34歳の女性からぜひ話を聞いてほしいということで、お会いすることになった。

ニックネームは「たつぱん」さん。

現在は作業所で働き(1日8時間労働、週5日のフルタイム)、笠医師の指導の元、薬の減薬中でもある。

彼女の例は、前回のエントリで扱った「生きにくさ」の延長から、精神医療につながってしまった典型的なケースかもしれない。




生きにくさ

「たつぱん」さんの生きにくさ……。

 小学校時代から集団行動が苦手で、周囲からは「変わった子」と見られていた。「暗い性格」というわけではなく、逆に「学級委員などしたがる方」だったが、テンションが高すぎて、ちょっと任せられない……周囲はそう感じていたのではないかと本人は思っている。

 そんな雰囲気だったためか、中学時代は「シカト」されることも多かった。修学旅行はグループに入れずに一人ぼっち。

 それでも、「たつぱん」さん、絵を描くのが得意で、絵を描いているときだけは、周囲に人が集まってきた。その才能を生かして学級新聞を熱心に作ったが、彼女のいないときを狙って、絵にいたずら書きをされ、めちゃめちゃにされることも。

 学校に行きたくない……。

親に告げると、父親は「おまえが甘いんだ」と一喝した。

 家族間にもいろいろ問題があった。母は買い物依存症のようなところがあり、そのことで彼女が小さい頃から夫婦喧嘩が絶えなかった。兄が一人いるが、彼女に暴力をふるい、父と一緒になって、彼女を責め立てた。

 何をしても「お前が悪い」「お前は信用できない人間だ」「お前のせいで迷惑している」「おまえなんか死んでしまえ」……。

「親にほめられたことなんか一度もない」と「たつぱん」さんは言う。

「私のことなんて、どうでもいいと思っているんです。成績が悪くても、何も言われることもなかったし」

 母親はうつ状態となり、精神科を受診して、統合失調症の診断を受けた。そして、父の発案で「たつぱん」さんの家族は南の地方へ引っ越すことになった。しかし、その地の精神科において母親は薬漬けとなり、ずっと多剤大量処方のまま、今ではほぼ寝たきりの状態になっている……。




いじめ、そして精神科へ

「たつぱん」さんは中学を卒業すると、何とか高校に入って、その後、それでも、1年間だけ東京の専門学校に通わせてもらうことができた。大好きなアニメの専門学校である(そのことで、高校しか出ていない兄から、さんざん嫌みを言われたが)。

 そして、卒業後は居酒屋のアルバイトをして生計を立てた。しかし、バイト仲間からいじめを受け、結局、それをきっかけに体調を崩して(自律神経失調症)、いったんは帰省した。

 しばらくして、再び上京。今度はデパートのマネキンとして働いたが、どうにも気持ちがふさぎ込み、精神科を受診した。平成10年頃のことだ。

 受診したのは、今はもう廃業した、例の「京成江戸川クリニック」だった。うつ病と診断され、AC(アダルトチルドレン・機能不全家族で育った人)とも医師から言われた。

 当時のお薬手帳がないので、詳細はわからないが、「元気になる薬」ということで、リタリン(多いときには1日8錠飲んでいた)やソラナックスが(4~8錠)が処方された。

 クリニックには2年ほど通ったが、症状は改善せず、それどころか副作用で、体調がどんどん悪くなったため、転院。

 そして、転院先のAクリニックでは、

パルギン錠(ソラナックスのジェネリック)0.5㎎×1錠

他に、胃腸薬が処方されただけだった。

「体調もよくなって、この頃が一番調子が良かったです」

「たつぱん」さんは警備員の仕事を見つけ、交通整理などやったが、性に合ったため、職場で結構頼りにされた。

「この仕事は楽しかった」と本人もいう。

 しかし、その後、仕事を工場勤務に変えると、そこでまたしてもいじめにあった。クリニックはBクリニックに転院となり、そこでの処方は

デパスパルギン錠エバミール(ロルメタゼパム)、ナウゼリン(胃腸薬)。

半年で工場勤務を辞め、今度は住み込みで新聞配達の仕事をしたが、肉体的にはたいへんでも、楽しく働くことができた。

しかし、Bクリニックで処方される薬の量は徐々に増えていき、「たつぱん」さんとしてはうつがひどくなったのだと考えて、新たにC診療所を受診した。

いくつかの薬を処方されたが、相変わらずの状態に、ある友人から「入院して良くなった」と東京都下にあるN病院を紹介され、彼女は入院を決意した。




統合失調症、そして薬漬け

ずっとうつという診断だったが、そこではじめて「統合失調症」という診断を「たつぱん」さんは受けた。

「嘘でしょうって思いました。幻聴とか全然ないし、あったのは、被害妄想みたいな思いだけ。ロールシャッハテストをしたり、計算とかさせられて、それの成績が悪かったからかもしれませんが、あんたはバカだとか言われました」

