ブログで知り合った「心さん」(ハンドルネーム)に先日会ってきた。彼は現在39歳、ある地方都市に住んでいる。
心さんには、11年間におよぶ向精神薬との付き合いがある。現在はデパケン400㎎/日、セパゾン3㎎/日を飲み続けているが、社会復帰に向け、さまざまな活動をおこしているところだ。
激しい腹痛からメンタルクリニック受診へ
メンタルクリニックの受診は28歳のとき。大学を卒業後自動車販売の営業マンとして働いていたが、転職を決意。資格を取るため勉強を始めたころ、激しい腹痛に悩まされた。内科を受診し、検査という検査をすべて受けたが、原因が分からず、結局メンタルクリニックを紹介された。
そこでまず、リボトリールとドグマチールが処方された。
リボトリールはベンゾジアゼピン系の抗てんかん薬でパニック障害や躁うつ病に処方されるが、気分安定薬としても処方されることがあるようだ。また、ドグマチールは定型抗精神病薬。胃潰瘍の治療薬としても承認されている。胃痛を訴えたのでこの処方になったのだろうが、検査の結果、心さんの胃腸に異常は見つかっていないのだ。
約1ヶ月後、胃腸の具合がまったく改善しないため医師に告げると、今度はコントミンが処方された。もちろん、それまでの処方に上乗せの処方である。コントミンも抗精神病薬だ。
「いい薬だから」と医師はその薬を説明したが、心さんが、なぜ胃が治らないのかと質問すると、医師はこう答えたという。
「胃は自律神経だから、あきらめてください」
この時点で、なぜ胃痛で訪れた患者に、リボトリール、ドグマチール、コントミンが処方されることになったのか、まったく理解に苦しむ。
そして、薬を飲み始めて2、3ヵ月後、心さんに異常が生じた。おとなしい性格で、対人恐怖症的なところのある彼が、飛び込みで水商売のアルバイトを始めてしまったのだ。
「リボトリール(ベンゾ系)の奇異反応だったと今では思うんだけど」
またその頃からなんとなく近所の人が自分の噂話をしているような気になってしまい、それを正直に医師に告げると、今度はインプロメンが加わった。
インプロメンは精神神経安定剤で統合失調症などに処方される薬だ。これはかなり強い薬で、心さんは体のだるさを覚え「家の階段さえ、もう這うような感じになった。それにすごく太って、家にいてただぼーっとしているだけ。母親も言っているけど、その頃は、目が死んだ魚みたいだったって」
それでも最初の受診から1年くらいは薬を飲み続けたが、あまりの副作用のひどさに「もう、この医者はだめだ」と、心さんはそれまでの薬をばっさり切って、病院を変えることにした。
大学病院へ
「大学病院ならいい医者がいるかもしれないという間違った思い込みがあって」
同県内の大学病院の精神科を受診。その際、誤診されたくなかったので、これまでの症状や薬についてきちんとワープロに書きだして、医師に提出している。(平成14年6月)
その結果、出された薬が(1日量)
テグレトール400㎎
リスパダール2㎎
パキシル40㎎
アキネトン2㎎ である。
パキシルは最初からマックスの量が出された。また、テグレトールは抗てんかん薬で双極性障害などに処方されるもの。リスパダールは抗精神病薬で、アキネトンはこれらの薬の副作用(手の震えなど)を止めるための薬である。
これまた驚くばかりの薬の量だ。しかも、心さんは医師から一度も精神科としての診断名を聞いていない。
彼曰く「リスパが出された時点で、統合失調症だと思ったんだろうけど、統合失調症の人に統合失調症とは医師は言わないです。ショックで自殺されちゃ困るし」
リスパダールでひどい便秘に悩まされ(もちろん激太り)、イレウス(腸管内容の肛門側への移動が障害される病態)となった。
あ、これはやばい。そして減薬へ
その大学病院には半年ほど通院し、その後は別の市のメンタルクリニックへ、紹介状をもって、同処方で通院を続けている。そこに平成15年から平成20年の5年間。
