私も薬のせいでここに書いてある人たちと同じようになっていました。ただ20代の記憶がほとんどないので症状が書けません。

私はこちらのブログを読むまで、自分が薬の副作用と離脱症状で廃人になっていたと気付きもしませんでした。ただ心が壊れてしまったんだと思っていました。

私の場合は薬を飲んで、食欲がまったくなくなったり、笑えなくなったり、リスカをしたり、薬を沢山飲んで病院へ運ばれたり、入院したりを繰り返して、病院を変えては薬が変わり、副作用離脱症状を繰り返していたと思います。こちらのブログを読んで、10年たった今、副作用離脱症状に苦しんでいたと知りました。

私の人生が狂ったのは薬のせいだったんだ。自業自得とは言え、何も知らなかった10年間が恐ろしいです。

幸い、私の場合、妊娠をきっかけに薬をやめました。笑えなくなった時、本を読めなくなった時、私はうつになったと思っていました。娘の誕生日がなかなか覚えられないし、両親の誕生日を忘れてしまいました。でも、突然笑えるようになりました。今は仕事もしています。記憶障害はありますが、まわりに悟られずに何とかやっています。私は飲んでいる期間が数年(3年くらい)だったから、元通りとはいかなくてもある程度元に戻れたのかもしれません。でも、戻れたのですから、みなさんにも希望を持って欲しいです。



3年間の服薬で、ここ10年の記憶がはっきりしない

 私は今32歳、娘は6歳です。

 受診したのは、たぶん10年くらい前だと思います。(記憶がはっきりしません。)、恋愛でうまくいかなくなり、体重減少、不眠症、過食嘔吐。ボーッとすることが多くなり、兄嫁に相談して心療内科を受診しました。

でも、そこで話した内容や医者の診断内容、薬の内容などすべて記憶がありません。受診したときのことは断片的に覚えているだけです。

病院はいろいろ変わりました。

大量服薬して県立病院へ入院して、そこの先生から県立精神病院へ行くように言われて、意識朦朧としたまま入院手続きをして入院したことがあります。そこでは、数日間手足拘束、鍵と鉄格子の部屋で、病棟には毎日同じ歌を歌う人や怒鳴る人や叫ぶ人がいました。

意識がだんだんハッキリしてきたとき、もう私は大丈夫と必死にアピールして何とか両親と面会でき、退院したいと懇願しましたが、両親は私を置いて帰ってしまいました。私は「一生恨んでやる!」と叫びました。

 それでも母親は帰ってから考え直し、私を迎えにきてくれました。でも、いくら退院させたいと言っても許可がおりず、すでに夜遅くなり真っ暗のなか、母親は庭の方から柵つきの窓に立ち部屋にいる私に話しかけてきました。そして「必ず出してあげるから」と約束。それでなんとか数日後に退院することができました。

病院から紹介状を書いてもらったのですが、結局県立病院へ戻りました。そのとき飲んだ薬は何も覚えていません。その後、何度もリストカットや大量服薬を繰り返しました。

当時、薬は母親が本で調べて身体に悪いのは事前に抜き取っていたこともあるようです。私は母親に薬を管理されるのが嫌で、自分で管理して飲んでいたように思います。

大量服薬をしたあとは、母親に管理されると、別の心療内科に行き、また薬をもらい溜め込む。そして大量服薬、それを繰り返していたように思います。

当時は薬を飲んだり飲まなかったり、病院を転々としていたので薬の種類をしょっちゅう変えられ、大量服薬を繰り返していたので、副作用と離脱症状を繰り返していたと思います。なので、離脱症状か副作用かどれがどれだか分かりません。こちらのブログに出合うまで、離脱症状というものさえ知らず、当時はうつ症状がひどくなっていると思っていたのです。


薬を飲んでいるときは、感情がまったくない、他の人のように笑えない、本が読めない。大量服薬をして幻覚をみました。身体がムズムズしたりしました。痒いのとは違うけれど、どうにもならない歯がゆい感じで、気持ち悪いような、自分の身体と中身が別々になったような感覚を覚えています。それは何度も経験しました。

それから、何かが出来ない、という感じ。体調が悪くて出来ないのではなくて、ただ「出来ない」のです。

とにかくここのブログに書かれていたようなことは、症状が軽いにしてもすべて経験しました。経験してない人には分からない感覚だと思います。

1年くらい家に引きこもっていました。体重は37キロにまで落ちました。お風呂に入れない。部屋から出られない。灯油を入れられない。社会と繋がらないことに不安を覚えました。



