今日は医療保護入院における被害の体験談をお伝えします。最近、この種の被害の話が立てつづけに届いています。

 

市職員が市民を精神科病院に運ぶ

 2016年のこと。

 A子さん(42歳)は、近所に住む天涯孤独の60代の女性の生活が心配だった。そこで市役所と交渉し、何とか生活保護が受けられないものかと考えた。

A子さんは何度か市役所を訪れ、職員にいろいろ相談をしていた。しかし、市役所の職員はまったくA子さんの話にとりあってくれない。それどころか迷惑そうな態度をとったり、露骨に嫌な顔をしたり……。

ある日も、当人である女性を連れてA子さんは市役所を訪れた。いつものように職員はA子さんたち二人を迷惑そうな顔で出迎えた。

A子さんが彼女に代わって生活の苦しさを訴え、何とか生活保護を受けることはできないかと話していると、職員が女性に対してとても失礼な言葉を吐いた。それを聞いたA子さんは、一瞬頭にきて、職員の前のテーブルをドンと叩いてしまったのだ。その拍子にボールペンが飛び、職員の手に当たった。

しかし、何もケガをするような当たり方ではない。にもかかわらず、職員は110番通報をした。

やってきた警察官にA子さんは事情を説明し、その日はそれで収まった。

その3日後、A子さんのもとに市役所の市民課から電話がかかってきた。

「ちょっと、こちらに来てもらえないか」

 とのことだったので、A子さんは家が市役所の近くということもあり、サンダル履きで気軽な気持ちで、もしかしたら、女性の生活保護の話がうまくいくのかもしれないとかすかな期待を抱きながら、出かけていった。

 しかし、やってきたA子さんに市民課の職員はこう言った。

「〇〇さん、ちょっと様子がおかしいと思うので、病院に行ってくれないか」

 

通院歴

 じつは、A子さんはその時点で精神科に通院していた。6年ほど前に夫との関係に悩み、眠れなくなったため受診したのがきっかけで、不眠症から始まった治療は、あっという間に薬が増え、病名もどんどん変わっていった。

そして2016年当時、A子さんに付けられていた病名は「統合失調症」だった。不眠症から統合失調症に病名が変わっていたのだ。

市役所にやってきたA子さんに職員が言うには、すでに通院先のクリニックの主治医にも連絡をとっているとのことで、「その先生もそうしたほうがいいと言っている。ぜひ病院に行ってくれませんか」

しかし、着の身着のままで出かけてきたA子さんは、「忙しいから」といったんは断った。当然だろう。それでも粘る職員。

職員は「〇〇さんがまともだと証明したいので、病院に行って診察を受けてくれ」というようなことも言った。

「用事がある」とA子さんが言うと、「なら、そこまで送っていく」と職員。「夕方までには帰れるはず」とも。

 根負けしてA子さんは職員に言われるまま、車に乗った。

 用意してあったのは、市役所の車ではなく、職員個人の自家用車だった。前の座席に車の持ち主である職員(運転手)と助手席に一人の職員。後部座席にA子さんともう一人の職員が乗り込んだ。

車は長距離を走り、着いた病院は県外の、A子さんが一度も行ったことのない病院だった。

 職員とともに診察室に入ると、一人の医者が仁王立ちで待っていた。その異様な雰囲気にびっくりし、思わずA子さんは大きな声を出した。すると、即、看護師に押さえつけられ、有無を言わせず注射が打たれた。

A子さんはそのまま意識をなくし、気が付けば保護室に。そこで4日間過ごし、その後、閉鎖病棟に移されて、退院できたのは3か月後のことだった。

 

身寄りのなさ

 じつはA子さんはそのころすでに離婚しており、両親もすでに亡く、妹がいたがほとんど付き合いがないため、「身寄りなし」の状態だった。したがって、医療保護入院の同意は「市長」が行い、市長の押印のある書類をA子さんは見せられた。

また、医療保護入院には一人の精神保健指定医の判定が必要だが、それは通院中の主治医がその役割を果たした。医療保護入院が相当であるとする意見書が、入院時すでに病院に提出されていた。

 市役所が3日後にA子さんに連絡してきたのは、こうした準備のために3日間を要したということなのだろう。

 A子さんは入院中は、これまで飲んだことのないジプレキサが大量に処方され、副作用に苦しんだ。まっすぐ歩くこともできず、なんと3カ月で20㎏太った。

退院の条件は服薬を継続することというものだった。したがって、入院によって増えた薬はその後も継続して飲まざるを得なかった。

のちにジプレキサはエビリファイに変えてもらったが、その他、ドグマチール、デパス、ハルシオン、抗うつ薬(名前はわからない)、それとベゲタミン(赤玉)を飲み続けた。

 

