薬害イレッサ訴訟については、以前ブログでも取り上げたが、

http://ameblo.jp/momo-kako/entry-10694981265.html



 その裁判で、1月7日、東京地裁と大阪地裁は「被告側は患者の救済を図る責任がある」として、国とアストラゼネカ社(イレッサの販売元)が和解金を支払うことなどを内容とする和解を当事者双方に勧告している。

 裁判では、イレッサの承認や安全対策に携わった医師の中に自ら関係する大学やNPOに同社から多額の寄付金を受けたり、同社主催の講演会などに関係していた人がいたことが明らかにされ、そうした安全性を軽視した承認審査や、後手に回った被害防止策の事実を認めたうえでの、患者救済勧告である。

 勧告では、イレッサが承認された日から副作用の注意を喚起する緊急安全性情報が出された3ヵ月の間に「副作用に関する十分な記載がなされていたとはいえない状況にあった」とし、この間に投与を受け、副作用による重い間質性肺炎を発症した患者について、被告側が患者や遺族の原告に和解金を支払うべき、としている。



承認からわずか8年で、副作用による死者は819人。


翻って、向精神薬はどうだろう。

その承認においては、「安全対策に携わった医師の中に自ら関係する大学やNPOに同社から多額の寄付金を受けたり、同社主催の講演会などに関係していた人」は、おそらくイレッサに勝るとも劣らない数いるはずである。つまり、薬の安全性軽視という点においては、イレッサ同様限りなく黒に近い灰色である。

そして、イレッサでは、副作用に関する十分な記載がなかったことを患者救済のひとつの理由にあげているが、向精神薬についてはどうか?

まず言えるのは、医師による副作用に関する十分な説明がなされているとは言い難い。副作用のひとつ、アカシジアについても、処方前、医師から説明を受けた患者はどれくらいいるだろう。

しかし、「PMDA」(独立行政法人医薬品医療機器総合機構)の「重篤副作用マニュアル」では、アカシジアは自殺の原因になると認めている副作用である(薬剤によっては出現率20~40%)。


イレッサの副作用で死亡するのと、向精神薬の副作用で死亡(たとえば自殺)するのと、違いはどこにあるのか。


今回イレッサ訴訟では患者救済を裁判所が勧告した。
ならば、向精神薬の副作用における死、そして重篤な副作用についても、救済されてしかるべきではないだろうか。それを弁別するとしたら、双方の問題のどこに違いがあるというのか。


今回のニュースでもう一つ目にとまった事実がある。

製薬各社の拠出金で運営されている医薬品副作用被害救済制度では、がん患者をその対象から外しているのだ。

「がん治療における副作用は当然のこと、がん患者は薬の副作用で亡くなっても仕方がない」と言わんばかりの扱いだが、精神疾患の治療においても、救済制度からはねられるのがほとんどと聞く。

上の文章の「がん」を「精神疾患」に置き換えて読んでみてほしい。それすれば、現在行われている精神医療というものの本音がよくわかるような気がする。