今日は体験談を紹介します。

 30代半ばの男性(K男さん)からのメールです。



軽いうつ状態

「大学卒業後、某大手企業に入社しました。

9年前、過労と離婚のストレスが重なり抑うつ状態になり、近所の心療内科を受診。(これが精神医療との不幸な出会いでした。)医師の診断は「抑うつ状態」。SDS(自己評価式抑うつ性尺度)では「軽度うつ状態」のレベルでした。

薬はドグマチール50mg×3錠、デプロメール25mg×3錠が処方されました。

診断書が出て産業医とも話し合った結果、しばらく会社は休み、その後何とか復職し、仕事は続けました。しかし体調不良(頭痛、倦怠感など)が続き、さらにジプレキサが増えましたが、ひどい副作用(頭が朦朧として起き上がれない)で寝込んでしまったため直ぐに半分にしました。

この頃からずっと処方されるがままに向精神薬を飲んでいましたが、今思えばここでやめておけば良かった。ただ、会社に籍を置いている以上、復職して仕事を続けるには主治医と産業医の指示に従う他に選択肢はなかったというのが実情です。



数か月後、転勤と引越に伴い2つ目の心療内科へ転院。

ここでの診断名は一応「うつ状態」。このクリニックではまさに多剤大量処方がなされました。処方は全て記録していますが、酷いものをご参考までに。

20067

リーマス200×2錠、

トリプタノール25×2錠、

デパケン200×4錠、

ドグマチール50mg×3錠、

デプロメール25×3錠、

ジプレキサ25×1錠。


20073

リーマス200×2錠、

トリプタノール25×2錠、

デパケン200×4錠、

ドグマチール50mg×3錠、

デプロメール25×3錠、

セロクエル25mg×0.5錠。


――ものすごい処方である。うつ状態という診立てで、リーマス、デパケン(気分安定薬)、さらに、トリプタノール、デプロメール(抗うつ薬)、ドグマチール、ジプレキサ(あるいはセロクエル)(抗精神病薬)……どれもみな2種類ずつの処方である。結果は、当然のことながら――



体調は安定せず、休職復職を繰り返す日々でした。体調不良を訴える度に薬の種類と量は増えていきました。今考えれば、これだけの向精神薬を毎日飲んでいれば副作用で体調がおかしくなるに決まっていると思います。ただ当時は「自分は心の病になってしまった。体調不良もそのせいなんだ。薬を真面目に飲んで早く病気を治さないといけない。再びバリバリ仕事をできるように戻りたい。新しい部署になり環境も変わった事だし踏ん張りどころだ!」と本気で思い込んでいました。

その後も、何とか気合と根性で仕事は続け、熱心な仕事ぶりも評価され、責任あるポジションに抜擢されるようになりました。2年ほど調子が良い時代が続き、たまに風邪等で休むことはありましたが、長期休職するようなことはなく仕事を続けました。クリニックには徐々に行かないようになり、最終的には薬も一切飲まなくなりました。



再び症状が出て、今度は「双極性障害」という診断

しかし再び、体調がおかしくなりました。ある時期から急に倦怠感と疲労感が抜けなくなり、酷い頭痛も併発し、頭が朦朧としてついには起き上がれなくなって再び休職してしまったのです。

今考えると、服薬をやめた結果の離脱症状だったのかも知れません。

前の医師には不信感があったため、3つ目の心療内科へ転院。医師に経過を告げたところ、診断名は「双極性障害」に変わりました。私が2年ほどバリバリ仕事できていた時期は、実は双極性障害の躁状態だったとの見立てでした。

初回の処方は、ラミクタール25mgエビリファイ3mg×2錠、デパケンR200×3錠、サイレース2mg

ラミクタールの副作用と思われる発疹が出ましたが、すぐに治まったため、徐々に投与量は増えていきました。それからも、何とか気合と根性で会社には通いましたが、数か月に1度、うつ状態になってしまう事があり、酷い時には会社を休まざるを得ない状態でした。