じつはその病院にはA子さんのほかにも、A子さんとは別の市役所によって病院に運ばれ、入院をしている女性がいたという。生活保護の人で、金額について苦情(文句)を言ったため、入れられたと本人が言っていた。その市役所では「文句を言う人は病院に入ってもらいます」と市役所の職員は豪語していたとA子さんは聞いている。

 

 A子さんは入院の前、通院先の主治医と一度もめたことがあった。飲んでいる薬についてA子さんが突っ込んだ質問をしたところ、医師がひどく腹を立てたというのだ。

「だから、きっとそのことを根にもっていた主治医が、市役所から相談を受けたとき、すぐに私の医療保護入院を承諾したのではないかと思います」とA子さん。

 また、A子さんについたケースワーカーにもかなり問題があった。何しろ意地が悪い、人を見下す……。

「退院はグループホーム入所が条件ですからね」と冷たく言い放たれたとA子さんはそのときのケースワーカーの目つきが忘れられないと言う。

グループホームへの入所はA子さんが頑強に拒んだため実現することはなかったが、こうした市が関わる医療保護入院の場合、退院後も「自由」にさせないやり方が「通常」のやり方のようだ。

 以前、このブログに取手市役所による医療保護入院の被害事例を書いたが、そこでも退院後はグループホーム(しかも県外)への入居を条件にされていた。

 

 それにしても、市役所の職員が自家用車で一市民を精神科病院まで運ぶ(移送)のは、法的にどうなのか?

 もちろん、厳密に言えば、医療保護入院の手続きとして、正しい手順を踏んでいない。

 しかし、市の言い分としては、(実際本人にも言っているように)「あなたが正常であることを証明するために」、親切心で病院に連れて行ってあげる、というものだろう。本人は嫌がっていない、同意している。拉致したわけではないと。

 身寄りのない者は、たとえこのような形で医療保護入院となっても、「苦情を申し立てる者」がいないため、市としては実行しやすい。

 行政がその気になって、精神科医がその気になれば、病人に仕立てることも、入院させることもいとも簡単なのだ。

これは、行政が医療保護入院を悪用しているといっても過言ではないだろう。旧ソ連における、反革命分子とみなされた人々を強制収容所送りにした『収容所群島』(ソルジェニーツィン)そのもののことが、この日本においても、決してレアなケースというわけでもなく、行われているということだ。

いみじくも他の市役所から送られてきた女性が言っていたように「文句を言う市民」は精神科病院に入れてしまえ、なのだ。排除したいものを合理的に排除できる精神科病院は、まことに便利な装置といえる。

 

断薬、そして離脱症状の日々

 ちなみにA子さんは2年ほど前、それまで8年ほど飲み続けた薬を、ネットの情報などから、やめる決意をした。上記の薬を3カ月ほどで断薬し、現在は何も飲んでいない。が、離脱症状はすさまじいものがあり、外出もできないほどの状態だという。

「2年経っても楽になっていきません。かえってひどくなっている感じさえします。手足のしびれがひどくて、本当にこのままよくなるのかどうか、不安で不安でたまりません」

 断薬をして、離脱症状を抱えているとは言うものの、A子さんの「統合失調症」は今ではすっかり姿を消している。

 ということは、そもそもが精神科の不適切な治療から始まったことかもしれない。統合失調症という病名がついていたことで、市としては医療保護入院にさせやすかった。病院も受け入れやすかったと言える。

 その意味で精神医療そのものが「ダメ」なのだ。薬漬け医療の主治医も、受け入れた病院も。そして、それらを医療として「利用」しようとする市役所の職員に見る精神疾患へのステレオタイプの偏見や対応。それを逆手に取る入院制度の悪用。

この人権意識の低さの背景には何があるのだろう。

常々考えているが、まだわからない。

 

入院時のことをA子さんはこんなふうに回想している。

「早く退院したい一心で、従順さを装い小芝居をしていた90日間だったが、そうして退院に漕ぎ着けるか、またはほんとうに狂ってしまうかのどちらかだった。

薬を強制的に飲まされ、口の中まで調べられて、受けた恐怖心と体へのダメージは癒える日がくるとは思えない。

これを医療だ、医学だ、治療だというのは、無理がある。」