「奇妙な入院」を再開します。



 前回は、慎吾さんが70日間におよぶ入院ののち、1994年(平成6年)9月に退院したところまでを書いた。

今から17年前のこと、慎吾さんは当時48歳である。

退院後は月1回のペースで通院を続けていていたが、記録によると、通院中は、ほぼ以下の薬が処方されている。

リーマス(200)3T 朝、寝る前

ユーロジン(2)1T

サイレース(2)2T

プルゼニド 2T 寝る前

ロキソニン (腰痛のため)



 そして、退院後の9月27日、本人の「薬はいつまで飲むのか」との問いに「かなり高い確率で、やめると再発する」と当時の担当医師(仮に大橋医師)は答えている。

 その間、慎吾さんからは悪夢の訴えや、記憶力の衰えの訴えなどが頻繁になされている。



 2年後の1996年4月30日。

医師の記録によると、

「健康です。今服用している安定剤で頭が鈍くなることはありますか? これからかなり突っ込んで考える仕事が増える。なるべく薬は飲みたくない。Dr大橋には、一生飲んだ方がいいが、最低2年と。この4月で2年になった」と慎吾さんは訴えたが、その時の担当医師から、「仕事のストレスがある上、減薬で一度に負荷をかけないほうがいい」と言われ、慎吾さんは「わかった」と答えている。



 しかし、半年後の同年10月、慎吾さんは通院を一時中断。薬は会社の人がときどき取りに行っている様子がカルテからうかがえる。

 そして、記録は、その3カ月後の1997年1月29日に一気に飛ぶ。



医師(担当医師、仮に田中女医)による記録

息子、親戚の方(仮に小林倫子――この人は、慎吾さんの強制入院につながる事前の家族相談のときに、慎吾さんの当時の妻とともに、医師に面談している女性だ)

 正月に入った頃より、電話、家への訪問の回数減る。易怒的になったり、父のことを責めるようなことが多くなった。先日は父の前で刃物をちらつかせて脅すようなこともあった。1年ほど前から護身用に常に刃物を持っている。94年に入院した頃と同様の状態になってきている。

 娘のところへ「殺すぞ」というような電話も入れたりしている。

 受診させたいが、本人は拒否。

 おそらく10月よりMittel(注、薬)中断。

 当院、開放なので、入院治療は無理→他院へ紹介の方向。


 入院にこぎつけるために。

①父(同病院の)16階に再入院してもらい(注・それまで、父親も同病院に癌のため入院していた)、本人に具合が悪いのですぐ来てほしいと連絡をとる。

父の病室へ来たところを、イソミタール注射し、搬送


問題点

①紹介する病院はどこに?

②どこで筋注するか?


息子宅訪問のときに、セレネース液大量に(10mlくらい)飲ませてもらう

次回、連絡あったら、セレネース液、処方する。


息子さん、再度来院、右処方する。 セレネース液0.2% 15ml






 

 つまり、これは、慎吾さんの状態が非常に悪いと、親戚の小林倫子さん(実は親戚でもなんでもなく、他人である)と、息子(ハワイ留学から帰ったばかりで、事情のよく飲みこめていない)からの申し出によって、田中女医とともに3人で、父親の病室に呼び出してイソミタールの注射をするか、あるいは息子の家に来たときに、セレネースを大量に飲ませようかと、強制入院のやり方について相談しているということである。


そもそも3年前の、1994年の入院のときも、妻とこの小林倫子という女性が家族相談のため病院を訪ね、結果、3日後に慎吾さんはイソミタール注射によって搬送、医療保護入院という経過をたどっているのだ。


妻と小林倫子が医師に訴えたことは以下のとおりである。

1994年7月1日

妻、小林倫子さん(患者の母方の親戚)――ウソ? とあとから医師が書き足した文字がある

本人は○○会社の社長をやっている。

1年くらい前から麻薬を用いているのではないか。

薬が切れると? 大声を出し、訳のわからぬことを言い出した(この5日前から)

この1年間、5日前まで仕事はできていた。

夜中、眠れず、出ていく。他の女性のところに行く。

落ち込み、家に閉じこもり、霊だとか神だとか言い、刃物を持ち、暴力的となった。


1994年6月27日から、家族の手にあまるほど調子が高くなり、昼夜かまわず電話をかけたり、大声で怒鳴ったり、夜はだしのまま外をウロウロと徘徊する。

妄想が強くなり、自分は全能の神だから何でもできる、家族に悪霊が入り込んでいるから退治するために殺さなければいけないと、暴力をふるおうとしたり、父親に対し、父親は大悪人だと大声をあげてくってかかり、椅子を投げつけるなど、興奮して暴力的な行為を行い、家族の身の危険があった。

本人は病識が欠如していて、自分はどこもおかしくないと家族の入院の勧めを拒否している。


 

 連載最初のエントリにも書いたが、これらはすべて、妻と小林倫子さんが主張した「話」である。

 そして結局、7月4日、朝方やってきた病院関係者にイソミタールの注射をされて、医療保護入院という経過であるが、まさにこれと同様のことが再び繰り返されようとしていたのだ。

                       (つづく)