はじめてメールいたします。TNと申します。


最近、かこさんのブログを見つけまして、時間のある時、過去にさかのぼって見させていただいています。

多剤大量処方についてのケースが多いようですが、私の場合、そこまで多くなくても、(私としては)精神医療によって大切なものを沢山失いました。
 現在、断薬6ヶ月目です。

 一方、夫は多剤大量処方の被害者です。6年ほど前に断薬に成功しましたが、未だ後遺症のようなものに苦しめられています。
私は7年、夫は13年以上精神医療に関わりましたが、自分を見つめ直すきっかけを得られたことが唯一の得たもののような気がします。
 前置きが長くなりましたが、私のようなケースも、かこさんの参考になればと思い、メールいたしました。以下、体験談記載します。




年齢:33歳、性別:女

・成育歴

もともと気性は荒く、気分に波はある方ですが(父、祖父共に大声をあげて怒鳴る人だったので、それが普通だと思ってました)、いわゆる優等生で、学級委員等はやっていましたが、おとなしい方だと思います。
母は学歴重視、大企業好きの典型的な教育ママです(今でもそのような話ばかりなので、多少苦しめられています)。


いじめられることなく、不登校や休みがちになることもなく、むしろ小学生の頃から習い事に追われる毎日を送っていました。友達も人並みにいたかと思います。
公立中学-→私立高校-→東京理科大学卒-→東大大学院修士修了。




・最初に精神科を受診したきっかけ

2001年頃。19歳。

大学時代、やりたことが分からず、保健室で気分がふさぎ込むことを相談して、心療内科を勧められる。Kメンタルクリニックに受診。
不安神経症と診断される。薬(名前は覚えていない)を処方され、飲んでみたが、気持ち悪くなって飲まず。それきり通わなくなる。

・その後

2002年頃。20歳。
今の夫と出会い、夫の診察に付き合ううちに、自分も診察を受ける。

当時、夫は同じ大学の1年先輩で、音楽系のサークルで知り合ったのだが、薬漬けで、ほとんど引きこもり、昼夜逆転生活を送っており、自分もその生活に付き合っているうちに、精神的に不安定になるようになった。

N医院に受診。

デパスを処方され、気分が落ち込むときだけ飲む。医師には共依存だから、夫と別れるように勧められる。その後、何回か受診したが、夫のデパスを飲めば事足りるため、私自身は受診しなくなった。

うつ状態で抗うつ薬3剤処方―→躁転

・2007年秋頃。25歳のとき(社会人2年目)。

 大手自動車メーカーに入社し、1年程の実習を経て、正式配属(機械の設計開発職)。
今から思えばおそらくストレスのため、偏頭痛やめまい、手荒れがひどくなり、体重が10kgくらい減り、涙が止まらなくなる。
 会社の診療所で、心療内科の受診を勧められ、受診。
 Hメンタルクリニック。うつ状態と診断され、休職する。

トリプタノール(←これで頭痛が治ると言われた)、パキシル、アモキサン、マイスリーを処方される。

涙は止まり、元気になったと思って、復職。


この頃から、同棲していた夫に当たり散らしたり、物を投げたり。


会社でも、直属の上司を飛び越えて専務に改善提案などをするようになる(今思えばおかしいです)。
病気になったのは、会社のせい、職場環境が悪いんだと思い込み、大手IT企業に転職。

・2008年5月、転職に伴い、病院に通えなくなったので、T内科・心療内科に転院。

パキシルがジェイゾロフトに変更(25mgから100mgに徐々に増やす)、マイスリー、トリプタノールを処方される。

当時は自分でおかしいと思っていなかったが、上記攻撃性に加えて、金遣いが荒くなり(エステに100万円以上)、男遊びが激しくなる(夫とは婚約中の身).

認知行動療法も受けたが、そもそも自分の考え方がおかしいとはみじんも思っていないので、効果はなかった。
自分がすべて正しいと思い込み、人間関係も上手くいかず、やがて休みがちになり、退職勧奨にあう。


度重なる転職

・2009年、特許事務所に転職、その後結婚。
夫が結婚直前に薬を全部止めたのを機に、自分も減薬に取りかかる(医師も同意)。
ジェイゾロフト25mgから、その半錠、一日おきにして、2011年春頃断薬成功

トライアスロンを始める(といっても、あまり練習には行っていなかった).

