(1からのつづき)

やり切れぬ思いでやっただけなのに

 それにしても、本当に、なぜ、こんなことになったのか?

 ジョバンニさん自身、事の真相はずっとわからないままだった。母もその話は避けているようで、言葉の端々から彼はさまざま想像してみたが、どうしても、なぜ自分が精神科病院に入院する羽目になったのかわからない。

 そのわからないということが、ジョバンニさんには不気味で、ひどく怖かった。

 全容がわかったのは、それから10年以上経ってからのことである。

「断片的な母の話や、姉に起こった出来事などを総合して考えると、その頃姉は離婚したばかりで、夫にだまされて借金の連帯保証人になったりして、自分自身借金を抱えていて、精神的にすごく不安定だったんだと思います。僕がいじめの件で母と姉に笑われて、頭にきて、物を投げたりして、それで姉の精神的なパニックを誘うことになってしまったんじゃないか。姉は、結局、夫に責任を取らせることができず、極度の男性不信と、晴らせなかった復讐心を弟の僕に向けたんです」

 退院後、ジョバンニさんは姉を問い詰めたが、姉の返事はのらりくらり要領を得ないものだった。

「あんなに怒ったのは人生で一度だけというくらい大声で怒鳴りつけました。でも、姉は知らない、自分は悪くないというだけです。僕は入院生活ですさまじい恐怖を長時間受け、もう心は限界だった。だから、また同じことが起こったら生きていけない。今度やったら殺すと姉に言いました」




 もともと対人恐怖の傾向があったジョバンニさんは、その後、ますます人が怖くなり、家から出られない状態になった。眠っていても恐怖で目が覚め、脂汗を流して、涙が出て、震えたり、悪夢にうなされ、そんな日々が何カ月も続いた。

 それでも、自分の身に起きたことを何とか整理したくて、その後いくつかの精神科クリニックを渡り歩いた。21歳のときに起きた病院での出来事、いじめのこと……。

しかし、どの医者も半信半疑。役所に行って相談しろと言われたこともあり、保健所に相談に行ったところ、今度は、その病院のある市の法務局へ行けと言われただけ。相談にもならなかった。

 21歳のときから続くこの地獄のような苦しみをどうすればいいのか、奪われた青春をどう取り戻せばいいのか……。




 ジョバンニさんは30歳になった。この頃、地方から東京に引っ越して団地に住むようになる。東京でも方々のクリニックを巡ったが、ある医師からは、「あーあ、入院歴がついてしまった」と気になるようなことを言われた。さらに別のクリニックで、これまでのいきさつを説明すると「分裂病の気があるかもね。診断は医者によってまちまちだから」。そして、「いじめに関しては何もできない」と言われただけで終わってしまった。

 本に名前が出ていて信用できそうな▽▽病院にも行ったが、診察のあと、何も言わずにリスパダールが処方され、ジョバンニさんは言葉にできなくらいのショックを受けた。

それでも、この病院には通い続けた。担当の医師が、その後女医に代わった。診察のときに、ジョバンニさんは当時やっていたアルバイト先であった嫌なこと(変なことを言われたとか、変な眼で見られたとか)を話した。薬はデパスと胃薬のみだった。病名は告げられていない。




 家族とはやはり、うまくいっていなかった。母親に勝手にお金を使われたりして、喧嘩になり、テーブルをひっくり返すこともあった。女医による精神科の診察内容にも不満があり、イライラすることが多かった。しかし、どんなに腹が立っても、直接の暴力だけは絶対に振わない、自分にそう誓っていた。



 ジョバンニさんは東京都精神医療人権センターに電話を入れたことがある。対応はすこぶる悪く、切手を送ってくれば本を送るという返事。そこで切手を送ったところ、「東京都精神病院事情ありのまま」という小冊子が送られてきた。

 ジョバンニさんとすれば、何とか自分の身に起きたことを理解してくれる人がいてほしい、そして、まったく理屈の通らない姉がいつまた彼に、鬱憤を晴らすため、以前のようなことを仕出かすかわからないという状況の中、方々へ助けを求めようと考えた末の行動だった。

 しかし、姉はまたしても何か企んでいたのだ。ジョバンニさん自身は当時そのことをまったく知らなかったが、母親と二人で密かに彼の主治医である▽▽病院の女医に会ったりしていた。




二度目……

 ある日のこと、家で口論となり、ジョバンニさんはこらえきれずに物を壊してしまった。やり過ぎたと思って、彼は部屋を片付け、ゴミ袋を買いに出かけたその帰り。

自宅の団地の前にパトカーが停まっていて、姉とその友人二人と、警察官が立っていた。警官に部屋を見せろと言われ、その後、ジョバンニさんはパトカーで署へ連行される。

弁護士を呼んでくれと訴えると、その必要はないと却下。6人の警官に囲まれての事情聴取が始まった。ジョバンニさんは自分がやったことを正直に話した。

しかし、いくら説明しても、聞く耳をもってくれず、出来レースのような感じの取り調べ。異常でないことを異常だとねつ造され、緊張していたのを興奮していたことにされ、何を言っても通じない。犯罪は何も犯していないのだ。だから、警察としては異常をでっちあげるのか?

