(1からのつづき)



紹介状をお願いしてから2年以上経ってから

「受け入れてくれる先生が見つかった。先生には詳しく話をしておいたから心配はない」と。

やっと紹介状を書いてもらい、それを待って私たちは最後に先生に電話をかけました。



私「なぜ、看護婦からの嫌がらせに対して対処してくれなかったのか?」

ヤブ「まともな大人がいじめをするはずがない。だから聞くまでもないから。あなたの妄想じゃない?」

私「妄想ではありません。母も嫌がらせを受けました。」

ヤブ「あなたのお母さん、病気でしょ」

私はあきれました。

この先生は看護婦のいじめの件も全て分かっている。直感で私は分かりました。医者という立場を利用してやりたい放題だ。

そして母が「どうしてくれるんですか? 娘をこんなにしてしまって! 薬漬けにして!」と言うと

電話の向こうでワナワナとしていたそうで、「私が何したっていうんですかぁ!!」と怒鳴りちらしてガチャっと電話を切ってしまいました。



それっきりです。

それで終わりでした。

医者としてというより、人間として終わりです。




その後もその先生が嘘つきだという事が分かることがありました。

新しい病院に行き、(総合病院)受け付けで紹介状を渡すと「あのぅ、これは何ですか?」と言われ、

私「紹介状です」

受け付け「ちょっと、これが紹介状? 何これ……」



診察時も先生に

「全く話も聞いていないし、いきなりこんなの困るよ。見てよ、こんな紹介状で」

先生が紹介状を見せてくれました。

私たち親子は唖然としました。たったの1行半。

2年間待ち続け、1行半……。

私「いえ、前の先生は〇〇先生(新しい先生)に話をして、その上で受け入れると言ってくれたと聞きましたが……」

先生「いえ、全く聞いてもいません」




本当にただただ唖然とするばかりでしたが、今の先生が「私もやれるだけやってみます。」と受け入れてくれました。

そして、その日のうちに、パキシルからの出血傾向で鼻血がでることがあるので減薬していこうと言われ、病名は「人格障害」と前の先生が書いていることも教えてくれました。



その他にも、症状を訴えるとすべて薬の副作用だと判明。減薬治療が始まりました。

はじめはパキシルとセロクエルから。2006年から減薬を始め、大量のパキシルとセロクエルは2009年の4月に断薬に成功。本当によく生きていたなと思うほど過酷でした。




そして主治医は「本当にすいませんでした。同じ精神科医として謝らなければなりません。あなたは人格障害ではない。強い個性といじめのストレスです。薬の副作用から人格障害の症状がでたのです。」と言われました。

これで長い長いトンネルから抜け出せる。私はそう思ったのですが、ベンゾジアゼピンの離脱にこれから苦しめられることになりました。



今現在もソラナックスは0.4ミリグラムの4分の1を一日に1つと、グランダキシンを2分の1と、メイラックス3分の1を一日おきに服用しています。細かく割って離脱症状をなるべくださないように頑張っていますが、なかなか思うようにならず生き地獄です。




大量処方されていた薬を減薬していくうちに、あれ程ひどかったヒステリーやイライラ、攻撃性はなくなりました。鼻血も血便も出なくなりました。

体の痒みも、手の震えも、衝動性も、死にたいという気持ちも、あれは全部薬だったんだ……と。

私は危うく殺されるところでした。そこでタイミングよく外来の看護婦からのイジメがあり、転院したいと思ったんです。イジメはすごく苦しく辛かったけど、まさに禍い転じて福と為す…… です。




薬がほぼゼロになった今、冷静になって思い出して考えてみると……

前の病院の先生のした事ははっきりいって普通じゃありません。

10代の女の子相手に

「君はすごく可愛いし、患者の中でも気になる一人だ。本当は僕の携帯の番号を教えてあげたいなぁ」と、自分の携帯を私にチラチラ思わせ振りに見せる。

中年女性や男性には診察時間は非常に短いのに、若い好みの女の子のみ時間をとる。

他の患者の悪口を言う。(あの子また悪化して入院したよ。とか、あの人、結婚してるけど、あんなんじゃ旦那が大変だよ。離婚しちゃえばいいのに。とか、あの子はノータリンな子だね等)

「僕は腕がないから(自分で認めていた)薬を出すしか出来ないんだ」

「僕が治してあげるからね」と手を握って頭を撫でる。

その頃、私は18歳、先生は50歳でした。

紹介状を書いてほしいと言った時も「精神科のネットワークみたいなのがあって、病院を移っても君の事はいつでも把握できるからね。僕からは逃げられないよ。」と脅されました。

「最初は僕が治してあげるからね。」と言っていたのに、ある日突然

「一生薬を飲み続けなければならない。一生通ってもらう。治らない。」



家族と喧嘩をさせて不安定な状態にさせ、病院や自分に依存させて薬を増やし、家族にも病気だからと薬をすすめて飲まそうとする。(実際母にもソラナックスを処方)家族ぐるみで病気にして病院の餌食にしようとする。



「自立支援を受けると、将来不利になるから」とデイケア代一日2000円をとる。実際母がまとめて20万円持っていき、受付の人が「受け取れません。先生に自立支援を書いてもらうのでいいです。」と言っているのに、

「え~どうして~、せっかく持ってきたのに」と受け取る気満々の様子でした。

自立支援をどうしても書けないらしく、診察料が月に3万円程で、7年近く払い続けました。




両親は「完全に先生を信頼しきっていた私たちがバカだった。よく冷静になって考えてみるとあなたの個性や性格は薬を飲んで治るものでもない。私たちがもっと理解して、受け入れていたらこんな悲劇は起きなかった。情けない。」と自分を責め続けています。



今の私がすべき事は前の病院の先生を責める事ではありません。自分のペースでベンゾ系を断薬する事。

少しずつ、あせらず、ゆっくりと。

しかし、12年間大量にベンゾジアゼピンを飲み続けた私の体には抗体があり、減薬すると、のたうちまわるような凄い離脱症状に襲われます。あと少しなのに……。

今の主治医は「こんなに大量の薬をゼロに近い状態まで持っていくには並大抵の努力では出来ない。私の患者で耐えられた人はいない。相当苦しいと思う。頭があがらない。前の先生のした事は同じ精神科医としてしてはいけない行為だった。」

と言いますが、だって悔しいじゃないですか! このまま廃人になりたくないし、人並みの幸せだってつかみたい。

死にものぐるいでパキシルも断薬したんです。

離脱症状から癲癇発作を起こし救急車にも乗り、体重はパキシルの副作用で30キロ増えましたが、断薬と共に元に戻りました。

離脱症状から体重が減り、またガリガリになったし、甲状腺の数値も離脱から上がりました。

(ベンゾジアゼピンの離脱は内分泌に影響する)



離脱からくるアレルギー症状で風邪薬や、インフルエンザの予防接種、ビタミン剤にまでアレルギー反応がでて、注射や薬も普通に飲めない体質になりました。

今も一人で外出困難なほどですが(離脱からのパニック発作)、それでも薬を増やしたり戻したりは一度もしませんでした。

抜け出したいんです。

それだけです。

                                    (つづく)