(1からのつづき)

心が殺される

 向精神薬によっても、人は同様の状態に陥る。Kさんが入院しているとき、たまたま知り合い、私のブログにも登場してくれたSさん。http://ameblo.jp/momo-kako/entry-10584992603.html

 彼女の場合、薬によって「感情、感覚」というものを失ってしまった。喜怒哀楽がなくなり、時間の感覚、空腹、喉の渇きさえもわからない状態。薬を止めてもう3年ほど経っているにもかかわらずだ。

 つまり、精神科治療の方法は、隔離にしろ薬にしろ、人間をこのような状態に落とし入れる凶器にもなるということである。ちょっとした不眠、ちょっとした精神の不安定さ。それらが、精神科という領域に関わったとたん、もともとの症状など無視した、とてつもなく長いあいだ不治の病としてとらえられている「精神病」とみなされ、それに沿った「治療」が施され、その結果、人間が人間であるもっとも根幹の部分、柔らかい「心」や感情、感覚をズタズタにしてしまう。


 Kさんと同様の体験で、解離を起こした例がもう一つある。

 http://ameblo.jp/momo-kako/entry-10841002735.html

 サトシ君(当時17歳、現在20歳)の例だ。

 彼もまた精神科病院の隔離室での恐怖の体験が現在の症状につながっていると思われる。

 最初、私はサトシ君の症状(精神が不安定で外出できない、心臓が止まりそうになるなど)は、倍の用量のヒルナミン筋注やその後の服薬が大きな原因ではないかと考えていた。しかし、サトシ君が最初にくれたメールにはこうあったのだ。

「強制入院の体験者です。

 私も幽霊のようになりました。

 薬でなっているのか、精神病をもらったのかわかりません。

 元は正常でした。

 幽霊のようになるのは、薬が原因でしょうか」


「精神病をもらった」という表現が気になっていたので、ブログ掲載後、たまたま彼から電話がかかってきたので、もう一度話をじっくり聞いてみた。

「心臓が止まりそうになって、石みたいになって、真っ白になって、気絶するんです。そのまま2日間気づかないまま過ぎていることもありました。前は一週間くらい意識がなかったこともありました。親ですか? とくに何も言わないけれど……」

 サトシ君は現在、心療内科に通院しながら、ランドセンを処方され、それを飲むと少しよくなったような気もするが、だんだん効かなくなってきていると言う。

「外に出ると、ふらふらして。それで、自殺したくなったり、人を殺したくなったりして、自分では止められない、体が勝手に動いてしまうんです。自分でも知らないうちに念仏を唱えていることがあります。脳が溶けたみたいで、空間が歪んで見えて、だから、外に出られない状態です」


「念仏を唱える」というのが非常に私は気になった。彼が隔離室に入れられているとき、隣の部屋から念仏を唱える患者の声がずっと聞こえていたと、以前話したとき彼が言っていたからだ。

 その患者のように、今は自分が念仏を唱えている……つまり、それがサトシ君のいう「精神病をもらった」ということなのだろう。

精神病をもらう、何かがのりうつる……しかし、私には、解離性同一性障害(多重人格)のように思われた。意識を失っていた2日間とか1週間のあいだは別の人格が生活をしていたのではないか。だから、親は何も言わなかったのではないか。

サトシ君に、まったくの素人の感想だがと前置きして、そのことを伝えると、心療内科の医師も解離は認めているという。

 本来受け止め難い現実、その現実を直視したら人格が崩壊してしまうような現実から、自分を守るために逃避して、その思考停止の状態の中で、生存のために生物的本能に支配された別人格が生まれてしまう。

もう一度言うが、私はまったくの素人であるから、このあたりの定義は正確ではないかもしれない。そして、サトシ君がそれに当てはまるかどうかもわからない。

 しかし、Kさんにしろ、サトシ君にしろ、隔離室での恐怖の体験が「心を壊してしまった」ことは確かだろう。

 隔離室の恐怖は、それほどのものだということだ。

 Kさんにしろ、サトシ君にしろ、受け止め難い恐怖から自分を守るために、現在の道を選ばざるを得なかった。「心」を殺したり、別の人格に恐怖をゆだねたりせざるを得なかった、それほどの恐怖であったということだ。


 少し古い数字だが、平成15年の精神保健福祉資料調査によると、

精神病床の入院患者数 32万3309人

一日に隔離室に隔離される患者数 7741人

一日に身体的拘束が行われる患者数 5109人

である。

 そして、精神病院を死亡によって退院する患者はひと月に1242人。

この数字には、精神科で治療を受けて、重体に陥り、他の医療機関や自宅などで死亡した人、あるいは自殺した人の数は含まれていない。

なんという数字だろう。


精神科病院は、新たな病気を作る場ではあっても、決して病気を治す場ではない。「錯乱」した患者を自傷、他害から守るための隔離室。必要悪という声も聞こえるが、本当に「錯乱」して、自他の命を保護する目的で入れられている人が実際どれほどいるのだろう。

せめて救われるのは、Kさんには子供がいるということだ。22歳、19歳、16歳の子供たち。

「お母さん、以前とは変わっちゃったけど、でも、変わらないところもあるよって言ってくれます。子供の1人が引きこもりみたいになったとき、私、別にそれでもいいと思って放っておいたことがあるんです。そのことを言ったんだと思いますけど、うちのお母さんは、普通のお母さんが言わないようなことを言って、いつも僕たちの味方だったよって言ってくれました」

 喜怒哀楽を失ったKさんだが、子供たちの話をしているときだけは、自然な笑みが顔に浮かぶ。親と子、愛情、いつくしみ、信頼関係……そうした人間の根幹にかかわる「情」の部分が、子供たちの存在によってまだ生きているのだ。「感情」がまだつながっているといってもいい。その部分を足掛かりに、Kさんの快復を祈るばかりである。