前エントリーのコメント欄に発達障害に関するコメントが殺到しました。

 一つ一つにコメント返しできませんので、ここで発達障害に関して、私なりの考えを書いておこうと思います。



 まず、統合失調症と診断されたが、実は発達障害(の二次障害)の誤診であった……という例がそれほど多いのかという疑問ですが、私の知っている範疇ではかなりあります。(このブログに登場してくれた人――統合失調症と診断をされて、薬害にあった人たちはみなそのケースです)。

 そもそも統合失調症というのが、よく言われているように、100人に1人発症するほどポピュラーな病気なのか……と思います。その数字は、おそらく診断基準をかなり広げた結果ではないでしょうか。ある医師によると、統合失調症と診断された人の90%以上は誤診(つまり発達障害)であったということです。




 が、それを語る前に、まず、定義の問題があります。統合失調症とはいかなる病気なのか? myu さんがコメントに入れてくれたように、米国のある精神科医の意見では、「統合失調症はほとんど未知」の疾患ということです。検査方法があるわけではありませんから、「科学的」に証明することはできません。したがって医師によってとらえ方もそれぞれ。それが診断基準を広げる原因ともなるわけです。

 その結果として統合失調症の過剰診断。

 そして、一方では、発達障害の過剰診断。

 いま、精神医療(とくに子どもをとりまく精神医療)はこういう方向に流れているようです。




発達障害の人がもつ薬剤過敏

 そうなるともう、統合失調症だろうが発達障害だろうが、診断名はさほど重要ではないという意見もあります。

しかし、問題は統合失調症と診断をされたときの治療法なのです。一生服薬……が一応、統合失調症治療の「原則」のようになっています。また、医師としては、統合失調症という診断なら、抗精神病薬をかなり使いやすくなります。

ところが、診断が発達障害で、症状はその二次障害ということになれば、治療法も薬の量も変わってくるはずです。(診断がかわっても、治療は従来通りという医師も多いようですが)。

 というのも、発達障害の人の中には、薬剤に対する過敏性を持つ人が多くいるからです(なぜなのかはわからないそうですが、ある医師は臨床の実感として確かにあると言っています。)そういう人が統合失調症として治療をされて、多剤大量となった場合、かなり悲惨な状態になってしまいます。(特に難治性(治療抵抗性)統合失調症と診断されたケースでは、発達障害、薬剤過敏があるようです)。


 そうした危険を回避するためには、医師が発達障害という概念を「広くもって」、診断・治療に当たるべきだと思うのです。その意味で、さまざまな批判のある「発達障害」という概念をしつこく言わざるを得ないわけです。それは発達障害の過剰診断とはまた別の土俵での話なのです。

 以前、ブログでも取り上げましたが、発達障害と診断された人(子ども)たちが薬漬けになっている現実はあります。発達障害の過剰診断も大いに問題です。そういうラベルを貼ることへの批判もありますし、私もそういう意味での発達障害概念には疑問を抱いています。

 ただ一方で、発達障害概念は、統合失調症という精神疾患の中でも一番重篤と取られがちな(したがって治療もきついものになる)ところから引っ張り出すための、ひとつの「救済概念」として必要、ということです。


 精神疾患と「個性」というのは切っても切れない関係です。個性というのは、「発達特性」ということでもあり、そういう人それぞれがもっている「特性」を医師は常に念頭に置き、そのうえで診断・治療に当たれば、幻聴=統合失調症というような安易な診断はなくなるはずです。そして、無意味な投薬、過剰な投薬を避けることができるはずです。

 幻聴にしても、統合失調症の幻聴と発達障害の二次障害の(例えば解離性障害など)幻聴は、内容が違うようです。医師がそうしたことを知っていれば、むやみな統合失調症診断もずっと減ると思うのです。


グレーゾーン

 また、発達障害と言っても、いわゆる「発達障害」の診断基準を満たすことのない程度の(したがって、わざわざ発達障害と診断する必要のない、グレーゾーンの)人にも、特有の「過敏性」があり、それがストレスとなってさまざまな状態に陥ることがあります。

 そして、そういう人が精神科を受診すると、症状からうつ病といわれたり、適応障害といわれたり、自律神経失調といわれたり、いろいろに診断されて、投薬を受ける。そこで薬剤過敏を持っていると、精神医療の被害にあう……そういう構造ではないかと思います。



 発達障害というと(障害という言葉がまずいけない)何か特別なことのように受け取られがちですが、人間「なくて七癖」というくらいで、どの人も世界にひとつだけの「個性」を持っています。いわゆる定型発達などといわれる人は、もしかしたらいないのかもしれません。ただ、特性が濃いか薄いかの違いがあるだけです。

 そして、特性が濃い人は、この社会で生きていく上でかなりの苦労を強いられることになります。とくに日本は「みんなと同じ」ことが尊重される傾向がありますからなおさらです。そして、その特性ゆえの生きづらさ……その生きづらさが強くなってはじめて「障害」という概念で説明されるべきものなのだと思います。


