またしても精神科病院における被害の訴えである。

 病院は、以前、ブログで何度も取り上げたヘンリーさんが「拉致・監禁」をされたのと同じ、○仁病院。



産後うつ

 E子さんは現在37歳で、一昨年の11月、女の子を出産した。授乳のたびに夜中に起きる生活が続き、睡眠が細切れになったことに加えて、マンションの上の階の人がリフォームを行い、工事の音が始終していて、夜も昼もぐっすり眠ることができなくなった。

 そんな日が3ヶ月も続き、どうしようもなくなったE子さんは、昨年の2月、ある大学病院のメンタルヘルス科を受診することにした。

不眠症ということで、医師はベンゾジアゼピン系の安定剤(ホリゾン)を処方。

しかし、状態はよくなるどころかかえって悪化していくばかりで、4月には別の大学病院に短期間だが入院するほどの状態となった。

考えてみれば、十数年前のこと、大学生だったE子さんは、大学になじめず、さまざま人間関係に悩んだ末、精神科を受診して、そこで出された薬によってひどく苦しんだ経験があったのだ。薬に過敏で、副作用が大きく出てしまう。

結局、薬の影響から解放されるのに2年間もかかり、残念ながら大学は中退することになった。

「そんな経験があるにもかかわらず、また精神科に行って、薬を飲んでしまった自分の責任でもあるんです」とE子さんはいう。

 不安感が強くなり、さらに子どもをきちんと育てられない自分を責めた。自殺念慮も出てきて、それが時として攻撃性へと転化して、両親や夫に当たることが増えた。

 そんなことから、家族が、最初に受診した大学病院に相談をした。すると、主治医が○仁病院への入院を勧めてきた。E子さんの主治医はじつはあの○仁病院の理事長だったのだ(彼はその大学病院に助教授として勤務していた)。

 産後うつということだった。そして薬に対する抵抗、パニックに近い症状……。

 ○仁病院は、ECTを前面に打ち出している病院である。ECTには最適な患者と思われたのだろう。さらにECTは産後うつに良好とのことでもあり、家族が了承した。

入院してすぐに、1クール、6回のECTが施行された。



最初の施行ですでに感覚異常が出ていた

しかし、その後すぐ、E子さんは自分の中に生じた異変――感覚異常に気づき、それを医師に訴えた。が、医師は、表面上、少し落ち着いたように見えるとして、その訴えを無視した。

そんなある日のことだ。医師とE子さんと彼女の父親を交えての3者面談が行われた。

もともと父親とは確執があり、話し合っているうちに、E子さんは父親の言葉にかっとして胸ぐらをつかんでしまった。

その行為一つによって、即、隔離拘束が行われた。

隔離室に入れられて……、

「それが、どれくらい入っていたのか記憶がないんです。あとで聞いたのですが、夫が出してくれるように医師に訴えて、それでも1週間くらいは入っていたということでした」

 1週間後、ようやく隔離室から出されたE子さんは、またしてもECT治療を受けることになった。

 E子さんが訴えていた感覚異常も、MRI検査の結果、脳に異常がみつからなかったため、続けられることになったのだ。2クール、12回。

 全部で、3クール、18回の施行である。入院していたのがおよそ2ヶ月間で、ECTは3日に1度くらいの頻度で行われたことになる。



視界が傾いている

 逃げるようにそこを退院して9ヶ月。

現在、E子さんはほぼ寝たきりの状態である。

 E子さんをいま最も悩ませている症状は、景色が傾いて見えるということだ。部屋にいても、全体が15~20度くらい、左に傾いている。

 子どもを抱いて立っていることさえ難しい……。

 見えている世界が傾いているので、どうしても身体のバランスが崩れ、左半身に負担がかかる。筋肉の張りや硬直……外出もままならないので、往診で鍼灸の治療を受けている。

「近くのものはまだいいんですが、遠くの景色はさらに傾斜して見えます。遠近感がおかしい……」

 電気ショック療法による後遺症として、複数の医師に尋ねてみたが、こうした症状は聞いたことがないという返事だった。めまいや足元が震えるという症状はときにあるが(1年ほどで改善することが多い)、空間把握能力に異常をきたしたという話は聞いたことがない、と。