心さんはその間、ずっと薬は言われたとおりに飲み続けた。しかし、リスパダールの副作用はひどかった。
「あの薬はものが考えられなくなる。泣くこともできない。昔のことも思い出せない。その頃よく思っていたのは、自分の頭でものを考えたいってことだった」
また、パキシルの副作用もひどかった。
「母親があくびをしても頭にきたし、冷蔵庫はぼっこぼこです」
始終イライラし、1日は寝て、起きて、食べて、薬を飲んで、また寝てで過ぎていった。
ちょうどその頃のことだ。ネットで知り合った看護師の女性から、「薬を減らした方がいい、こんなブログもあるよ」と、「仮福真琴さんのブログ」を教えられたのだ。それをじっくり読んでいくうちに、「あ、これはやばい」と思ったという。
それが心さんが減薬に励むきっかけとなった。
医師にも、「先生、薬こんなに飲んでたら、ダメになるので減らしてください」と言ったが、了解はしたものの、医師が減薬について指導してくれるわけではなかった。
自己流で何度も断薬しようとしたが、うまくいかなかった。一気に薬を止めると、数日は調子がいい。まるで本をパラパラとめくるように、自分の人生がさあーっと頭の中に思い出されていくような気がする。しかし、1週間くらい経つと、自殺衝動が出てきて、頭は痛いし、目の奥は痛いし、ふらふらするし、外に出られなくなる。そして、わけもなく涙が出て止まらなくなる。
「怖い、怖い、壊れそう」
「死にたいよ」
「もう少し様子見よう。具合悪すぎる」
パキシルをやめた後の、2009年2月頃の心さんのブログにはこんな言葉がよく記されている。
その後、自らインターネットで調べまくった。そして、薬は一気に切ってはダメ、少しずつ、脳をだましながら減らしていくことを知った。
そうやってパキシルを40→30→20→10→5→2.5→1.25㎎と減らしていった。アキネトンも断薬し、残るはテグレトールとリスパダール。しかし、リスパダールを止めると、涙が止まらなくなる。
そのことを医師に告げると、リスパダールからエビリファイに変わったが、今度は眠れない、非常に怒りっぽくなるという副作用が出た。
その頃になると、心さんの医師に対する信頼感はほとんどなかったと言っていい。自らインターネットで徹底的に調べた薬の知識から、医師に注文を出すようになったのだ。
「先生、こうしましょう、こうしてください。そうじゃないなら他のクリニックに行くから」くらいの勢いで迫ったという。
「それで、同じメジャーでも力価の低いセロクエルしてほしいと言った。そうしたらそのまま出してくれました」
これでは医師というより、「薬屋さん」だ。
セロクエルに変わったものの、どうしてもメジャートランキライザーからは抜け出したかった。そして、いろいろ調べていくうちに『精神科セカンドオピニオン』という本を知り、それを読みつくした結果、SSRIのルボックスがいいと判断。医師に言うと、今度もまたそのまま処方してくれた。それと同時にセパゾンも処方された。セパゾンはベンゾジアゼピン系のマイナートランキライザーだ。
その時点で心さんに処方されていたのは、テグレトール、ルボックス、セパゾン、となった。
その間、彼はさまざまな仕事に就いたが、就職しては辞めるを繰り返していた。
「38歳、転職、数知れず。定職就いたことないです。もう普通の世界には戻れないのでしょうか? ものすごい不安で起きてしまいました。」2009年9月25日。
そして翌日にはこんな日記。
「28歳のとき、あまりの腹部の痛みにやむを得ず安定剤を飲むことになり、人生を失いました。10年、自分の心が見えませんでした。今、薬が軽くなって、失った自分の青春を見やり、呆然自失の感があります。とくにリスパダールは激しい副作用で、自分を見失いました。」
(2へ続く)
しかし、テグレトールの副作用は、まずものが考えられない、だから、ちゃんと喋ることができない、言葉が出てこない。そこで医師に、テグレトールに変わる薬はないかと尋ねると、デパケンを勧めてきた。