(1からのつづき)

自殺未遂

双極性障害として治療が進んでも、聡子さんの状態はまったく安定しなかった。たまに入院をしないと、エネルギー切れ起こしたような状態となり、倒れることもあった。

今から思えば、入院生活に依存、中毒的になっていたのかなとも思うという。ともかく、精神科という非日常的な空間で、頭をリセットしないと現実に戻れないような感じだった。薬も気分安定薬がメインだったが、増えたり減ったり、また薬が変わることもあった。


「いまだかつてないほど追い詰められた私はついに自殺未遂を起こしました。27歳のGW直前の出来事でした。

 その日は、いつもなら薬を飲んで寝てしまう時間になっても寝る気がしなくてぼんやりしていました。そのうちに思考が「死」に向かっていってしまったのです。

普通はそこで理性が働いて、思いとどまるはずですが、なぜか「死ぬしかない」と考えてしまいました。それで手元にあったベルトで首を吊ったのですが、運よくベルトが切れて死ななかったんです。

気がついたら(意識が戻ったら)畳の上で横になっていて、私いま何やってたんだろうって。急に自分がやったことが怖くなって、未遂をしたのが深夜だったので大騒ぎになるのはまずいと思い、朝になってから自分で病院に行きました。そのまま任意入院です。開放病棟のなかにある保護病棟の、一目見ただけではそれとわからない保護室に入って、医者は何の役にも立たないと痛感しました。

その時の入院は、腫れものに触るみたいな、看護師さんが妙に優しかったのを覚えています。自殺しようとしたことを、医師が親に話したのかは不明です。」


 その年(聡子さん27歳)の秋、主治医が退職することになったため、担当医が代わることになった。そのとき、聡子さんに2名の医師の名前が告げられ、どちらかを選んで下さいといわれたという。

 聡子さんはどちらの医師のことも知っていた。だから、昔の印象で、話しやすいと感じた医師を選んだというが、どちらも知らなかった場合、このような提示をされても、選びようがないではないか。

 それにしても、このようなことはどこの病院でもやっていることなのだろうか?

聡子さんは3年間、入退院を繰り返し、その病院、医師や看護師について知悉するようになっていた。そういう中で感じる病院のやり方への違和感はいくつもある。患者に医師を選ばせるのもその一つだが、例えば、主治医の交代も「自分が忙しいから」「患者の症状が安定しているから」という理由で、一方的になされることがある。患者は医師の都合に振り回され、それを受け入れざるを得ないのだ。


新しい主治医
 聡子さんの新しい主治医は――結果としてこの医師が最後の主治医となるのだが、聡子さんの処方内容を見て一言「苦労してきたね~」と言ったという。

 そして、処方内容ががらりと変わり、量も減った。入院期間もこれまでの標準3ヶ月から2週間へ大幅に縮小された。

平成24年4月以降はお薬手帳があるので、処方されていた薬を把握することができる。

この主治医に代わった直後の処方は、

〈寝る前〉

コントミン25mg ×

ベンザリン    ×

ロヒプノール   ×

ハルシオン0.25mg ×

リフレックス15mg ×

〈朝・夜〉

ラミクタール25mg ×13(25ミリ錠を使っていたため数が多い)

〈その他〉

ツムラ抑肝散陳皮半夏エキス顆粒

酸化マグネシウム

ラキソべロン



コントミン、ベンザリンは前の主治医のものを引き継いだ形だが、量は少なくなっている。そして、平成24年5月末には量がさらに減って、以下の通りとなった。


コントミン25mg ×

ベンザリン    ×

ハルシオン0.125mg ×

リフレックス15mg ×

テトラミド10mg  ×

ラミクタール100mg ×

リスミー1mg   ×

〈その他〉

ツムラ桃核承気湯エキス顆粒

酸化マグネシウム

ラキソべロン



 私から見ると、これでもまだまだ多いと感じるが、これまでの主治医に比べれば、多少、薬の副作用など理解のある医師なのかもしれないと思う。しかし、頓服として、リボトリール1mgやニューレプチル5mg・PZC4mgなどというお薬手帳の記載を見ると、やはり症状に対しての処方という域は出ていない印象である。



最後の入院――服薬拒否

平成24年6月後半。聡子さんは何度目かの入院をした(結果的には、これが最後の入院となるのだが)。そしてこの入院中、これまでにないような躁状態となった。もちろん医師たちは、これを双極性障害の躁状態とみなして、興奮状態を鎮めるため、処方は抗精神病薬のオンパレードになった。

