(2からのつづき)


退院、そして一気に薬をやめる

香織さんは退院後もこの病院に昨年(2010年)の8月まで通院した。

しかし、処方されていたマイスリーの副作用で、深夜に徘徊したり、夢遊状態で深夜に食事をして激太りしたとき医師にそれを訴えたところ、「それはよく聞く報告例だね」と平然と言われて、医師への不信感が大きく膨らんだ。医者なら患者の体重の増減くらい注視するのが普通ではないか。それをまるで気にも留めないというのは……。


「薬で20時間近く眠らされようが文句を言わなかった私も相当毒されていましたが、太ることに我慢ならなかったことが精神科と縁を切るきっかけになりました。今でも体重が元に戻らず、それだけでもストレスの元になっています。重篤な副作用も確かに経験しましたが、私は一番これが腹立たしかったです。

ちなみに、私の知り合いの知人は退院後数ヶ月で亡くなりました。外来を続けていて一度だけ本人にお会いしましたが、亡くなるような病気にかかっているような感じには見えませんでした。私にモルモットのようにこれだけの毒を盛り続けた医者ですから、この方も相当量の薬漬けに遭ってショックでも起こしたのではないかと…。私はそう思っています。」



精神科と縁を切り、香織さんは自己流ながら、断薬を決意する。

きっかけは、「薬漬けの状態が心身の限界を越えたから」としか言いようがない状態に陥ったため。しかも、当時は断薬、離脱症状などの言葉の存在自体知らなかったので、8年間薬漬けの状態から「もうこれ以上飲んでも絶対治らない」と思い、一気に薬をやめてしまった。



世界が滅亡しても自分だけが生き残ったような孤独感や絶望感

そして、現在、断薬5カ月目である。

「今の私の状態は、身体的な離脱症状のピークは越えていますが、一気に断薬した反動がひどく、かなり衰弱しています。肝臓の機能低下が著しく、生理が半年停止したままであることや、起き上がっていること自体ストレスになり、日常生活がままならない状態です。

漢方薬剤師の協力でずいぶん改善の方向に向かっていますが、ぶり返し(心身状態が突然不安定になる)にいまだに手を焼いています。

精神状態としては、本来の病気の症状の10倍くらいの責め苦に遭いました。

世界が滅亡しても自分だけが生き残ったような孤独感や絶望感。

死んだ方がマシだと本気で思う不安感。

一生社会に復帰できないと心の底から思う思考回路。

こういった精神状態を見事に反映する悪夢。

自分の叫び声で目が覚める。

等々、今は多少緩和されていますが、心身ともに間断なく責められるので、自尊心はボロボロになり、何度も自殺を考えました。

今は「完全な心身エネルギー不足」状態と言ったところです。

よく限界越えまで我慢したなと今では思いますが、私は気づくのが遅すぎたとも思います。 離脱症状は辛く、失った時間は後悔するしかなく、絶望したり虚無感でいっぱいになります。



私はあまりにも向精神薬に関して無知だったことが、こんなにも長期にわたって服用し続けた惨事を招いたと思っています。もちろん原因はこれだけではありませんが、無知だったことの恐ろしさを身をもって痛感しています。

今思い返せば、うつ状態というのは、何も向精神薬など飲まなくても、自分に備わっている自然治癒力と時間とで十分回復できることだったのです。

うつの原因は、私が経験した限りでは、極度疲労と栄養失調ではと思っています。詳しいことはわかりませんが、当時は食事の内容がめちゃくちゃ(偏食はもちろん、咀嚼を必要としない柔らかいものや、白砂糖を使った甘いものを極端に好む、野菜嫌いで動物性たんぱく質ばかり摂る)なのは、かなり信憑性が高い原因だと指摘する専門家がいますね。砂糖に至っては、「うつは白砂糖病の別名」と断言するイギリスの研究家もいるそうです(名前は忘れました…)

私が今お世話になっている漢方薬剤師は、「内臓疲労」が精神不安を引き起こすとしています。



偏見、無理解に苦しむ

「うつ病」が市民権を得てから敷居が下がったとは言うものの、偏見は根強いです。実際、私が入院した時に絶縁していった知人や態度を豹変させた知人がいます

本人もどうしてなのかわからず、だから家族でさえ理解してくれることはなく、「また香織がおかしなことを言い出した」といったような無言の反応をされます。

口では死にたいと言い、苦しくて本気でそう思うから、薬がそう思わせるから自分の状態を伝える言葉がそれしか見つからなくて、死ぬ死ぬと言っても、私の本能は「生きたい」と強く思っていたため、結局は「治して生きる」ことを選択できたのでは、と今はそう思います。



ちなみに、私の知人の母親は、四半世紀精神科の薬漬けです。具合が悪くなると決まって私に集中的に連絡をして来る方で、私も何年も、何度も電話やお会いしたりして、話してきましたが、「薬が病気を悪化させている」という事実を伝えてから連絡が来なくなりました。

信じ込まされているだけに、気づいた時のショックは大きいために、この事実を伝えるのはかなり酷ですから慎重に伝えられるように時間をかけましたが、私も早く気づいて欲しくてだんだん遠慮しなくなったら、私と話すのが嫌になったんだと思います。


直接的間接的にしろ、私はいろんな人に話を聞いてもらう機会がありましたが、その中で、私のうつ状態の元凶が精神科受診と薬だと見抜いた人はいませんでした。いろいろ言いたいことはありますが、おそらく、本当に知らないのだと思います。

たった一人だけ例外がいて、その人から漢方薬剤師の話を聞いて紹介され、今に至っています。



かすかな光を見出して

正直、私は「使命」という大仰な言葉がキライです。「使命があるから」とか「苦しい思いをしているには何か意味がある」とか、聞かされるこっちは無責任にしか受け止められないし、じゃあその意味を教えて欲しいと何年も何年も思ってきました。

自発的でない薬漬けで人生が狂わされた悔しさが、経験もしてない他人にわかるのか、わかってたまるかと思っても、やっぱりわかってもらいたい。大なり小なり、この薬害を経験した被害者はそう思うはずです(と私は思います)



それでも、昨日からかこさんとやり取りをさせて頂いて、大多数の人が理解不能であろうこんな気持ちや愚痴を聞いてくれる方がいるだけでも、私の気持ちは軽くなりましたし、前向きになってきました。

本当なら私は、自分のこの経験を活かせる活動ならどんなことでもしたいのですが、社会的身分があるわけでもなく、ただの精神科の元一患者です。何からどうやって行ったらいいのかまったくわかりません。

離脱は確かに耐え難い辛さですが、薬を飲み続けて死ぬ時に後悔しても遅いと思いますし(できない思考にされてしまうから後悔しないかもしれませんが)、私には実態を喋ることしかできません。

でも絶対に他の人に同じ苦しさを味わって欲しくない(製薬会社の人間、精神科医やその手先には味わって欲しいですが)です。

早く世間にこの薬害が認知されて、被害者には救済を、加害者には罰を与えられる、本当に正常な世の中になって欲しいと思います。

離脱の辛さに耐えているだけで精一杯の日々でしたが、今そのピークを越えた実感が得られる状態にまで回復したので、記憶をたどりながら回復記録などを書いていきたいと思います。

おそらくそれが、私が生まれてきて生き延びた「使命」なんじゃないかと思い始めています。(こういう格好つけた白々しい文句になるからそもそもイヤなんですよね(苦笑))