なぜ多剤大量処方がこれほど蔓延してしまったのかという疑問がずっとある。いろいろ想像はできるが、確証がない。

なぜなのか? その思いでいくつか精神医療の専門雑誌をめくっていると、なんとなく見えてくるものがあった。

『精神科治療学』という雑誌(星和書店)の2010年3月(第25巻3号)に「なぜ薬物療法偏重となるか」というそのものずばりの論文があった。筆者は北里大学医学部精神科の宮岡等氏だ。


整理すると、こういうことのようである。(言っておくが、以下はほとんどが引用で、私が批判的に書いたわけではない)。


1、精神医療においては、適切な治療ガイドラインが少ない。

 そのため、自分の臨床経験に頼っただけの治療方針が許容されてしまい、施設によっては最低レベルの治療すら保証されないという事態もすでに起こっている。そうしたなか、実施しやすいという、それだけの理由で、薬物療法が選択されてしまっている。


2、うつ病の治療アルゴリズムでは薬物療法が第一選択肢である。

 実際の臨床場面では、かなり単純化されたアルゴリズム(フローチャート式に最初の処方から後々の病状の変化に応じて、どういう薬を処方するかが示されている)が利用されている。それに従えば、軽度、中度のうつ病では第一段階として、SSRI+ベンゾジアゼピンが有無を言わせず処方されることになる。

3、診断基準の問題

 現在多く行われているのがDSM(あるいはIDC)であるが、それではいくつかの項目をチェックするだけで診断を下してしまい、心理社会的側面はまったく無視することになる。そして、「症状を聞いて、DSMにあてはまりそうな部分を見て、薬物を処方する」ことが一部の精神科臨床でまかりとおっている。(まったくその通りである。)



4、精神科医の診断能力

――何度も書くが、以下も筆者が書いているそのままの引用だ。実を言うと、これを読んで、私は、現場の現実を医師サイドから聞かされたような驚きを感じた。

「眠れないという訴えがあるとすぐにベンゾジアゼピン系睡眠薬を処方する医師にしばしば出会う。服薬しても眠れないと患者に言われたらさらに薬剤を増量するか、他の薬剤を追加する。……同様に、うつ状態が改善しないとき、次々に抗うつ薬を変えたり、増やしたりするだけの精神科医にもよく出会う。不眠と同じように生活環境などについて尋ねるのは必須であろう。

 このような不適切な臨床がさほど珍しくなくなっている現状で、精神科医を名乗る医師にどの程度の能力を求めるか、どのような教育を行うべきかは早急に検討されねばならない。」

精神科医を名乗る医師にどの程度の能力を求めるか……とは、つまり、精神科医は○○でもなれる、ということの裏返しをこの筆者は言っているのだろうか? そんなふうにも読めてしまうのは、私だけか?



5、うつ病診断の広がり

 医師は依然として(抗うつ薬への不信が多少騒がれているにしても)「うつ病には抗うつ薬が有効」という根強い考えを持っている。そして、不適切な診断手順(DSMによる診断など)によってうつ病と診断されるため、うつ病の範囲が広がり、うつ病と診断されれば第一選択肢の薬物療法が施されるという結果になる。



 筆者がおもしろい症例を挙げている。

「22歳の男性が最近何となく憂うつであると訴え来院した。担当した医師は憂うつ感以外に、「好きだったテニスをしても最近は楽しくない」「疲れやすいし、集中力がない」「食欲がなくて体重が減った」「夜眠れない」などの症状があることを確認し、DSM-Ⅳを用いて大うつ病エピソードと診断した。医師はある治療アルゴリズムを参照して、パキシル10㎎を処方するとともに、「うつ病は抗うつ薬という薬を飲んで、十分な休養をとれば治る病気である」と説明した。」


