いくつかの原稿が重なってしまい、ブログ更新ができませんでした。

 本は一応、11月上旬に出る予定(今のところ)です。また改めてお知らせさせていただきます。




2年前の「クローズアップ現代」

 さて、原稿の一つに、子どもと向精神薬についてのものがあり、改めていろいろ調べてみました。

 あの、2012年6月に放送された「クローズアップ現代」、「薬漬けになりたくない…向精神薬をのむ子ども」がネット上にアップされているのですね。

 http://www.dailymotion.com/video/xua9fw_%E5%90%91%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E8%96%AC%E3%82%92%E3%81%AE%E3%82%80%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82_tech



 取材を受け、この放送を見た当時(2年前)は、なんだか前日のビールに水が加わったものを飲まされたような感じがしました(気が抜けていて、まずい)が、今改めて見てみると、ある意味この番組は「画期的」だったのかもしれないと思いました。

 現在のNHKには望むべくもない内容です。

最近のNHKの精神医療関連の番組は、検証も何もしないまま、「要するに、薬を飲めば、治るんです!」的放送ばかり。だから、よけいに2年前のこの放送が新鮮に映ったのでしょう。


 ついでに、蒸し返すようですが、こういうものも見つけました。

 児童精神科医の宮田雄吾と姜昌勲のTwitterによる番組への激しい抗議活動です。

 この番組は最初「子どもに広がる向精神薬の被害」というそのものずばりのタイトルだったのを、宮田さんが抗議をして、上記のようなタイトルを変えさせたのでした。

http://togetter.com/li/320360

 多剤大量処方は反対だが、薬を飲んで安定している子どももいるという論理です。

 だったら、そういう子どもを取材させればよかったのに……。




 ともかく、それでも2年前はまだ「飲ませる」「飲ませない」という議論が成立しました。しかし、今は、その議論さえ薄れつつあります。事態は確実に悪い方へ(大人にとって都合よく、安易な方へ)流れつつあるように感じます。




児童養護施設と向精神薬

 先日、関東地方のある児童養護施設で臨床心理士をされている男性(仮にSさん)と話す機会がありました。その中で次のような話を聞き、暗澹たる気持ちになりました。

 ADHDの診断が出ていた小学5年生のT君。施設内では、すでに精神科へつなぎ、投薬を開始することになっていました。しかし、Sさんがその話を聞いたのは実際投薬が始まる1週間前のこと。

 Sさんは急きょ児童相談所のケースワーカーのところに投薬について相談にいき、また医師にも面識があったので、直接相談をしました。医師としては、施設として共通の認識がないようなので、投薬はいま開始しなくとも……ということで、T君への投薬はキャンセルになったそうです。

 しかし、です。

 施設の園長がSさんに対して「勝手なことをした」として、懲戒免職を匂わせたというのです。実際には訓告で落ち着きましたが、施設の職員として「向精神薬を子どもに飲ませないほうがいい」という意見を述べるだけで、「医療ネグレクト」として処罰の対象になるということです。

向精神薬を飲ませるのは、子どもにとって「よいこと」「必要なこと」という認識が、世間にはすでに広まっているということでしょうか。

 Sさんの施設でも、56名中4名ほどの子ども(男の子が多い)が服薬しているといいます。

そして、Sさんから見て、薬を飲んでいる子は「一時的によくなっているように見えても、弾けたときに普通じゃない弾け方をする」そうです。




施設職員の本音

 Sさんからいただいた資料にたいへん興味深いものがありました。

『福祉社会学研究』という雑誌に投稿された論文「児童養護施設の職員が抱える向精神薬投与への揺らぎとジレンマ」(吉田耕平)というものです。

 ちなみに、この資料で知ったのですが、東京都は先駆的に、2000年代後半から児童養護施設に精神科医を配置しているといいます。その数は増加して、2009年4月には29施設で配置されているとか。これを児童への「手厚い支援」と受け取るべきなのかどうか……? (精神科医のデイビッド・ヒーリーは、向精神薬で子どもの行動をコントロールしようとするのは「虐待」であると著書の中で明記しています。)

 この筆者が取材した施設では、35名中5名(男児2名、女児3名)が投薬を受けていました。そして、施設の職員としての本音がいくつもありますので、抜き出してみます。




「投薬については基本的に反対ですね。医師が子どもの様子を見て判断しているというよりも、職員の意見だけで投薬が決まってしまうことに疑問を感じる」としながらも、

「集団の中で生活することができない落ち着きのない子どもは、…投薬して落ち着かせることは必要。薬を飲ませないと、他の職員から日々の処遇に差し障りがあるといわれたこともあるから」

