世の中、何が起こるかわからない。

 ごく普通の日常生活の流れのなかで、思いもかけず、ある日突然、とんでもない状況に陥れられることがある。本人にはまったく非はない(少なくともそこまでされるほどの非はない)にもかかわらずだ。

 被害者面をした加害者と、権力を持つ団体が手を組んで、それは仕組まれる。

 厄介なのは、被害者という顔を持つ迫害者だ。世間は被害者の話ばかりを聞きたがる。それを真に受け、団体がある種の手を貸す。

 両者の間にあるものは、利害関係か。それとも、そこは元々そういう世界なのか……。

 なにやらオドロオドロシイが、精神科病院にまつわる話である。



「カルテを公開したい」と、私に連絡をくれたのは、被害にあわれた男性(64歳・仮に慎吾さんとする)の奥さん(44歳・仮に千鶴子さんとする)である。

 事件が起きたのは、今から17年前のちょうど今日、7月4日のことだった。曜日も同じ月曜日。そこで、同じ7月4日のブログでぜひ公開してほしいということになったのである。


 17年前、当時慎吾さんは別の女性と結婚していた。子供も二人いて、結婚22年ほどが経過している。

 したがって、カルテに書かれていない事件の概要は、慎吾さんから千鶴子さんが聞いたものである。二人が再婚したのは一昨年だ。

 

 17年という歳月が経過していたが、大きな病院(都内某所にある、某巨大医療センターである)ということもあり、カルテは残されていた。

カルテ開示を行ったとき、千鶴子さんは病院関係者から「医療裁判について」というパンフレットを示された。「はい、裁判をするならこういう手順でお願いします」というわけだ。

 しかし、裁判を起こす気はない。ただ、あのときこの病院で慎吾さんにいったい何があったのか、それを知りたいだけである。

 慎吾さんには当時の「治療」のせいで、記憶の欠落がある。退院後の離婚、そして千鶴子さんと出会うまでのあいだ、ときに病院内での出来事をはっきりさせたいと願いながらも、途切れがちの記憶のため、行動に移すことができなかった。

そして、今回(去年の秋)、カルテを開示してみて、驚いた。信じられない。こんな「治療」を受けていたのか……。



カルテは膨大な量になる。これからそれを少しずつ公開していこうと思う。ブログへの掲載は間欠的になると思うが、数回に分けて公開し、とにかく今日がその第一回目である。

二人に「告発」という気持ちもなくはないが、それよりも、カルテを公開することで、日本の精神医療(しかも、某巨大医療センターの精神科)の実態がどのようなものなのか、この事実を大勢の人に知ってもらいたいという気持ちである。

 そして、精神科医と言われる人たちに、精神医療というものを、ちょっと立ち止まってもう一度見直してもらいたい、その一石になればいいと思っている。

こんなことを「医療」として許してはいけない……。二人がそう願う根本には、電気ショック療法(ECT)への強い憤りがある。

「人は記憶によって生きている。その記憶をいじってはいけない。そんなのは医療ではない。記憶を失うということが、人間としてどれほどの痛手となるか……」と千鶴子さんは訴える。



 まずは、7月4日の入院のいきさつからみていこう。

 その日の早朝、突然数人の人間が家にやってきて、慎吾さんを抑えつけ、腕に注射をしたのだ。

しかし、記憶はそれだけである。記憶の欠落のため、どう考えても、その日のことは、これ以上思いだせない。

複数の人間に押さえつけられ、注射をされて、そのまま精神科に入院。まさに晴天の霹靂である。本人にはまったく身に覚えがなく、それ以前に精神科の受診もないのである。

 カルテ等の記述は以下の通り。


7月4日

 朝6時少し前に本人より妻のところに、これから行くとTelがあった(注・当時すでに慎吾さんと前妻はほとんど別居状態)。本人が5分位して家にやって来た。はじめはおとなしかったのだが、息子がいない、どこに行ったのかと騒ぎはじめ、その後、霊魂の話、家族に悪魔が入り込んでいるから退治する、と言ったり、父親は大悪人だと言ったりして興奮する。手に負えないので、何とかしてほしいと連絡が入る。本人にイソミタールを注射し、入院となる。(医療保護入院)


〈入院経過〉

 7月4日、入院。大声を出して怒鳴ったり、素直になったり、感情の振幅が大きい。

  Anatensol(注・アナテンゾール、 フェノチアジン系抗精神病薬)depot 2vial筋注。次いで、Serenace(セレネース・抗精神病薬)6A+Akineton(注・アキネトン)1Aの点滴をする。

「明日は会社に行かなければならないから退院する」「霊のことは信じるか? 信じない人には話をしてもしようがない」と言ったりする。

 経口薬 Lodopin (ロドピン、非定型抗精神病薬)400㎎/4×

     Avtane 6㎎/3×

     Contomin (コントミン)100㎎/1×

     Hirunamin (ヒルナミン)100㎎/1×

     Pyrethia (ピレチア)50㎎/1×

 経口薬は一度拒否するも、説得で内服する。一日中、傾眠。



 しかし、じつは、事態はこれ以前に動いていたのだ。

 今回カルテを取り寄せて、慎吾さんも始めて知った事実だが……。

 保護入院となる3日前、7月1日(金曜日)に、実は、妻と知人がこの病院の精神科を訪れていたのである。


7月1日

 妻、○○○子さん(知人)2人が家族相談で来院。本人を連れてきて入院という話になったが、本人つかまらず、その日の入院はできなかった。


 

 さらにそれ以前の記録によると


1994年4月。仕事上のトラブルがあり、その頃から少しずつ感情を爆発させるようになりはじめた。

6月27日、夜、父親の家で、父親と話をしていて、急に大声で父親を怒鳴りつけ、椅子を投げつけたりした。声に気付いた息子が助けに入った。

 夜間、不眠。夜昼区別なく出歩いたり、Telしたりする。自分は神で、この世で一番偉い、何でもできると言ったり、悪霊が家族の誰それに憑いている。追い出さないといけないと言ったりして妄想的。

 

 

 慎吾さんは父親の経営していた会社をゆずりうけ、そのことで父親との対立があったようだ。

 しかし、上記のカルテに書かれているのは、ほとんどが妻の陳述によるもので、「医療保護入院者の入院届」にも陳述者として妻のサインがある。

 また、医療保護入院時の告知については、告知事項のうち「全部」を本人に知らせていない。その理由として「興奮」があげられている。


 診断は、DSMⅢR 双極性障害躁病型、躁病エピソード、精神病像を伴うもの。

     ICD10 双極性感情障害 現在精神病症状を伴う躁病エピソード。

 とあり、主たる精神障害として「躁病」と書かれている。


 同日の看護記録から。


7月4日 ストレッチャーにて、息子と共に入棟する。

 9時 タッチガード装着。スムースに応じる。

・・・・・・・・・

11時 上肢の運動が激しくなり。上肢抑制。さらに、その後、下肢も抑制。

 午後5時50分

「外してくれませんか? 私は病気じゃありません。父が入れたんです」

 訴えあるも、口調わりに穏やか。

 夕食促すと介助で6分の5摂取。

 介助中も父親の話をしきりに行う。病識ない様子。霊、悪魔の話出てこず。

 

 

 突然、襲われるように注射をされて、何が何だかわからぬまま、この日に医療保護入院をした慎吾さんは、その後、70日間、閉鎖病棟の住人となる。そして、そこで実にさまざまな「治療」を受けることになるのだ。             (つづく)