中学2年生のとき、小児科から精神科につながれてしまった息子さん(仮に孝一君)のお母様(仮に渡辺さん)から話を聞くことができたので紹介します。

現在、孝一君は19歳。無事、大学受験をくぐりぬけ、学生生活を送っていますが、中学2年から高校3年までのおよそ5年間、本人はもちろん家族全員が、精神医療に翻弄され、まさに「地獄のような」闘いを強いられる結果となりました。

「子供はあのときのことは忘れたがっています」

 当然といえば当然だが、渡辺さんのなかには、親として、思春期の大切な時間を精神科に関わらせてしまった罪悪感がぬぐえぬまま、と同時に、精神医療というものへの不信感が日に日に募るばかりだと言う。



「手足が動かない」で、統合失調症の診断

「体がだるい」

 それが中学2年の孝一君の最初の症状だった。体がだるい、しんどい。そして、しばらくすると手足が動かない状態となった。そこで、都内の某国立病院の小児科を受診した。

 検査のため入院が必要とのこと。孝一君は、手足の自由を奪われたこともあり、不安感が強かった。

結局、小児科の検査では異常は見つからず、1週間後、主治医から、同病院の精神科へ入院するようにと告げられた。

なぜ精神科? そうは思っても、医師から言われれば従うしかなかった。

 そして、精神科に移って1週間後、渡辺さんは孝一君が「統合失調症」であることを告げられる。

「頭が真っ白になってしまいました。ものすごいショックで」

 しかし、医師は優しくこう言ったという。

「今はいい薬があるから、それを飲めば大学進学も、就職も、結婚でもできますよ。だから、とにかく薬を飲ませてください」

この子が、良くなるのなら、と、渡辺さんは藁にもすがる思いで、薬を飲ませた。

 最初の抗精神病薬はドグマチール(スルピリド・定型抗精神病薬)が使われた。その後、ジプレキサ(オランザピン・非定型抗精神病薬)に変薬となり、その後ずっとジプレキサが処方されている。(その他、抗不安薬、睡眠導入剤など)。

 医師はジプレキサについてこんな説明をしたという。

「これはシナプスの成長を助ける薬です」と。



副作用? いや、精神症状です

 しかし、ジプレキサを飲み始めて半年後、孝一君に変化が起きた。

「幼稚園から小学校時代の記憶がない。道で小学校時代の同級生に会っても、誰なのかわからなかった」

「それだけでなく、小さい頃、心臓の病気で手術をしたため、胸に手術の跡が残っているんですけど、それを見ても、この傷は何? って。私もびっくりしましたが、そのことで、本人がすごく不安が強くなってしまって」

 主治医に告げると、以下のようなことを言われたと渡辺さん。

「理由はよくわからない。おそらく、小学校時代嫌なことがあって、それを忘れたいと思っているからではないか。手術のことも忘れたいと思って、それで記憶を抑圧しているからではないか」


孝一君は当然のことながら、薬を飲みながら、中学生活を送った。

しかし(というか、だからこそ)記憶力がどうしても戻らない。それまで記憶力には人一倍の自信があったため、孝一君の不安はさらに大きくなっていき、試験のあとは決まって体調を崩した。

すると、薬がどんどん増えていく。

 朝、起きられなくなった。学校で倒れて、救急車で運ばれたこともあった。薬の影響でよだれを垂らしていることを友だちにからかわれる。表情が消え、いつも口を半開きにしてぼーっとしている。家での暴言。家の中で暴れて、食器などめちゃくちゃにすることもあった。

