アメリカで一人、ベンゾと闘っている女性がいます。

一人と書きましたが、ご主人(ドイツ人)と娘さんが一人います。

しかし、よくあるパターンで、どちらも現在の彼女の状態をまったく理解せず、したがって、家庭内でも孤立しています。それどころか、何もできない妻、子どもの世話もできない母親として、さらなる窮地に立たされています。

つらくて、寂しくて、焦燥感に駆り立てられ、眠れず、さまざまな症状に苦しんでいます。

現在、何よりつらいのは、唾が止まらないこと。喉の筋肉の不随意運動。耳が聞こえにくいこと、目のまぶしさ、見えにくさ。

 

不眠・不安からレキソタン処方

きっかけは今から13年ほど前のことです。まだ日本にいる頃、出産を機に不眠、うつ的になり、受診したところ、ベンゾジアゼピンのレキソタンを処方されました。

レキソタン5㎎を、多い時で5錠(通常は4錠)という、量としてもかなり多い処方です。

しかし、医師は延々とレキソタンを処方し続けました。なんと8年も。

 

ご主人とは日本で結婚しましたが、仕事の関係上、渡米することになりました。今から5年ほど前のことです。主治医にも渡米については伝えたのです。しかし、アメリカに行く1カ月ほど前から主治医は姿を見せず、他の医師が彼女を診察しました。そして、渡米にあたり、レキソタンを多めに処方してもらっていたのです。

そして離日。しばらくは多めに持ってきたレキソタンが手元にありました。

しかし、それも底をつき、彼女はレキソタンを手に入れるため精神科を受診。

ところがです。アメリカではレキソタン(ブロマゼパム)はすでに使うことができない薬だったのです。したがって受診してもレキソタンは処方されませんでした。

 

一気断薬

突然の断薬です。

当然のことながら、すさまじい離脱症状が彼女を襲いました。

日本の医師は彼女が渡米することを知りながら、レキソタンについて、ベンゾの離脱症状について、一切説明してくれませんでした。それどころか、逃げるように、彼女の診察をパスし続けたのです。処方量が多かったこと(添付文書では、15㎎が限度となっていますが、彼女の場合20~25㎎の処方でしたから)、その事実から逃げたのかもしれません。

いずれにしても、患者の命がかかっている状況であるにもかかわらず、ベンゾのことを知っているのか、知らないのか……知っていてそうしたのならあまりに無責任。知らないとしたら、医師としてあまりに無知としか言いようがありません。

しかし、彼女自身、この時点においてはまだベンゾについての知識はなく、ひたすら症状に振り回されるだけでした。

やむなく、一時帰国。飛行機に乗るのもかなりしんどい状態でしたが、ともかく命からがら日本に帰ってきました。そして、唯一の肉親である妹さんを頼ったのですが、帰国した途端、自殺未遂をしてしまいます。

本人は何が何だかわからないまま、衝動的にやってしまったと言いますが、おそらくベンゾの離脱症状でしょう。

自殺未遂の後、精神科に3カ月ほど入院し、病名が双極性障害になりました。自殺未遂をすると双極性を疑われるようです。もちろん薬物治療もそれに沿ったものに変更となり、リチウムやらメジャーやら、いろいろな薬が処方されました。

退院はしたものの、自殺未遂をしたために妹さんは彼女に縁切りを通告。仕方なく、彼女は再びアメリカに戻りました。

 

ベンゾの仕業

じつは彼女が暮らしているのはアメリカでもかなり田舎の地域で、精神科医を探すのも苦労するほどと言います。ようやく見つけても初診は受け付けない。仕方なくリモートでニューヨークの医師に診察してもらい、それで双極性障害の薬を処方してもらっていました。

その頃から線維筋痛症のような痛み、喉の違和感、唾液過多の症状が出ていたと言います。

そして、「死にたい、死にたい」――その思いが消えず、それが「自殺予防センター」に通知されてしまいました。すると、ある日、突然男の人がやってきて、手錠をかけられ、センターに強制送還されたと言います。

アメリカでは自殺をさせないために、手錠を使うようですが、それが彼女には今でも大きなトラウマになっています。センターでの扱いも、かなりひどいものだったと言いますから、このあたりの様子は日本の精神病院とあまり変わらないのかもしれません。