統合失調症、という診断を受けたあと、「たつぱん」さんは、あんなに好きだった絵が描けなくなってしまったという。

 N病院――あとで知ったのだが、その病院にかかると、ほとんどの場合、統合失調症という診断が下りるらしい。日本でも「最悪」の部類に入る病院ということだった。

 当然のことながら、入院中はとにかく大量の薬を飲まされた。吐気がひどく、ろれつも回らなくなった。

 結局3ヶ月で退院し、「たつぱん」さんはC診療所に戻ったが、入院中に飲まされた薬の影響もあってか、体調はさらに悪化。自転車に乗っていて倒れたり、相変わらず吐気がひどく、飲むゼリー以外受け付けないほど食欲もおちた。気力がわかず、猛暑の中1週間風呂に入ることができなかった。その他、パニック発作、過呼吸症状も出て、電車にも乗れなくなった。

そこで、今度は大学病院の精神科に転院したが、医師から「被害者意識の自己中」というようなことを言われ、またしてもひどい処方を受ける羽目に。

昨年8月の処方を見ると、1日量

ルーラン(ペロスピロン塩酸塩)8㎎×4――抗精神病薬

ロヒプノール(フルニトラゼパム)2㎎×1――ベンゾジアゼピン系睡眠導入剤

アモバン(ゾピクロン)10㎎×1――睡眠導入剤

ヒルナミン(レボメプロマジンマレイン酸)細粒10%×0.02㎎――妄想、幻覚を抑える

ルボックス(フルボキサミン)25㎎×2――抗うつ薬SSRI

リスパダール(リスペリドン)内液1ml×3(朝夕)

デパケンR(バルプロ酸ナトリウム)200㎎×6(朝)

不穏時

ワイパックス(ロラゼパム)0.5㎎

その他、パントミン マグミット、フラビタン、ラミシール、セルベックス、ガスモチン、ロキソニン。



1年ほど経っても、一向に症状の改善もなく、「たつぱん」さんは元のC診療所に戻ることにした。

そこでの処方、

寝る前 ルーラン8㎎×4  ロヒプノール2㎎×1

朝夕  リーマス(リチウム)気分安定剤200㎎×2 リーマス100㎎×2 

ウインタミン(クロルプロマジン製剤)抗精神病薬

夕3T、寝る前3T ユーパン(ロラゼパム)0.5㎎×2  デパケンR200㎎×6



この頃には、抗躁剤のリーマスも処方され、薬を飲んでも飲んでも、良くなる気配はなく、それどころか状態は悪くなる一方。体重も10キロ以上増えていた。




ある出会い

 そんなときのこと。1ヵ月ほど前のことだが、「たつぱん」さんはある漫画家――夫婦でうつになったという女性漫画家――のブログを見て、メールを送った。絵がとてもいい、それと自分も精神科に通っている……そんなことを書いたところ、返事がきた。

そして、彼女から減薬のことを教えてもらい、笠医師につながったというわけだ。

 笠医師に相談した結果、統合失調症ではない。薬も必要ない、と言われたという。

 したがって、薬についての目標は、春ウコンのみを残して、上記の薬の漸減、そして最終的には断薬することである。

 今のところ、笠医師の指導により、ルーランとがデパケンRの減薬に取り組んでいる。

幸いなことに、リタリンをやめるときもそうだったが、離脱症状はあまりひどくない。仕事も何とか続けられそうである。




トラウマ

漫画家からはカウンセラー(女性)も紹介され、「たつぱん」さんは減薬しながら、並行してカウンセリングも受けることになった。

そこでは家族の問題をいろいろ話す。父との関係、兄との関係。被害妄想的に、いろいろ考えてしまうこと。自分は人間のクズなんじゃないか……。こんな自分に価値があるのか。みんなに嫌われている。生きていてごめんなさい。