記憶の喪失

 日常生活を送る上で、視界の異常はかなりのストレスだが、さらにE子さんを苦しめているのは、「記憶の喪失」である。

 とくに入院期間中のことは、5%くらいの記憶しか残っていない。

「だから、どんな治療を受けていたのか、隔離室にどれくらい入っていたのか、いくら思い出そうとしても思い出せません。それだけでなく、それ以前の記憶も抜け落ちています」

 子ども産んで、育てていたことも曖昧な記憶しかない。子どもをくるんでいた毛布の柄を見て、そういえば……と何となく理解する程度である。

 当初は洗濯機の使い方もわからなかった。炊飯器のタイマーのやり方がわからない。道を覚えられない――その点、今は少しずつだが、できるようになっている。



 ○仁病院のHPには、ECTの副作用として、こんな記述がある。

 一番の副作用は記憶障害がおこる可能性があります。程度と持続期間はさまざまですが
ECT終了後、数日から数週で消失することがほとんどですが、まれにECT治療中の記憶及びさらに以前の記憶を失うことがあります。



絡み合ったPTSD

 もともとE子さんは眠れないということで受診した。産後ということもあり、「産後うつ」という診断がついたのだろうが、そこで処方された向精神薬への拒絶反応――それを病状の悪化ととらえられた。

 十数年前に経験した薬によるダメージ、それがPTSDとなって、再びの服用で混乱を招いてしまった……。

「薬に対するPTSD……自分でもここまでとは思っていませんでした。でも、薬に対する恐怖がやはり相当残っていたようです」

 ECTによる感覚異常を訴えるE子さんを、医師は「統合失調症の疑いがある」と家族や本人に説明したらしい。

そして、父親の胸ぐらをつかむという行為は、統合失調症の陽性症状ととらえられ、隔離室に入れられた。おそらく、そこでは抗精神病薬の投与も行われていたに違いない。精神科病院で、ちょっとした「騒ぎ」を起こせば、「鎮静」のため薬が大量に投与されるのが常である。

「本当はカルテを取り寄せて、いろいろはっきりさせればいいのでしょうけれど、それだけの気力も体力もなくて……。それに、病院側への抗議も、そんなことをやって何があるのかって……」



 この治療に「違法」なところはないかもしれない。ECTも国が認めている治療法である。

 しかし、早い段階で、E子さんが訴えるECTによる感覚異常に医師が少しでも耳を傾けていたら……出ている症状を即病状の悪化ととらえるのではなく、薬の副作用を疑っていたとしたら、結果はまったく違ったものになったはずだ。

 E子さんとは電話で話したのだが、話し方は穏やかで、言葉をひとつひとつ選びながらゆっくり話すのが印象的だった。

 そんな女性が隔離室に入れられた、その恐怖は、いまは記憶があいまいであるにしても、そのとき体験した恐怖感は、心の深い部分でPTSDとなって残っている可能性も否定できない。

さらに根っこにある薬に対するPTSD、それによる不安感、恐怖……結局、精神科の治療を受けたことで、E子さんの心身は計り知れないダメージを受けることになった。



今の精神医療に大きく欠けているのは、治療に際して「個人」をみようとしないことだ。百人いれば症状、薬に対する反応も百様である。成育歴もさまざま。

にもかかわらず、そうしたことを考慮することなく、こういう症状にはこういう治療をとほとんどベルトコンベアー式に事は進む。そして、そのベルトコンベアーは決して逆向きに流れることはない。治療が始まってしまえば、薬が減ることはほとんどなく、副作用は症状の悪化と見なされ、さらなる「治療」が上乗せされる。

それは薬に限らない。ECTにおいても、その副作用を病気の悪化ととらえられ(統合失調症)、さらなるECT治療の継続……。

結局、「治療」が「病気」をつくりだしているのである。

「個」をみようとせず、ある意味「暴力的」に行われる「治療」によって。



現在、E子さんは整体療法やPTSDに有効とされる治療など、いくつか試している。

何とか回復に向かわれることを、祈るばかりである。





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