うつ病は脳内のセロトニン不足が原因である。

これはSSRIが発売されるようになってから、何度も強調されてきた説である。

 しかし、あくまでも仮説にすぎず、うつ病のSSRIによる治療は、その仮説の上に成り立っている。

 だが、本当のことを言えば、それは仮説ですらなかったのだ。




これを何の薬として売り出そうか?

 最初のSSRI(といっても当時はまだこの言葉は存在していなかったが)、フルオキセチン(商品名はプロザック・日本では未発売)が合成されたのは1972年。プロザックの発売元、イーライリリー社は、しかし当初、これをうつ病治療剤として使おうという目論見はもっていなかったのである。

 とにかくフルオキセチンという物質が合成された。さて、これを何の薬として売り出そうか?

 たしかに、それが脳内セロトニンの量に変化を及ぼすということはわかっていた。が、うつ状態の改善にはっきりした効果は見られなかった。また、脳内のセロトニン量を増やすことがうつ病の治療に有効であると信ずる理由も存在しなかったのである。




 製薬会社の方針転換は、ちょうどこのころ、1980年代に始まる。

不特定要素が多くコストがかかる新薬の開発よりも、安定した利潤を生みだすことのできる営業販売へと、その重心を移していったのだ。

それはひとえに製薬会社側の事情である。吸収合併を繰り返した結果、その巨大組織を維持するためには、時間も金もかかる新薬開発よりも、できた薬をいかにして売るか、そちらの方を追求する方が有効だった。つまり、販売戦略であり、なりふりかまわぬ市場の拡大である。



 そこでリリー社は、とにかく、フルオキセチンがセロトニン量に変化を起こすという事実を土台に、「うつはセロトニン不足による病である」といううたい文句で、これを新しい抗うつ薬として発売することにした。(1988年)




セロトニン戦略

 一方、スミスクライン・ビーチャム(SKB)社は、1980年代の終わりころ、デンマークの小さな会社からパロキセチンの開発権を安く買っていた。が、当初はリリー社同様、それを何の薬として売り出すべきか迷っていた。

抗うつ薬はすでにリリー社がプロザックを発売しており、市場を支配していた。そんなところにパロキセチンが勝負できる余地があるかどうか……。

うつ病=セロトニン不足説という土台はすでにリリー社が作っていた。さらに、パロキセチンは他よりセロトニンの生体利用率が高いという事実があった。

セロトニン、セロトニン……これを前面に押し出せば、いけるのではないか?

SKB社は、うつ病治療におけるセロトニンの役割を強調する戦略をとることにした。

それは、セロトニンの量が多ければ、それだけ病気に対して有効であるということがわかったからではない。そんなことは未だに証明されていない。これは単なる、販売戦略である。

SKB社の戦略は巧みだった。

「選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)という用語を作ったのもSKB社である。「選択的」と表現することで、あたかもパロキセチンはより純粋で特異的に作用し、競合する抗うつ薬より副作用の可能性が低いという思い込みを人々に植え付けた。

 他の製薬会社もセロトニンの欠乏によってうつ病が起こるというわかりやすい概念にとびつき、どこもSSRIの呼び方を採用するようになったのである。



 要するに、SSRIはうつ病治療薬として、時間と費用をかけて、(うつ病治療という)目標を絞ったプロセスを経て開発された薬ではない、ということだ。

 また、極論すれば、セロトニン不足説も、合成された薬剤がたまたまセロトニンの量に変化を与えたため、後追いとして、それをうつ病の原因としたまでのこと、と言えなくもない。




販売戦略の勝利

まさに、SSRIという薬は、製薬会社が生き残るために仕組まれた「販売戦略」の産物であったのだ。

しかし、戦略はそれだけではない。

一つには、病気の認識を広めるための啓蒙活動によって、さらなる市場の拡大を狙ったのである(これは日本においていまも行われている)。

さらに、うつ病治療に限らず、他の多くの情緒障害に対しても、これを推奨するようになった。社会不安障害、パニック障害、強迫性障害、月経前緊張症……いまも続々と新しい病名が「発明」され、治療薬としてSSRIが取りざたされている。