警官の一人が自分の頭上で指を回し、「これか? これか?」(クルクルパー)とまわりの警官に言っていた。

結局、都立のある精神科病院に連れていかれた。そのときの、ジョバンニさんの文章を引用する。




「○○病院の正面玄関から警官たちと入り、一般の患者たちの視線を浴び、面白がる野次馬が近づいてきます。裏口に行けと言われ、そちらへ。遅れてやってきた母と姉が先に医師に面接、その後、僕の番です。

医者「お姉さんに暴力を振っているのか。蹴飛ばしたりしたか?」

私「ふざけて、とても軽く蹴ったことがあるけど、そういうことは姉にもされているからお互いさま」

(後でわかったのですが、姉が警察署で、僕に暴行や傷害の被害を受けたから逮捕してくれと訴えていたそうです。僕はそんなことはしていない。)

医者「薬は飲んでいるのか?」

私(デパスの話をしているのかと思い)「たまに飲んだり飲まなかったり」

医者「前の入院の時、なにがあったのか?」

 とてもこんな不利な状況では言えない。あんな複雑な体験をそんなに簡単に説明できるわけがない。

私「市民団体や弁護士にしか言えない」

医者「どこの市民団体、どこの市民団体」やや興奮気味にきいてきます。

 僕は答えません。診察はこれで終わりでした。そして、医療保護入院に。」




 その後、ジョバンニさんは病院を移され、その病院の保護室に、拘束をされ4日間つながれた。抵抗などまったくしなかったにもかかわらずだ。

 担当医は院長の弟で、坊ちゃん育ちに見える若い医師だった。最初の診察で、ジョバンニさんはこれまで起きたことを一から話さないとまずと思い、21歳の入院のことを話した。医者は、「いつまでも昔のことを言っているんじゃない」と一蹴。その病院で起きた看護師による嫌がらせのことを話すと「良かったじゃん」。

 またかとジョバンニさんは思った。またこんな医者か……。

「何を言っても話をまともに聞いてくれない。命運尽きたと、本当に思いました」



 入院してだいぶ経ってから姉が面会に来て、怒鳴るだけ怒鳴って帰っていった。しかし、医師は姉の言うことだけを信じて、彼の言うことはまったく聞く耳持たず。姉はさんざん弟がいかに暴力的かを訴え、10年前の入院時にジョバンニさんが一度だけ怒りにまかせて言った言葉「今度やったら殺す」を額面通りに受け取って医師に伝えていたのである。

ジョバンニさんは医師から「お姉さんには、何かあったらすぐに警察を呼ぶようにと言っておいたから」と聞かされた。

「姉には虚言癖がある。自分の復讐心を満たすためならどんな嘘でも平気でつきました。でも、周りの人は姉の言うことを信じる。姉が被害者で、僕は加害者。どうしようもない暴力的な弟にひたすら耐えている姉といった構図です。何の証拠もないことも、姉の証言だけで真実が決まるんです」




 結局退院できたのは、4ヵ月後だった。

 そして、4ヶ月間の入院で、医師からまともな診察は一度も受けなかった。言われたのは、ただ脅し文句だけだった。



 退院後は、▽▽病院に戻り、通院することになった。

 例の女医からは、以前ジョバンニさんが語っていた、バイト先で変な目で見られるとか、変なことを言われたという話によって、それを関係妄想、幻聴ととらえていると告げられた。

 ジョバンニさんが、姉の嘘、警察と病院に傷害事件の偽証をした話をすると、

「その話を聞いても、考えは変わらない」

 警察署の事情聴取において警官のねつ造に関して話すと、

「警官にもバカはいる。ハイハイと黙って聞いてやり過ごしなさい」

 そして、診断は統合失調症。リスパダール2㎎、タスモリン1㎎、レボトミン5㎎、デパス1㎎が処方された。

 

 その後、医師が代わり、今度は無口な若い女医になった。

 リスパダールの副作用がひどいので、エビリファイに変えてくれと申し出たら、しぶしぶながら了承してくれた。

                     (つづく)