「それで、先生に、薬の副作用ではないですかと尋ねました。すると、いや、精神症状ですと」

それどころか医師は「薬が少ないので、こういう状態になった。すみませんでした」とあやまった上で、さらに薬の種類と量を増やしていったという。

 ジプレキサ、コントミン、ランドセン、デパケン……。

 アカシジアが出て、どうにもじっとしていられず、狂ったように走り回って、それを医師に告げると、またしても「精神症状です」との返事。そして、

「病気が進行しているんでしょう」

ランドセンが処方された。

「それを飲んでから1時間あけて、大丈夫だったら、コントミンを飲んでください」



家庭内はガタガタに

孝一君は入退院を繰り返した。

中学3年の6月から8月。その後、進学というプレッシャーがかかって不安感が増したためか、再び入院。結局、年内いっぱいを病院で過ごした。

 幸い、学校は中高一貫だったので、出席日数が足りないものの、何とか高校に進学することはできた。

 しかし、その頃になると、家庭内はガタガタである。

 渡辺さん自身、抑うつ状態が続き、それを息子の主治医に告げると、すぐに抗うつ薬(ジェイゾロフト)が処方され、父親にも同様に、抗うつ薬と睡眠導入剤が処方された。

渡辺さんには孝一君のほか、もう一人下に男の子がいる。渡辺さんが出かける時は、弟が兄を見守る役目を担った。何といっても怖いのは、自殺だった。それまでも数度、ベランダから飛び降りようとしたことがあり、目が離せない状態だった。

また、家で暴れるときは、渡辺さんと弟で、暴れる孝一君を抑えつけねばならなかった。

「あのころは、もう何が何だからわからない状態で、家族全員、転がり落ちるように、バラバラになりました。顔つきもかわり、ヨダレをたらし、ぼんやりしている我が子をみて、このまま、親子で死んでしまった方が楽かもしれない…と思う事もありました。ただ生きているだけ、そんな感じの毎日でした」


 

 セカンドオピニオンを求めようと、都内の児童精神科クリニックを尋ねたこともあった。しかし、そこでの回答は、

「国立という大きな病院でそういう診断が出ているのでしたら、やはり間違いないでしょう」



ある医師との出会い

 孝一君が高校2年の4月のこと、家の中でものすごい兄弟喧嘩が始まった。孝一君を抱えての生活で、弟にも想像以上のストレスがかかっていたのだろう。

 結局、その後、弟も体調を崩して、病院を受診することになった。孝一君の主治医がその頃は国立の病院から私大の病院の精神科に転勤になっていたので、弟も同じところを受診した。

孝一君とは別のO医師が主治医となり、そこで過敏性大腸炎の診断を受け、漢方薬が処方された。

 渡辺さんは、弟の主治医だったが、O医師に孝一君のことをずっと相談していた。医師は熱心に話を聞き、「誤診かもしれないから、連れておいで」と言ってくれた。

また、こんなことも言ったという。

「僕だったら、10代の子供に、統合失調症などと診断名をつけて、投薬するなんて、怖くてできない」



 その後、O医師の勧めで、孝一君は都下にある統合失調症が専門のある病院に入院することになった。

「本物と見分けがつくから」というのがその理由である。

 2ヶ月入院をして、結局、孝一君は多少の減薬に至った。

 そして、退院するとO医師は孝一君にこう告げたという。

「君は統合失調症じゃないよ」

 しかし、孝一君の主治医はO医師ではない。そこで同じ科で患者を診ていた孝一君の主治医にO医師は電話をかけて、自分の考えを述べた。電話の向こうで反論しているのか、最終的には言い争うような感じになり、その後、孝一君は主治医の診察を受けることになった。

その席で、主治医は

「君は、僕とO先生と、どっちを信用する?」と尋ねたという。

 孝一君は「僕はもう、薬を飲みたくないので、O先生を信じたい」ときっぱり答えた。



 その後、孝一君はO医師から減薬指導を受け、多くの薬を切っていった。もちろん離脱症状が出て、服薬当時と変わらない状態になることもあり、渡辺さん自身、親として減薬に迷うこともあったが、その都度O医師の言ったことは、

「薬を減らして症状が出たら、また戻せばいいのだから」ということだった。

「O先生に出会えて、本当に救われました。1年かけて減薬をし、高卒認定のあと、薬がゼロになって、そのあと受験勉強をして、この春なんとか大学にも合格しました」



カメラアイ

 渡辺さんが言うように、学校の方は、結局、高校2年の夏で休学し、その年の秋、高卒認定試験を受けて合格。高校は途中でやめてしまったものの、幸い、形としてはストレートで大学に進学したことになる。