 そして、前にも書きましたが、発達障害と診断をされるほどではない、特性の「薄い」人の中にも、生きづらさを抱えている人がいる。それは生育歴を丹念に聞くことによってしかわからないほどの(いわゆるテストでは発達障害と診断されない)発達特性です。

ある子どもは――両親は発達障害など疑ってみることもなく中学1年くらいまで「普通に」育っていましたが――中学2年のあるときから不登校となり、そのことによる不安感から食欲不振となったため小児科を受診しました。そして、そこからなぜか精神科に回されて、摂食障害ということで即入院。抗精神病薬の大量投与を受け、強い副作用に苦しみました(減薬・断薬をしていまでは元気ですが)。

のちに、その子どもにもやはり発達特性があることがわかったといいます。音に対する過敏性があり(ドライヤーの音がたまらなく嫌だったが、みんなそういうものだと思っていたので親にも言わずにいたため、両親もまったく気がつきませんでした)、また、学校の中でどうやったら友だちができるのかわからなかった(人間関係における不器用さ)など、わざわざ発達障害と診断する必要もないくらいの「特性」ですが、それでも思春期の頃には、これがつまずきのきっかけになることもあるのです。そして、診察の際、発達障害を念頭におき、医師がそういう「特性」を丹念に聞きとっていれば、おそらく下手な抗精神病薬投与は免れたのかもしれないのです。



もちろん、安易な発達障害診断は、安易な統合失調症診断と同じように、避けるべきです。発達障害(特性)という概念はそれを「診断」するというより、その人の「個性」を知る上で一つの便宜的概念ととらえればいいのではないかと感じます。(もっとも、支援法の関係で診断が必要なのでしょうが)。


サヴァン症候群

 また、「サヴァン症候群」ですが、狭義では知的障害を伴う人における特殊な才能のことを言うようですが、「高機能」においても、そうした特殊な才能を持つ人がいて、そうした人も含めて「サヴァン症候群」といっているようです。

 もちろん、発達障害があるからみな特殊な才能を持っているということはありません。しかし、発達障害だから特殊な才能を持っている「はず」と受け取られてしまうことのストレスもまたあるのだということは、心に留めておくべきことと思いました。

 ただ、特殊な能力を持っているがゆえのストレスも、私のような「凡人」には想像もつかないものがあるようです。カメラアイ故にフラッシュバックしやすいとか(おそらく過去の映像が細部までまざまざと蘇ってくるのでしょう)、いいことも嫌なことも忘れにくいとか……いろいろあるのだと思います。そして、そこから二次障害が発生するということもあるわけです。


サポートは必要

 発達障害という概念は、とらえ方に非常に難しいものがあると、私自身感じています。

 それは一種、人間を「色分け」することにもつながり、差別偏見の種にもなりかねません。

しかし、さまざまな「特性」を持った人がいるのは確かで、それは身体障害を持つ人が社会的なサポートを受けるのと同じように、その人にあったサポートがあってもよいのではないかと思っています。

 しかし、よく言われるように、発達障害の特性ゆえ、学校など集団の中で苦労することがないように(幼いころに挫折感を味わうことでかえって子どもの心に良くない影響が残るという理屈)、薬で症状を抑えてあげるべき、それがよいことだという理論には、やはり首を傾げざるを得ません。

 そういうことにならないために、「発達障害」など存在しない……という考え方があるのはうなずけます。

 発達特性は「矯正」すべきものではなく(特に薬などによって)、その人の「個性」、その人が「独特」であるということです。しかしそれゆえにさまざま生きづらさを抱え、結果として精神症状を出している例が多い以上、その世界においてはやはり「発達障害」の概念を広くとっておく必要がある、というのも重要なことだと思うのです。


 なぜ、そういう症状を出しているのか……それが発達障害がベースにあるためとわかれば、症状そのものに対する投薬より先に、まず環境やとりまく状況を調節する、そのことだけで症状が軽減される可能性が大いにあるからです。

 そして、その特性を周囲が理解していれば、症状を出すまで追い詰めることなく、日常生活を安心して過ごすことができるようになるからです。

 発達障害の過剰診断が問題になるのは、発達障害だからこれでいいんだといったような方向に流れやすくなるからかもしれませんし、周囲も当事者を必要以上に甘やかしてしまいがちだからかもしれません。

 そういう問題も確かにあります。

 しかし、統合失調症の診断のなかに発達障害という概念を持ち込んで、当事者の人生そのものを眺めてみれば、そこにはまったく違った世界が広がることになるのは確かです。


 が、一方で、いまは、発達障害の二次障害としての統合失調症発症という診断もあるわけです。それで結局は同じことが繰り返される。

 そんな場合は、せめて医師が薬剤過敏のことを知り、それを念頭に処方を考えてほしいと願うばかりです。