――今流行りの、うつから双極性障害への診断変更である。

 それにしても、仕事をちゃんとこなしたことが、「躁状態」とは、なんと勝手な解釈だろうかと思う。

 で、さっそく双極性障害の「躁」に効くということで適応拡大されたエビリファイの処方である。そうしたところ――、



昨年春に、再びうつ状態を発症し長期休職に。家族と話し合った結果、「今まであまりに体調不良と休職が続いている。病名と投薬は合っているのか? 一度、精神科の権威に診てもらおう」という事で、4つ目の病院である某大学病院を受診しました。



大学病院でセカンドオピニオンを受けたら、即入院

私と同年代の男性医師が登場。今までの通院や投薬状況など経過を詳しく説明しました。私が「今までの主治医は3分診察が多く、ちゃんと相談にのってもらえなかった。患者の顔も見ずにパソコンばかり見て、パチパチっと処方箋打って終わり、という感じでした」と愚痴をこぼすと、男性医師は「僕もそういうタイプですけどね、へへへ」と笑っていました。

最終的に病名はやっぱり「双極性障害Ⅱ型」の診断。続けて医師は「通院も大変だし、投薬効果もすぐに分かるので今日から入院しましょう。」と言いました。

「いきなり言われても、今日は何も準備が無いので・・」と返すと、

「では明日からで良いですね。ベッドの空きを確認します」とすぐに系列の病院へ電話。

あれよあれよという間に翌日から系列病院への入院が決まってしまいました。

診察後、「待っていました」とばかりに白衣を着た学生が現れ、ある研究への賛同を求められました。「遺伝子と精神疾患の関係を解明する研究」だとの事。

「どうせ入院するのなら、私のように病気で悩む人たちの力になれれば良い」と思ってサインし採血をしました。今考えれば、完全に「研究のモルモット」にされただけですね。当時の私も家族も盲目的に精神医療を信じ切っており、本当に浅はかで愚かでした。



入院について、もう1つ解せないのが入院形態でした。私は「医療保護入院」という形で入院しました。当時私は軽度のうつ状態と思われ、自傷他傷や社会的問題となる行動もなく(当時も今でも一切ありません)、本人も家族も入院に同意していたのに、なぜ「任意入院」ではなかったのか? 

後から調べて、医療保護入院の方が儲かる(診療報酬が高い)上、入院中の行動制限をかけやすい(患者をコントロールしやすい)からだと分かりました。

精神医療に関わるまではずっと健康体で、大きな病気もなく、「入院」というのが生まれて初めての経験でしたので、私も家族もちょっとしたパニックになってしまい、正常な判断ができないままに医者に押し切られて入院してしまったというのが正直なところです。



入院生活

入院したのは閉鎖病棟でした。3人部屋で、うつ病のおじさんと躁病のおじさんと一緒でした。入院してすぐ投薬が変わりました。双極性障害治療の王道であると言うリチウムとラミクタールを主に据え、眠剤は変えず、ジプレキサは徐々に切っていきたいとの事でした。

リチウムは最高で1000mgまで増えました。しかし量が増えると中毒症状の下痢、喉の腫れ、めまい、ふらつき、手の震え、多汗などが現れました。



リチウム中毒の初期症状として食欲低下、嘔気、嘔吐、下痢等の消化器症状、振戦、傾眠、錯乱等の中枢神経症状、運動障害、運動失調等の運動機能症状、発熱、発汗等の全身症状を示すことがあるので、このような症状が認められた場合には、減量又は投与を中止するなど適切な処置を行うこと。なお、中毒が進行すると、急性腎不全により電解質異常が発現し、全身けいれん、ミオクローヌス等がみられることがある。(リーマス添付文書より)



医師は「血液検査の結果、リチウムはまだ有効血中濃度の0.3mgまでいっていないが、あなたには体質的に合わないようですね」と言い、リチウムは減らされていき、代わりにラミクタールは250mgに増えました。

医師の印象的な言葉に「双極性障害者の生活は“気分体調の低め安定”を目指す」というものがありました。いま考えると「双極性障害者は楽しいことがあっても喜びすぎてはならない。常になんとなくテンション低いわ~という状態がベストだ」ということです。これって「人間やめろ」という事ですよね。

入院中、向精神薬の副作用と思われる口角唇が荒れてくると「ビタミン不足だ」とビタミン剤処方、口の周りに赤い斑点が出ると「院内が乾燥してるから」と塗り薬が処方されました。まさに対症療法のオンパレードでもぐらたたきのようでした。