祈りはきっと届くと思う | 「今日もにっこり☺︎」

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日々のことのブログ書いてます。2017.5.5開始
フジファブリック、スピッツ、エレファントカシマシが好きです。

「感受性が強い」という表現がありますが、これって具体的にどういう事なのかなうーんと最近考えていました。

調べると、感受性とは「物事を情緒的に受け止め感じるセンス」とありました。


戦争や震災のニュース、色々なドキュメンタリーなど、考えさせられるようなものを見て、涙ぐんだりする。

綺麗な夕日を見て感傷的な気持ちになる。

例えばそういった事を「感受性が強い」というのだと思います。


私は、どちらかというと涙もろく、感受性はたぶん強い方だと思いますが、その事を無意識に「良い事」だと思っていたような気がします。泣いたりすることで、その事について深く考えているつもりになっていたような気がします。


しかし最近、戦争や震災のニュースなどを見る機会が多い中で、感受性が強い事はべつに良い事ではなくて、もちろん悪い事でもなく、

「辛いものを食べたら汗が出る」ような、単なる体の反応に近いのかなと思うようになりました。


「物事を情緒的に受け止め感じるセンス」がただあるだけで、そこから特に何も生まれてはいないからです。


でも、せっかくそのセンスがあるなら、もう少し先まで考えるようにすれば、感受性が強い事は良い事になるかもしれません。

本当は、みんなが被災地にボランティアに行ったり、戦争について何か行動を起こしたりすればいいのでしょうが、急にそういうことにはならないのが現実だと思います。

それならまずは、「祈る」とか「信じる」といった、未来に向かう気持ちを持つことを始めたいと思います。


感受性を刺激された後も、ごはんを食べたりお風呂に入ったり、スマホで何かを楽しんだり、寝て翌日また仕事へ行ったりと自分の生活を続けていく私ですが、

その中で、「戦争が早く終わりますように」「復興が進みますように」と祈ることくらい、せめてそのくらいは、忘れないでいたいです。


(自分に出来る範囲の寄付などの行動は起こす真顔

(自分の生活を楽しむことも、大事ウインク気づき



これは、スピッツの「祈りはきっと」という曲の歌詞の一部です。

この「戯言」というのは「いい加減でばかばかしい話」という意味ですが、自分では戯言とは思っていないけれど他人から見たら戯言かもね、というマサムネさんらしいひねくれ(?)が出ているような気がして、良いと思いますキラキラ

私の戯言も羽ばたくといいなぁ。