離脱症状は特になかったが、徐々に人間関係が上手くいかなくなる。

あまりにひどいので思い出したくないし、そもそも記憶も曖昧なのですが、よく自分と比較されていた女の人に攻撃のメールを送ったり、その人の成果物データをすべて消して会社中大騒ぎになったり。
その後、群発頭痛を発症し、たびたび仕事が出来なくなる。

そんななか、所長から会社を一旦辞めて、弁理士試験に集中したらどうだと退職を勧められる。

それを断ると、今度は技術部から翻訳チームへ異動を勧められ、今まで担当していた仕事を外される。
外されたことを一方的に恨むようになり、そのことを進めたであろう女の先輩に攻撃的なメールを送りつけたり、最終的には熱いコーヒーを2杯ぶっかけて、その日のうちに、会社を辞めることになりました。

これらの状況をその当時は、再発したんだ、薬がないと私はやっていけないんだ、と思っていました。(今思えば、離脱症状なのかなと思います)。2011年11月退職。

・2011年12月、自殺未遂(ちなみに、これ以前に死にたいと思ったことは一度もない)。

すでに転職を2回していることもあり、人生終わったと思い込み、しまい込んでいたトリプタノールなどをOD。リストカットして、風呂に沈んでいるところを、なにかおかしいと感じた夫が早退して帰ってきて助け出す。救急車で外科病院に搬送、縫合。


夫が外科医にかかりつけの心療内科医に電話するように言われて、電話するも、

「うちでは死なないと約束した人しか診ていませんので、(死のうとした私は)診れません」と言われ、しばらくその外科医(内科もやっていた)からジェイゾロフトだけ処方してもらう。

カウンセリングを受けたところ、境界性パーソナリティー障害であり、一生薬を飲み続ける必要があると言われ、ショックを受ける。



・2012年5月、ベンチャー企業に転職。

会社近くの内科にて忙しいため心療内科にかかれないことを説明して、ジェイゾロフトを処方してもらう。

この頃も攻撃的な性格は変わらず、偏頭痛にも引き続き悩まされる。加えて、便秘気味に。

トライアスロンをやる元気はあるのに、休みがちに。

・2013年7月、常務を攻撃したことが引き金となり、退職。
子供がほしいこともあって、仕事を在宅のパートに切り替える。

断薬相談に行ったのに、うつ―→躁うつ病という診断

・2013年9月、薬を止めたいと思い、薬の胎児への影響も知りたくて、産婦人科もある心療内科に行こうと決意。

〇〇マタニティ病院の心療内科を受診。
「ジェイゾロフトを止めたい」と相談したところ、インテイク面接、各種心理テスト(10個くらいあったような)、脳波検査を受け、「うつ病ではなく、躁うつ病」と診断される。


「とりあえず1年投薬で様子をみましょう」ということに。
 薬を止めたくて来たのに、なぜ?と思ったが、今まで適切に診断されてなかったから治ってこなかったんだとそのときは合点した。
エビリファイmgデパゲンR200mg×2に処方変更。


物を投げたり、怒鳴ったりすることはなくなる(今思えば、フルタイムの仕事をパートにかえてストレスが軽減しただけ?)。

金遣いの荒さは引き続き、通信教材に30万円以上使ったり、母親と旅行に行ったり(1回20万円くらい)、自分の稼ぎが減っても、なぜか無駄遣いを止めようと思わなかった。

また、トライアスロンにのめり込んで、長崎や新潟、千葉、沖縄等の大会に出まくる。夫が「破産する」と言って疲弊状態になる。

・2014年8月
 躁うつ病として治療を初めて1年経ったが、特によくなる兆しなし(むしろ気分は落ち込んでいる)。手が震える、どもるようになる。
医師にいつ治るか尋ねたところ、「躁うつ病だから状態が安定するまであと3~4年かかる」と言われて落ち込む。
また、障害者手帳の取得を勧められる。
 妊娠も「薬を飲みながら」のようなことを言われ、おかしいなと思い始める。
妊娠中は飲めないデパゲンRを止めたいと医師に言い、受け入れられ、止める。

・2014年10月
夫が気分転換にトルコ旅行に連れていってくれたが、何も感動しない、感じないことに違和感を覚える。

それに、そもそも薬を止めるために受診したはずなのに、なんでこんなことになったのかと疑問が消えなくなる。