司法解剖数は6,446体、行政解剖数は1,263体となっています。

(この日本法医学会のレポートを是非ご一読ください)

日本は先進国の中でも殺人事件が少ない安全な国とされてきましたが、実際は死因究明制度の不備により、本来殺人事件であるものが見逃され表面化しないために、統計上は殺人事件が少ないという話しであるとしたら、国民に信じられてきた安全な国は既に崩壊してることになります。しかもその原因は行政の怠慢という話しになるのです。そしてその理由が予算が掛かりすぎるからであるのだとしたら、日本国憲法にいう、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」(第25条【生存権、国の生存権保障義務】)点に違反してると言わざる得ないという気がします。何故なら、遺体の死因究明は何も犯罪の実証にのみ寄与するのではなくて、医学的な死因を究明することで、国民への健康指導や特定疾患への医療の取り組み強化などいった行政の指針となる訳ですから、元来国民福祉の観点からも取り組むべき問題なのです。

先進国の大半は、こういう視点で死因究明制度を運用しているというのを、日本の行政も政治も見て見ぬふりをしてきたのは、其処に正義という利権にも票にもつながらないが、予算だけは喰うという不利益を先に見ていたからでしょう。

では、どう解決するかですが、無論予算的な措置の裏付け無しには行えませんが、これをややこしくしているのが、検視も含めて死因究明制度の所管官庁が、警察庁、文科省(大学を所管しているので)、厚労省(医師法などを所管)、総務省(自治体行政も関係する)と多岐にわたってしまっているからです。いわゆる縦割り行政の弊害が出て来ていると言えるでしょう。

法医学会では、全国の自治体毎に『死因究明医療センター』の設立を提案しています。法医学者や法務医の受け皿となる機関です。警察の所管ではなくこれは厚労省や総務省の縄張りにする部門です。現在東京や大阪・神戸にある監察医務院の拡充と全国への拡大という話です。学会側は警察などの司法当局とは一線を画した独立した研究機関としての存在を模索しているようです。死因の究明が医学の進歩や医療行政の

警察側は検視官の大量増員が必要です。少なくても今の10倍は必要でしょう。

検視官の半分は、医師免許の取得者とする技官採用枠を設けて処遇も一種採用に准ずるべきです。それで医学部法医学専攻学生の受け皿をまずは用意出来ますから。採用時警部補で現場経験を積んで警視。最終警視監まで進める制度にすべきです。もちろん全員が国家公務員で検視官は警察庁から全国の警察に派遣される形を取るべきです。

残りの半分は警察官出身者を抜擢して警視とした者。どうしてそういう制度が必要かと言えば、犯罪現場での捜査に関する経験と知識が検視に関しても必要だから。ただ死因が判明しただけでは犯罪捜査は終わりません。犯人の特定に結びつく捜査のための資料を提供する、検視も捜査の一貫であるという観点から言えば必要なのです。

本当に日本の行政は必要な所に金を掛けず、利権や利鞘のあるところに湯水の如く金を回すという野放図な事をやり続けてきました。民主党政権が『モノから人へ』という予算策定の視点を持つのなら、人を育てるという観点を是非にも持って欲しいと思いますね。