 じつは孝一君はいわゆる「カメラアイ」の持ち主である。そのことについてはあまり口外はしていないが、家の中ではよく話題になっていたと渡辺さんは言う。

「とにかく、小さい頃から記憶力がすごくて、親の私にはまったくそういう能力がないので、不思議な感じでした。教科書などもじっと見ていて、ちょうどカメラで撮るように、頭の中に入ってくるみたいです。それを必要なときに「検索」すると、そのまま頭の中に出てくるとか言っています」

グーグルなどで「カメラアイ」で調べるといろいろ出てくるが、自閉症の人に多い現象らしい。しかし、渡辺さんは、小さい頃から神経質なところはあったが、いまのところ孝一君に自閉症的傾向を見つけることはできないという。

ところで、O医師は孝一君を統合失調症ではなく、高機能広汎性発達障害と診断している。そして、それには薬は必要ない、と。

高機能広汎性発達障害――その言葉やとらえ方にはさまざまな意見があることだろうが、「カメラアイ」をもっているがゆえのストレスがあるのは事実である。

孝一君自身、小学校時代、自分がやっていること(カメラアイ)は他のみんなも当然できるものと思っていたが、実はそうではなかった。自分だけだったと知ったときには、ものすごくショックを受けたと母親に語っている。

発達凸凹と言われるように、凸があれば凹もある。そして、そういう状態――つまり他者と違っているということは、この日本ではとくに「生きにくさ」を感じざるを得ない状況に追い込まれる。

小学校時代、父親の仕事で数年間アメリカ暮らしを経験している孝一君は、そうした自身の「生きにくさ」を実感してか、「あのままアメリカで生活していれば、こんなことにならなかったかもしれない」と言ったと渡辺さんは言う。

渡辺さんは、前の主治医にも「カメラアイ」について語っている。しかし、医師は高機能広汎性発達障害を疑ってみることもせず、ひたすら統合失調症の治療を続け、孝一君を過剰な薬剤のリスクにさらし続けた。



早期介入の危険性

それだけでなく、医師はよくこんなことを言ったという。

「お母さん、孝一君はラッキーだった。発症する前に病気が見つかって、本当によかった。薬を飲めば病気は予防できるのだから、火事はボヤのうちに消しましょう」

 これはまさに現在進められようとしている若者への精神科早期介入を促すときに用いられる言葉とまったく同じである。

そして、これまでブログを通じて知り合った、精神科にかかった子供たちの親が言われた台詞もまた、ほとんどこれと同じであったことに改めて驚かされる。

 どこを押しても同じセリフが出てくるということは、つまり、児童精神医療の世界はこうした思想(科学的根拠のない思い込み)に塗りつぶされているということだ。

 現在検討されている若者への精神科早期介入が全国的に実施されるようになれば、孝一君のような被害者を量産する結果となるのは間違いない。


 渡辺さんもメールでこのように言っている。

「本当に、振り返ってみて、いったい、何だったのだろうか? と思います。あのまま、薬を飲み続けていたら、間違いなく子供は、廃人になっていました。本当におそろしい事だと思いました。そして、医者の言う通りに、薬を飲ませていた私は、今でも、罪の意識に苛まれます。一生、子供に恨まれても、仕方ないと思います。

私達は、不幸な事に無能な医者に出合い、家族全員、地獄のような経験をしました。しかし、幸運な事に、そこから救い出してくれた医者に、めぐり合う事ができました。しかし、きっと、多くの子供たちが、早期介入のせいで、誤診され、苦しむことになると思います。それどころか、いま現在も、あのような医師によって診断され、投薬されている子供がいるのかと思うと、胸の痛みを通り越して、怒りすら覚えます」



孝一君の主治医、国立病院の精神科医の実力は、以上、見てきたとおりのレベルである。なるほど、早期介入における診断は、偽陽性率(誤診率)70~90%もうなずける。