昨日9日は、石郷岡病院事件――患者への暴行、傷害致死を問う裁判の控訴審が東京高等裁判所で開かれ、傍聴してきました。

 しかし、昨日の時点で裁判の進展はほとんどなく、次回の公判で証人尋問などが行われる予定。629日にはもっと踏み込んだ審理になるものと思います。

 職員による患者への暴力。とくに精神科の場合、患者が「暴れる」ので、「抑えなければならい」、それは「避けられない(医療)行為」という認識が医療関係者のみならず、一般の人のあいだにも広まっています。

 患者が暴れる―→暴れるのは精神疾患だから―→精神疾患なので、何をするか予想がつかず、他害自傷を防ぐため、抑制は当然―→そこに多少の行き過ぎがあったとしても(精神疾患なので)仕方がない。

 こういう構図ができあがっています。

 この成り行きを見ると、患者の暴力の原因はすべて「精神疾患者である患者、個人に帰結する」わけです。

 しかし、本当にそうでしょうか。

 そこに薬の影響はないでしょうか。

 あるいは、看護師のやり方のまずさはないでしょうか。挑発的だったり、命令的であったり、非人道的であったり。

 さらに、環境的な問題は関係しないでしょうか。閉鎖病棟が人に与える影響は? 個が守られる十分なスペースが保たれているかどうか? プライバシーは守られているか?

 

医療の場で起こる暴力や攻撃性に対して適切に介入する方法として「包括的暴力防止プログラム(CVPPP)」というものがあります。2004年くらいから養成講座が始まっています。

その中で言われていることですが、精神科病棟における暴力の要因の6割は、スタッフ要因と病棟環境要因だそうです。したがって、本人要因は4割です。

患者の暴力の原因の6割が本人以外のもの。

しかし、私は、本人要因の4割の中には、「薬の影響」がかなりあるのではないかと思います。攻撃性、衝動性が亢進するのは、向精神薬の特徴でもあります。

そして、やはり多い要因は「スタッフ要因」ではないでしょうか。

人権意識の低い職員(というよりその病院がもっている一種の雰囲気のようなもの)によって日頃から「人間扱い」をされていない患者は、いったいどのような思いを抱くようになるでしょう。敵意、反発、攻撃性(というより反撃)、そのような感情を抱くのは、ある意味ごく自然なことです。

さらに拘束されたり、人中で「恥」をかかされたり(オムツ姿のまま放置、お尻に注射をする等々)、「人間性」をはぎ取られるような行為をされるわけです。

これに対する「抗議」の行為が「暴力」と認定され、さらなる拘束、さらなる投薬につながっていく。

患者の「暴力」とされる行為は、多くの場合「抵抗」にすぎないはずですが、精神科ではそれは通用しないのです。降りかかった火の粉を払ったら「暴力」とみなされる。

正直、こんな恐ろしい場所はありません。

この仕組みに気づいたある人は、入院中は決して「反抗」せず、職員に盾突かず、「模範囚」を演じたと言います。

まさに牢獄なのです。

いや、牢獄のほうがまだ理にかなっているのかもしれません。なぜなら囚人は「裁判」を経て、そこにいるわけですから、一応弁明の場は与えられています。しかし、精神科病院の患者となると、それさえないのです。

以前、ある女性が事件を起こし、刑事事件に問われるかわりに精神科病院への入院を命じられました。その女性と電話で話したことがあるのですが、彼女はこう言っていました。きちんと裁判を受け、刑務所に入る方がどれほどいいか。院長の陰湿ないじめ、懲罰的な隔離室の利用、投薬のやり方、心理的な追い込み……。本当に、罪人となって刑務所に入ったほうがどれほど「人間性」が守られたか……。

精神科病院には「逃げ場」がありません。訴えても「被害妄想」で終わる可能性が高い。「抵抗」したら「暴力的」な患者として、それを制圧するために「暴行」されるのです。しかし、それは「医療行為」。

 

石郷岡病院の事件について最近いろいろ調べています。

精神科病院における事件(暴行を受けたなど)、体験された方がいましたら、メールでお知らせください。

kakosan3@gmail.com