前回とりあげたADHDをもう少し考えてみたいと思う。

『精神科治療学』の2010年7月号(vol.25)に「ADHD臨床の新展開Ⅱ」として特集が組まれている。その中で、前回の京都新聞にも登場した斉藤万比古氏(国立国際医療研究センター国府台病院児童精神科)が(永田真由氏との連名)「ADHA治療のアルゴリズム」という論文を発表している。

読んでみて、非常に気になったのは、この斉藤万比古氏という人は(この方のさまざまな背景や立場はまったく考えず、純粋に、素直な感想だが)、ADHD治療は薬物療法が一番である、という考えの人であるらしい。というのは、文章の端々にそれをうかがわせる言葉づかいがみられるからだ。

いわく、「2007年……リタリンの処方が……適応外処方であったとはいえ、子どもから成人までのADHDの有力な治療薬が使用不能になった衝撃は大きかった。」

いわく、「治験中からコンサータの作用の手ごたえにはすでに定評があり、処方医が登録制であるという制限はあったものの、登場後すぐに期待される治療薬として受け入れられている。」

いわく、「2009年6月に……ストラテラが……薬価収載されたことである。これにより我が国もようやく中枢刺激薬とSNRIという系統の異なる2種類の適応薬を得るに至った。」


ADHD治療の第一選択はやはり薬物療法?

そんな思いがあるからだろう。これ以後、筆者の論理は明らかに自家撞着に陥ってしまうのだ。

たとえば、EUにおいては「薬物療法はあくまで補助的な治療法として位置づけられ」ており、一方、米国では薬物療法が基本的な治療法であるが、日本はその中間に位置する、としながら、

「わが国のADHDの治療・支援指針は、かねてより薬物療法を治療の第一選択とはせず、SST、ペアレント・トレーニング、学校との連携などといった心理社会的な支援法を優先し、それによって十分な効果が望めない場合に薬物療法を追加すべきであるとする姿勢を貫いてきた。」と書いているが、そのすぐあとで、

「しかし、問題は……心理社会的な支援技法(ペアレント・トレーニングやSSTなど)がわが国では未だ十分に普及しておらず、これらの支援を優先しようにも実際には受けることができない場合が多いという点にある。」

 子どもに対する薬物療法が世間に受け入れにくいと考えてか、あるいは、その危険性をじつは把握しているからか、薬物療法は補助的な療法と筆者は何度も繰り返しつつ、実態は――

 心理社会的支援を第一とする「姿勢を貫いてきた」が、「実際には受けることができない」――。それは、薬物療法優先であるということを意味してはいないだろうか

 そしてご丁寧にも筆者は、ADHDの薬物療法アルゴリズムを(案)として提出しているのである。

それによると、ADHDと確定診断された場合、(筆者はまた、DSMーⅣに準拠したADHDの診断アルゴリズムを提唱している)

①コンサータかストラテラのいずれかを処方。それで効果がなかった場合は

②最初に選択しなかった薬物を使う。それでも効果がなかったら

③第三選択薬を追加するか置き換える。あるいは、

④コンサータとストラテラの併用療法を行う。

それでも効果がなかったら④と③のあいだを行ったり来たり、である。

おそらく、この間に薬物の種類や量は増えていくことだろう。




「お子さんは来なくてもいいですよ」で薬漬け

おもしろいのは、同じ雑誌に「AD/HDの薬物療法の批判的検討」という論文があることだ。筆者は山崎晃資氏(目白大学大学院生涯福祉研究所)。

筆者は、まず「最近、操作的診断基準による安易な診断が行われるようになり」「児童精神科医の薬物療法に対するある種のためらいがなくなった」と危惧する。

そして筆者が実際経験したこととして、次のような例をあげている。

「セカンド・オピニオンを求めて(やってきた)母親から事情を訊くと、短時間の診察で診断がなされ、すぐさま薬物療法が開始されるが、やがて「お子さんは来なくてもいいですよ」といわれたという。子どもが来院するとわずらわしいし、時間がかかるので、お母さんだけでいいということのようである。母親のみが定期的に通院していたが、受診するたびに担当医から尋ねられることは「この1~2ヵ月、いかがでしたか」ということである。母親は、家庭や学校において問題となったさまざまな事柄を話す。「困りましたね」と担当医はいい、当然のごとくに処方が変更され、服薬量が増えていく。」

 それでセカンド・オピニオンを求めたというわけだが、筆者が子ども会ったところ、確かに気になる行動があり、その場に無関係なことを多弁に話すが、だるそうで眠たそうにしている。明らかにオーバー・ドーシスと思われた。

 そこで母親と相談しながら、学校との連絡をとり、1ヵ月ごとに本人と母親への面接を行い、学校との情報交換のために連絡ノートを作り、徐々に薬の量を減らして、経過観察を行うことにした。

 このケースは「氷山の一角」にすぎないと筆者は書いている。




安易な診断、安易な投薬

筆者があげる現在行われているADHD治療の問題点はといえば、

①現行の操作的診断基準は未だ暫定的なものである。

②児童精神科薬物療法に関する未解決な問題が残されている(たとえば、成長・成熟への影響など)。

③精神療法的アプローチの基本がないがしろにされている。

④さらには、児童精神医学の基礎的なトレーニングも受けておらず、精神療法の素養に欠ける医師がADHDの臨床を行うことが多くなっている



 つまり、ADHDの診断は未だその基準もはっきりしていないにもかかわらず、安易にADHDの診断が下され、前期の斉藤氏の言葉を借りればSSTやペアレント・トレーニングが普及していない状況の元、(そうしたトレーニングも受けていない)さらには精神療法の素養に欠ける医師が、子どもが飲んだ場合の安全性の確立がなされていないにもかかわらず、安易に薬物療法を行っている、ということである。

この筆者の書くことが現実を伝えているのだとしたら(伝えているのだろうが)、本当に背筋が寒くなる。

ethylphenidate(以下MPH・コンサータはMPHの除法剤(徐々に成分が放出されること、長時間型)の場合、まずその作用機序はドパミンシナプス末端への再吸収阻害によるものと考えられており、画像による脳内薬物動態はコカインとほぼ同じなのだ。

副作用は、頭痛、胃痛、吐き気、不眠、反跳効果、いらいら、わずかに多動になる。成長を抑制する可能性がある。心拍数の増加、血圧上昇。また、米国には三環系抗うつ薬の併用中に死亡した例がいくつか報告されている。

 また、成長後にMPH依存状態を示す例がある。とくに、成人期ADHDにMPHをはじめとする中枢刺激薬を用いた場合の依存リスクについては注意が必要という。

MPHが依存・乱用を発現させることについての明確な根拠はないが、ADHDでMPHを服用した多くの子どもたちが成長したあとに、依存・乱用となった症例は現に多数ある。

MPH服用後に「NICE」「VERY HAPPY」と感じたという例の報告が海外にある。また、筆者自身も「MPHを飲むと、すっきりする。気分がよくなる」と訴える子どもの例を知っているという。依存への第一段階だろう。

 そのような薬をわずか6歳の子どもが服用して本当に大丈夫なのだろうか? 中毒患者を医療自らが作り出すことになりはしないのだろうか?

 安易な診断、安易な投薬……。

 日本の精神医療のキーワードと言ってもいい言葉かもしれない。

 そんな日本の未来は、はたして明るいのだろうか?