 そして筆者はこうした医師の対応を一つ一つチェックしていくのだ。

①有か無かの症状評価

 DSM-Ⅳに書かれているのは「ほとんど一日中、ほとんど毎日抑うつ気分」「ほとんど一日中、ほとんど毎日の、すべて、またはほとんどすべての活動における興味、喜びの著しい減退」という表現である。こうした症状は、かなりうつ病としては重症ということになるが、DSMの症状評価は「有か無」の二者択一であるため、この例のように「楽しくない」「疲れやすい」と、少しでもその項目を認めるような発言があると医師の評価は「有」になりやすい。その結果、大うつ病エピソードという診断が下されやすいというわけだ。

②うつ病しか知らない医師

 DSMの診断基準のうつ病の項目だけを読んであてはまることを確認し、うつ病と診断して治療を開始している医師に出会うことがある。つまり、うつ病しか知らない医師はどのような精神障害を見てもうつ病があるかないかのみを診断してしまうことになる。


 さらに筆者は薬物療法偏重になりやすい社会的背景として

①医療費

 薬物療法と精神療法における医療の差である。これについてはよく言われることだが、さらに、症状改善後にも薬剤を続けるべきかどうか、その医学的な判断に、薬物を継続したほうが医療収入が増加するという製薬メーカ―や医師の思惑が入り込んでいるのではないかと疑いたくなる場面に出会うことがある、と書いている。さらに日本では新薬の薬価が高いため、処方薬の中に新薬の占める割合が大きいという問題もある。

②「くすりで治る病気」という理解――患者側の問題

 うつ状態にある患者は「あなたのうつには生活や環境の問題が複雑に関係している可能性があるから一緒に検討していきましょう」と言われるより「あなたのうつは脳の中のセロトニンが足りなくなっているのが原因だから、セロトニンの活動を高める薬を飲みましょう」という説明のほうが受け入れられやすということがある。

しかし、うつ病とセロトニンを安易に関連付けることは適切な医学知識とは言えない」と筆者は書く。したがってこれからは「うつ病とセロトニンの関係を社会にどう説明していくかは精神医学の課題になってきた」と。

③情報の偏り

 非薬物療法より薬物療法の方が得られる情報の量がはるかに多い。

「資金力豊富な製薬メーカ―は大規模試験を企画し、それは時に自社薬に有利になるような研究デザインである。またメディアを駆使した宣伝活動も活発であるし、製薬メーカ―の宣伝か学術講演かわからないような「啓発活動」を行う医師に出会うこともある。医師の中にも製薬メーカ―の宣伝パンフレットは読んでいるが添付文書は読んでいない者がいる

 ――これは私が言っているのではなく、筆者が書いていることそのままの引用である。

それにしても、添付文書を読んでいない……少なくとも向精神薬は「劇薬」である(添付文書にそう書いてある。が、読んでいないのなら知らないということか、まさか……)。その劇薬を、添付文書も読まず、不適切な臨床や安易でおおげさな診断のもと、いとも簡単に、フローチャートの最初の項目に駒を進めるような手軽さで、処方してよいものだろうか?


 そして、最後に筆者はインフォームドコンセント(IC)の重要性を強調する。医師側からすると、ICは患者の決定に従うという意味で(屈辱感を込めて)「おまかせ医療」などと言っているそうだ。

しかし、真のICとは、その治療についてのプラスとマイナス、さらには他の治療を用いた時や積極的な治療を行わなかった時のプラスとマイナスを患者に示し、患者と医師がよく話し合って治療方針を決めることである。そして、精神疾患の治療はどの治療法を選ぶにしても、本当のICを実施していくことである、と結んでいる。



 こんなことは理想論、と鼻で笑っておわりにしてしまう医師もいるかも知れない。

 しかし、医療者サイドからこのような文章が出されるということは、こうした精神科治療の状況は珍しいことでもなんでもなく、ある意味、当たり前の世界になっているという証拠だろうか? 

 被害を訴える人の話を聞くと、担当医はほとんどすべて、以上の多くの項目に当てはまる。

 それにしても、こうした医師の実態を知らされると、では、こうした医師たちは、いったいどこで医師としてのまっとうな仕事をしているのだろうかという非常に後味の悪い疑問が湧いてくる。

 そして、もし、これが多くの精神科医の実態だとしたら、精神科医という人たちを、私はやはり信じることはできないような気がするのだ。