妊娠をきっかけに断薬

それでも、必死の思いでアルバイトを始め、そこで知り合った人と付き合い、妊娠しました。でも、妊娠に気付かずまたしても大量服薬をしてしまい、そのことを産婦人科で話すと受け入れを拒否されました。もし赤ちゃんに影響がでていた場合、対応できないからということで、大きな病院での出産を勧められたのです。私はたとえ障害のある子が生まれるかもしれなくても出産を希望していました。それで県立病院の産婦人科に行きましたが、そこでも断られて、さらに大きな県立病院へ行くように言われました。もう気力もなくなり、しばらくはどこの病院にも行かず、5カ月目に入ったとき、結局最初に行った個人病院に相談をして、受け入れてもらうことができました。



そして、心療内科へは妊娠をきっかけに通わなくなり、薬も止めました。

 その数ヶ月前、私と同じように心療内科に通っていた友人が亡くなったのです。理由はよくわかりませんが、薬とお酒を一緒に飲んだからかもと思い、そんな経験もあって薬はきっぱり止めました。

 離脱症状はあまり覚えていません。ただ体調は悪かったです。頭痛、吐き気などありました。夫からも夫の家族からも出産を大反対されていたため、意気消沈していたので離脱症状なのか気持ちが不安定だったのか分かりません。一度、大きなお腹を抱えて飛び下りてしまおうと思ったこともありましたが、それも離脱症状なのか希望を失ってなのか、分かりません。ただ、頭痛、吐き気、首のあたりの痛みはとにかくひどかったことを覚えています。



 娘は無事に生まれました。1796gくらいで、数日間保育器に入りましたが、6歳の今、普通に育っていると思います。

 出産後は、全身に湿疹ができました。身体中の毛穴から膿が噴き出して、外に出られるまでに3年かかりました。

 記憶障害は今でもあります。まず、妊娠した年齢が思い出せない。自分の年齢が分からない。考えないと分からないんです。32歳と分かっても、なんかこう感覚がない。

28歳の時29歳と答えていました。夫に28歳と指摘されるまで気付かない。指摘されてもピンとこない。本当に? と何度も聞き返していました。本当に分からないんです。自分が何歳なのか、考えたり計算したり、逆算したりすれば分かるのですが、感覚的に自分が何歳なのか自覚がない。何て説明すれば良いのか分かりませんが、自分が何歳かがとにかくピンとこない。自分の年齢を覚える前に自覚する前にまた誕生日が来てしまい、また年齢を覚え直さないといけない。薬のせいだと思っていなかったので失敗談として笑い話にしていましたが……。

 


 それでも、私にもふいに笑えるときがきました。テレビを見ていて、最初は笑い声が自分だとは気付きませんでした。次の瞬間「あっ、笑えたんだ」と思いました。それから少しずつ戻っていったように思います。みんなも私のようにふいに戻れる日がくるかもしれません。沢山の離脱症状がありましたが、それでも感情や食欲が戻ったのです。みんなにも希望を持って欲しいです。



薬のせいとは知らずに再び受診

このブログに出会って、うつだと思っていた症状は薬によるものだったと今ハッキリとわかりました。副作用、離脱症状とうつの症状は似ていると思います。でも、このブログに出会う前、10年前のことが薬のせいとは知らずに、なんとなく調子が悪かったので(それも離脱症状だったのかもしれないと今は思いますが)、また病院へ行ってしまいました。

そこで、重度のうつだと診断されましたソラナックスとパキシル10㎎、朝晩2回の処方でしたが、それだと一日中眠くて起き上がれずに仕事も出来ないため、医者に連絡したらパキシル10㎎夜1錠だけになりました。

 その2回目の診察で、今度は医者は、うつではないと言いました。(それなのに、なぜパキシルを出すのかわかりませんが)。

とにかく、うつの人は副作用とうつ症状の区別がつかないのだろうと、今回の診察で確信しました。私はうつ症状の自覚がなかったので、薬の副作用だと強く感じたからです。以前は薬を飲んでもうつが悪くなっていると思い、副作用ではなく自分の症状として医者に話していたので、薬が増えていったように思います。

 それにしても、ブログを読んで、すでに薬を飲み始めているので、どうしたらよいか迷っています。10月21日から飲んでいます。

 今また薬に頼る自分がいます。夜中の寝汗や、寝てもすぐに目が覚めてそれから寝付けない。結局寝たのか寝てないのか分からない。生あくびが出る。手足の汗。便秘。歯ぎしりのような力が入る。次の診察でパキシル10㎎を半分にして欲しいと聞いてみる予定です。

 それにしても、10年ぶりに医者にかかって感じたのですが、医者は薬の効き目や副作用、離脱症状や、なぜ病状が悪くなるのかなど、薬の説明書だけを頭に入れていて、目の前の患者に起きていることはまったく理解してないと感じました。頭が良いのに何故? 経験したからだと思いますが、精神科にかかる患者たちの中で、何が起きているのか私にでも分かるのに。

 長文失礼しました。