すぐに激しい副作用が出て、聡子さんとしては「もういい加減キレてしまい」、服薬拒否を1週間続けた末、退院してしまったのだ。

離脱症状はもちろん出ていたが、怒りのほうが勝っていた、という。


聡子さんがこのような心理状態になったのは、この入院の直前から(平成24年4月から)、結婚はしていなかったものの現在のご主人と一緒に暮らしはじめていたことが大きいかもしれない。

そして、この6月の入院を経て、「自分に対する複雑な感情が湧き上がってきた」と聡子さんはいう。

「主人は当時から薬を飲まない方がいいんじゃないかって言ってくれていました。私が異常とは、とうてい思えなかったそうで、薬は必要ないんじゃないかと」


さらに、入院中に起きた出来事も聡子さんに精神医療に対する不信感を募らせた。

聡子さんが病室で派手にリストカットをやってしまったときのことだ。最初にそれを見た医師は、焦る看護師をよそに、いかなる処置もしようとしなかった。医者からの指示がなければ看護師は応急処置しかできず、聡子さんはそのままの状態にされた。

そして数日後、行動力のある看護師が、日曜日であることを利用して、こっそり形成外科を呼んできて、形成外科医の判断によって傷はその場で縫合されたのだ。

さらに翌日、処置内容を詳しく知らない看護師にミスをされて、縫った傷が開きかけたが、もう一度形成外科医が呼ばれることはなったという。


「精神科医に精神科以外の知識を求めてはいけない話かもしれませんが、精神科の看護師も同じで、精神科は総合病院とはいえ、人の入れ替わりが非常に少ないところです。何年も精神科にいるために最新の処置を知らないとか、新しく看護師が入ってきても検査部門から初めて病棟に回ってきたとか……」

つまり、精神科入院中に他の病気になったり、けがをした場合、手当が遅れる可能性があるということだ。このような話はときどき耳にする。


 また、こんなこともあった。同じ部屋になったOさんという70代くらいの女性。

Oさんには持病に喘息があったが、精神科の主治医に喘息の薬は取り上げられてしまったそうだ。

ある日、Oさんは熱を出た。喘息持ちなので、すぐに息が苦しくなり、持ってきた薬が欲しいと医者に訴えた。しかし、聞き入れてもらえず、あっという間に呼吸困難に陥った。

息も絶え絶えで、Oさんは、せめて喘息の貼り薬だけでも出して欲しいと懇願して、ようやく一命を取り留めることができたという。

ちなみに、聡子さんが夜、そのOさんの担当医に「眠れない」と相談したところ、セレネースの注射をされた。こういうレベルの医者なのだ。

また、同じ部屋には、Oさん以外に、初めての入院で、ECTを行うためにやってきた女性もいた。ETCに関しては、実施後、みんな「頭がボーっとする」「記憶が飛ぶ」というようなことを言っていたのが印象的に残っている。

この大学病院には、ECTをやるために定期的に入院する患者もたくさんいるそうだ。そして、回診のときなど、教授たちが大声で「この人は電気ショックでこんなによくなりました!」と自慢することも日常の光景だった。


 というわけで、聡子さんは病院、医師、薬に対する不信感、怒りを覚えて、退院してしまったわけだが、なぜ、これまでの入院で、同じような体験をしているはずなのに、こういうことを感じることができなかったのか? おそらくこの入院のころは、薬が減っていたため、かなり意識がはっきりしていたからではないかと聡子さんはいう。

しかし、退院後、10日ほどして、まったく眠れないことから、何とか睡眠だけは確保したいと、再び薬を飲むようになった。

当時(平成24年9~11月)の処方は以下の通り。

ラミクタール100mg ×

セロクエル100mg  ×

ベンザリン      ×

ハルシオン0.25mg ×

アモバン7.5    ×



セロクエルが追加になっているが、以前より種類はかなり減っている。

また、この頃、頭痛と手(指)がしびれるようになり、メチコバール500㎎が処方された。しかし、症状はおさまらず、神経内科で検査をしたところ「軽い頚椎症」と診断された。

聡子さんとしては「たぶん抗精神病薬によって姿勢が悪くなっていたために、頸に負担がかかった結果なのではないか」と推測している。(つづく)