中断していた「奇妙な入院」を再開します。
これまでの経過をざっと書けば、まず7月4日の早朝、慎吾さんはイソミタールの注射をされて医療保護入院となった。診断名は、躁病。その後、薬物療法を続けるも、医師の見方は「薬の効果が薄い」ということで、電気ショック療法(ECT)が施行された。全部で29回。
慎吾さんの状態は日に日に悪化していくが、それでもECTは続けられ、予定の2クール目が終了したのが8月4日である。
その日の看護記録によると――
「何もないところをつかんだりする。表情、ぼおっとしている。ずっと休憩室で過ごす。食事は飲みこみにくさあり。発語あるも不明瞭。空をつかむ動作あり」
といった状態で、ほとんど「廃人」状態だ。
その後の、8月8日医師の記録
8月3、4、5日は呆として、身体もふらふらしている。車イスに乗っていたりしたが、6日頃より意識は少しずつしっかりしてきている。病棟内をうろうろしているが、歩行はふらふらしている。 |
8月9日の看護記録
12時 「自分はどうして入院したのですか? 今日のスケジュール教えてください」 ウロウロしており、いまひとつ自分の居場所がはっきりしない様子。 「8月」と答えるが、日付はわからず。 |
しかし、同日の医師の記録にはこうある。
少しずつやかましくなってきている。 Anatenzol depot(アナテンゾール・デポ) 2vial 筋注 |
アナテンゾール(フルフェナジン)は、抗精神病薬で、ドーパミンD2受容体を遮断し、主に統合失調症、躁病、うつ病などの治療薬として用いられる。また、鎮静剤として処方されることもある薬剤である。
ECT施行後、時間と共に徐々にその影響から脱しつつあった慎吾さんが、多少の「アクション」を起こしはじめた途端、医師は「やかましい」という判断を下し、すぐさま抗精神病薬の注射がオーダーされるという成り行きだ。
8月10日の看護記録
8時 目覚めやや不良。 「ここはどこなんだ。財布とかばんがないんだけど、ちょっと、10時まででいいから、ドアを開けてくれ、すぐ帰ってくるから。お金がないんだよ。何もわからないし、おかしいなあ」 記銘力障害による不安強い様子。離院注意。
12時 「Nsさん、お願い、出して。外出簿にすでに記入している」 外出できないことを説明すると、「お願い」と笑いながら言うが、それ以上言ってくることはない。 16時 ときどき入口のドアをガチャガチャさせている。易怒的になることはない。 その後も、病院から出してほしい、すぐ帰ってくるからと要求何度もある。 |
同日の医師の記録
すっきりしつつあるようだが、その分、記憶の欠落による不安感がある。なぜ入院しているのか等言い出している。家に戻らないと、と言う。30分でもいいから帰してくれとしつこい。 夕より Tolopelon(トロペロン)27㎎ Barnetil(バルネチール)600㎎ |
記憶の欠落は、ECTの影響だろう。そして、帰宅要求が出たところで、すぐさま薬の増量である。
トロペロンはブチロフェノン系の定型抗精神病薬で、妄想や幻覚をおさえる作用が強いとされる。また、バルネチール(スルトプリド)も抗精神病薬で、興奮状態や躁状態の鎮静に使われる薬剤である。
それでも、慎吾さんの「帰宅要求」は続き、翌8月11日の看護記録には「ドアが開くと出ようとすることがあるが、無理に行こうとはしない」とある。「少しでいいから家に帰らせて、30分でいいから、ね」「どうしてここにいるか、わからないんだよなあ」(注・記憶の欠落)Dr、Nsに説明されるが、同様の訴えをする。イライラしている様子。要注意。」
同日の医師の記録
夕方より、 Limas(リーマス)800㎎はじめる。 やはり30分でいいから一度家に帰してくれと言う。 今日は? 8日(本当は11日)。 何月? 8月。 7月のことは覚えているか? いない。 6月は? わからない。何で入院しているかわからない。 Lodopin(ロドピン)300㎎追加。 |
この頃の慎吾さんの抗精神病薬のCP換算値は2400ほどだ。
帰宅要求をするたびに薬が増えているが、なぜしつこく帰宅要求をするのかの考察を医療者側はせず(記憶の欠落のためと記録に記しているにもかかわらずだ)、ただ薬を増やすだけである。
要は、ひたすら、帰宅要求(あるいは行動)を抑え込むための過鎮静である。
それでも慎吾さんの帰宅要求、離院行動は続く。
(つづく)