「薬で子どもの行動をコントロールするのは虐待しているのと同じだと思う」

「昔は暴力なんか使って力で抑えていたけど、今は虐待になるし。薬を飲ませるのは絶対反対だが、施設を管理するのに必要」

「実際は薬を飲んでも何もよくなっていないように感じるし、副作用で太っていったりしてかわいそう」

「薬は子どもにとって良くないと思っても、薬を飲んでくれると安心して仕事ができる」「施設の子は薬がただだし、薬は増えることはあっても、減ることなない」

「私は薬が必要な子どもには使うべきだと思う。ただ、薬を使うまでに職員ができること、たとえば環境を整えるなどしたうえで、薬は最終手段にすべきだと思っている」

「子どもにだって嫌なこともあるだろうし、施設に不満を感じて走り出したり、飛び出したりしたら、職員が一緒になって走ったらいいんじゃないの。この前も子どもがパニックになって雨の中に走り出したけど、私は一緒になって走ったよ」




 これらの本音の多くが語っているのは、要するに、薬は「必要悪」ということでしょうか。悪とわかっていても、使わざるをない……。(老人施設も同じ論理でしょう)。



 では、どうすればいいのか。この論文の中にもヒントがあります。例えば以下のような文章――

「施設職員は向精神薬を使わなくても、実践の中で、子どもの行動が落ち着く術も知っていた。その一つは子どもと施設職員が1対1でかかわることができる環境である」

 しかし、1対1のかかわりができるように職員の人員配置を増やすのは、予算的に無理がある、という現実……。

 そこで筆者が提案するのが、「里親委託」と「情緒障害児短期治療施設」への措置変更である。

 しかし、いやいや、この「情緒障害児短期治療施設」という施設、以前ブログにも書きましたが、すでに投薬が織り込み済み(3割以上の子どもが服薬している。その理由として、(情緒障害児は管理が大変である)なのです。

http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000011cpd-att/2r98520000011dbj.pdf

http://ameblo.jp/momo-kako/entry-11816279491.html

 これでは何の解決にもならないです。また、里親制度もさまざま問題を抱えています。里親と児童相談所の軋轢について以前体験者(里親)から話を聞いたことあります。(ブログには里親側の強い守秘義務があるため公開できませんでしたが)。




「個」としてのかかわり

 ところで、臨床心理士としてSさんは、オープンダイアローグを専門にされているとのことです。正確に言えば、オープンダイアローグは統合失調症のための治療法ですが、いわば「毎日、一定の時間、会話するというだけのシンプルなもの」として、他にも、ナラティブセラピーというものもあります。

 Wikipediaによるとナラティブセラピーとは、「治療者とクライエントの対等性を旨とし、クライエントの自主性に任せて自由に記憶を語らせることによって、単なる症状の除去から人生観の転換に至るまで、幅広い改善を起こさせることを目的とするもの」ということです。

 やはり、「人間」として「個」として、どうかかわっていくのか……ということです。

職員が1対1でかかわれば、子どもも落ち着くというのは、まさにこういうことなのでしょう。(しかし、施設の子どもが薬を欲しがる原因の一つに、薬を職員から手渡されるときに1対1になれるからというのがあります。なんと悲しい理由かと思います。)

 ADHDなどへの投薬は、ともかく「出ている症状を抑える」のが目的です。その子どもがどんなことを感じ、考えているかなどはあまり考慮されません。それは、ちょうど、精神科を受診した患者に対して、出ている症状を抑えることを目的に投薬するのと一緒です。それでは結局、何の解決にもならないことは、これまでの精神医療の現実を見ればよくわかることです。

 やはり、私は子ども(とくに12歳未満)への投薬は基本的に反対です。(激しい自傷行為のある場合は別としてです)。


 施設の職員の大変さも理解しつつ、しかし、薬へ逃げるのではなく、徐々にでも、予算確保の方向へ運動を展開していってほしいと思います。

 そもそも、向精神薬はコンサータ、ストラテラをのぞいて、子どもを対象に治験を行っていません。また、コンサータ、ストラテラもたった「6週間ほど」の治験が行われたにすぎません。何年も飲みつづけた場合、どうなるか、誰にもわかっていないのです。その意味で、いま、子どもの体を使った長期的治験が現在進行形で行われているに等しいと感じます。