効能を追加することは、追加効能ごとに新たな特許を申請できるので、営業上非常に有利である。

事実、GSK社は、米国でパロキセチンについて、1998年から2001年の3年間で5度の特許切り替えに成功し、会社はこの間毎年10億ドル程度の売り上げ収入を得たのである。

(一方、リリー社はプロザックの特許が2001年に切れてから年間10億ドル以上の売り上げ収入を失った。)




ルール違反の臨床試験

こうしてそもそものSSRIの誕生を見てくると、臨床試験における「不公正」なやり方は、「せざるを得なかったこと」と言えなくもない。何といっても、SSRIは、最初に結論ありきの薬剤であり、あとで辻褄合わせをしなければならないのだ。

以前、パロキセチンの承認試験におけるルール違反的なデータの取り方について触れたが、

http://ameblo.jp/momo-kako/entry-10703897011.html

フルオキセチン(プロザック)の臨床試験においても、ルール違反が行われている。


例えば、「不安」と「抑うつ」は部分的に重複しているにもかかわらず、プロザックの規制当局であるFDAは、被験者に抗不安薬の併用を許した臨床試験結果に基づいて販売を許可してしまったのだ。

試験は4つ行われたが、このうち3つの試験では、被験者の4分の1(540人中135人)はフルオキセチン以外にもベンゾジアゼピン剤などを服用していた。これらの135人を評価対象から除外すると、フルオキセチンとプラシボの統計的な有意差はなくなる。さらに、最後の臨床試験は被験者に他の抗不安剤などの併用を禁止したものだったが、この試験ではフルオキセチンとプラシボの有意差は認められなかったのである。



にもかかわらず、SSRIは世界を席巻した。

それはSSRIが(これまで見てきたとおり)優れた薬剤であったからでも、また他の抗うつ剤より有効であったからでもない。

事実、新旧いずれの抗うつ剤も、有効性に関する限り、その差を証明するデータは存在しないのである。

ということは、SSRIの成功はまさに販売戦略の成功(しかも大成功)ということであり、それは医学、医療分野、マスコミ、政府機関、患者団体までをも巻き込んでの、大々的な戦略であった。

そうした企業側の論理による薬剤の売り込みは、当然のことながら、多くの、実に深刻な問題を生む結果となり、史上まれな薬害として、現在も進行中である。

2009年12月4日のブルームバーグ・ニュースによって伝えられた事実は、こうしたSSRIの成り立ちを考えれば、むしろ当然の帰結かもしれない。




薬害の事実

パキシルの副作用による自殺約150件の訴訟に対して、GSK社は一人当たり200万ドル(約1億6800万円)の和解金を支払っている。

約300件の自殺未遂には、一人当たり30万ドル(約2520万円)。

またパキシルが引き起こした依存症に関する3200件の訴訟では、GSK側がそれぞれ5万ドル(約420万円)を支払うことで決着している。

さらに、この巨大製薬企業は、独占禁止、虚偽行為、陰謀が疑われた裁判で約4億ドルを支払っている。

1992年に市場に出てから10億ドル近くをGSKはパキシル訴訟に費やしてきた。訴訟費用やその他のもめごとを処理した費用として、2008年度末の年次報告書には40億ドルが計上されていた。

600件を超える出生異常訴訟の最初の評決となった2009年10月13日の裁判では、妊娠中のパキシル服用により心臓に三か所の欠陥を持って生まれた原告側リアム・キルカーちゃんの家族に、賠償金2500万ドルが支払われることになった。





ちなみに日本国内でのパキシルの売り上げは、600億円以上である。


                        参考文献「暴走するクスリ?」チャールズ・メダワー、アニタ・ハードン



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