そういえば、「たつぱん」さんの口癖は「すみません」だ。何も悪いことをしていないのに、すぐにあやまる。それはおそらく父や兄との関係性から出てきた自己防衛としての言葉だろう。

「お前が悪い」「あやまれ」と言われ続け、自信を築く根拠が奪われてしまった……。

父や兄から言われたさまざまな言葉が胸に突き刺さったまま、今でも彼女は同じような言葉を他人から言われると、フラッシュバックして、思わず死んでしまいたくなる……。

「それで、ときどき、発狂状態になります。うわ~って叫びたくなって。でも泣くことができない。泣いてはいけないと思っているし、何でも我慢しなきゃと思ってやってきたから」

「私、いつになったらまともになれるんでしょうね。頑張っても頑張っても、追いつかなくて……」

 しばらくは家族とは縁を切ったほうがいい……。

 笠医師やカウンセラーのアドバイスに「たつぱん」さんもそう思っているが、寝たきりの母親が心配でもある。




 ところで、彼女の描いた絵を見せてもらった。

 すごく上手い。私から見ても、素人のレベルをはるかに超えている。

「写生というのはできないです。頭の中にある、想像の人物を描くとか、そういう感じ」

 この能力をもっと伸ばすことができたら……そう思わずにはいられなかった。

 おそらく、「たつぱん」さんの両親も一種の「特性」をもっていて、そういう家庭環境の中で育った「たつぱん」さんもある種の「個性」「特性」をもつに至ったのだろう。そのことで「周囲から浮く」存在となっていき、それはあるとき仲間はずれ、いじめの原因ともなる。

生きにくさ――それが少しずつ「たつぱん」さんの心を追い詰めていった……。

しかし、現在の精神科治療は、人を診ることなく、症状だけを見て、それを抑えるための薬が処方されることになっている。しかも、多剤大量処方。結局、それによって症状をこじらせたにもかかわらず、「病気の悪化」ととらえられ、薬の増量、そしてついには「統合失調症」という診断に移行するというわけだ。

さまざまな要因がからんで「生きにくさ」を感じている人は多いし、そのことが原因で精神医療につながってしまい、結果的に薬害にあう人のなんと多いことだろう。しかし、「生きにくさ」から派生する精神的状態、症状は多くの場合、うつ病でもなければましてや統合失調症でもない。




『それは「うつ」ではない――どんな悲しみも「うつ」にされてしまう理由』(アラン・V・ホーウィッツ、ジェローム・C・ウェイクフィールド)からの引用。

――現代の精神医学が、症状とそれが生じた背景の関係に目を向けないために、正常な悲哀とうつ病を混同している……。症状のみでも診断が下せることを前提とした(DSMの)大うつ病の診断基準では、ストレス要因に対する正常な反応が疾患の症状とみなされかねない。この混乱が精神医学とその患者のみならず、社会全体に重大な影響を及ぼしている……。




もし、「たつぱん」さんのような小学生がいたとしたら、今なら即「早期介入」の対象になるだろう。

不登校気味、母親が統合失調症という診断を受けている(しかし、この診断にも?マークがつかざるを得ない。何と言っても症状が出てきたのが、年齢的に遅すぎる)――しかし、そうした事実だけで、かなり不利な立場に立たされるのは間違いない。

確かに「たつぱん」さんの個性は、大多数に対してという意味では、理解されにくいものかもしれない。

しかし、少なくとも私は彼女と話していて楽しかった。何と言っても素直だし、人の話もちゃんと聞ける。わざわざ私に連絡してきて話を聞いてほしいと言える積極性も持っている。漫画家にメールを送るという行動力もある。テンションが高くて、多動ぎみ……それがまた彼女の「特性」であり、それが裏目に出ると、何度も友だちに電話をかけてしまったり。そして、そのすぐ後に、「こんなことをして、嫌われるかもしれない」とおびえる自分もいる。


「たつぱん」さんはようやくひとつ山を越えたところだ。

 これからもいろいろなことがあると思う。しかし、もう二度と精神科に頼ることはないようにと願う。

それにしても、あの絵の才能。私はもったいなくて仕方がない。