ともかく、薬に振り回されながら、なんとか生き延びて、家に戻りました。その時もまだこの状態が「ベンゾの仕業」とはわかっていませんでしたが、ドイツ人のご主人の母親に会った時、「ドイツではその手の薬は4週間以上は処方しない」と言われ、ようやくベンゾを疑うことになったと言います。

それから必死になってネットで検索し、ようやく、日本でベンゾについて発信を続けている男性にたどり着き、「ベンゾの仕業」を確信します。

それからは、レキソタンを等価換算したセルシンに置き換え、服薬しましたが、レキソタンの力価はかなり高く、セルシンにした場合、レキソタン(5㎎×4錠としたら)20mgで、レキソタンはジアゼパム5㎎と等価換算値(2.5)ですから、ジアゼパム(セルシン)40㎎となります。2㎎のセルシン錠なら20錠飲まなくてはなりません。(彼女はジアゼパム40錠だったと言っていますが、このあたりの状況は少し不明です)。

ともかく「ベンゾに仕業」とわかって、セルシンを飲み始めましたが、状態は一向によくなりません。それでも、この3年で40㎎からセルシン5㎎まで減薬しました。

 昨年は調子がよかったと言います。

 しかし、今年の3月くらいから、ガクンと体調が悪くなり、どうにもならない状況に陥りました。

異国の地で孤独なこと。家族がまったく理解してくれないこと。言葉の壁もあります。もちろん日常会話はできますが、例えばカウンセラーにこの複雑な症状をどう伝えればいいのか、英語に一度翻訳しなおすのはかなりの精神力がいりますが、この状態ではそのこと自体がかなりのストレスになります。

「この世から消えたい。つらさを訴えると、家族はまたかという感じです。アメリカで孤独で、不安で不安で。でも、私がこんな感じなので、友人も去って行ってしまいます。メールをしてもだんだん返事も来なくなりました」

 

 唾液過多の症状は、寝たきりの状態で、口元にタオルを当ててもどんどん出てきて、日に5枚ほどタオルがびしょ濡れになると言います。喉の不随意運動もつらい、耳が聞こえなくなるのも不安。

 ベンゾの離脱症状なのか、それとも現在飲み続けているベンゾの副作用なのか?

 彼女は現在服薬しているセルシン5㎎を減薬することにしました。アシュトンマニュアルを参考に。2週間ごとに0.5㎎ずつ。

しかし、一度の減薬だけで、いま行き詰っています。

状態は最悪。

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朝が来るのが怖いです。寝れないのに明るくなる。夜は薬が効いて少し落ち着きます。このまま目が開かなかったらいいのに。

 

今日も朝から希死念慮がひどいです。何か衝動的な力があるんです。自分でも怖いです。昨日は娘にもし私に何かあった時は強く生きてほしいって言っておきました。

 

なんでこんなに希死念慮が起こるのかわかりません。スーパーで30分ほど、ギリギリ歩けました。これは以前、日本から帰ってきた時と同じ感じです。その時はNGOの施設で二、三日過ごしました。でも結局そこで見張られているだけで二、三日したら出される場所です。結局誰も助けにはならないんです。自分が立ち直らないと。今特に主人がいなくて。行く前にキャンセルして欲しいって頼んだんですけど、事の重要性がわからない人なんです。娘もまたかって感じです。今少し落ち着きました。すみません。

 

うちの娘はバレエが好きです。でも八月からは私が送っていけないのでやめることになりました。かわいそうで。泣けて仕方がありませんでした。母親失格ですね。あの医者が憎いです。今頃になってベンゾの長期服薬はどうのとか言っていますが、じゃそれまでの被害者はどうするんですか。廃人にされて。運が悪かったといえばそうですが。悔しくて。悲しくて。

 

☆☆☆☆☆

彼女はとにかく、理解してほしい。この理不尽な状態を吐き出したい。一方通行でもいいので、書かせてほしいと、私に日に何度もメールを送ってきます(FBのメッセンジャーで)。

どうかこのブログでもコメント欄を使って、彼女にメッセージをいただけたらと思います。

喉の不随意運動、ジスキネジアの経験のある人、唾液過多の経験のある人、経過を教えていただければ、彼女も少し安心できるかもしれません。

異国の地で、自分の死を見つめながら、孤独に戦っています。

どうかよろしくお願いします。