私は4人兄弟の長子に生まれ
16才の時に「下の2人を音大に行かせたいので、長男長女の大学費用は出せない」と言われたので
17才から独語を学び始め、迷う事なくドイツの大学を選びました

第二の祖国がなければ、きっと私の人生は立ち行かなくなってた。



↑私のサロンの商材一例です

オイルは毎回ほぼ一本使い切りで

マタニティエステやベビーマッサージは
WELEDA(ヴェレダ)

産後ケアはfreioil(フレイオイル)

アロマはEUエコサートの認定精油


もちろん一般的なサロンより原価率は高くつくけど、本気で経済を回したいと思う国や企業以外のプロダクトは選ばない。

20代独身の頃は日本のホテルスパ(外資系5つ星)で国内No.1の売上を力をつけて、ホテルスパの総合商社で役職について、ドイツ系のスパを東京の一等地に誘致しようとマネジメントを学んでいた時期もあるけど

今このご時世になってみると、全てを実行に移さなくて正解だったと思います、観光業は大打撃だもの

生きることは選択をし続けること

経済活動は大きな人生の選択肢。



私がドイツ在学中に経験させてもらった事

飲食業
日本語教師
ナニー(ベビーシッター)
オークションハウスに流れてきた骨董品や古文書の解読
着付け、芸事

南米から来たクラスメイトは奨学金を貰いつつ、毎晩ホットドッグ屋台でアルバイトして、母国の家族のために仕送りをしてた

アジア圏の留学生は国籍関係なくお米や調味料を分け合って生きる小さな家族だった

街の全てが大学になっていて
世界最古の施設がいくらでも現存していたり
食堂カフェテリア付きの図書館が分野別にいくつもあったり
隣の音大や美大の講義を学問の垣根なく受けられたり
一流のオペラや舞踏や芸術の極みを学生席で間近に見られたり
大学の中には授乳室があって、赤ちゃん連れで講義を受けられる

あのハングリーな環境が恋しい。

いつか我が子に「大学ってどんな所?」と聞かれたら、EUの大学の記憶を伝えます。





研究上のレゾンデートルを確立する代わりに、ヨーロッパの人間が絶対に選ばないであろうニッチな研究テーマを卒論に選んだおかげで、美大や音大といった他大学やカルチャーセンターのアシスタントにも入れたし、本も執筆できた。

でも一番の財産は、今や世界中に散らばったエラスムス(奨学金)やDAAD繋がりの友人達

帰国してからも、誰かが本を出せば、出版記念パーティーや講演会に駆けつけるし
舞台や演奏に立てば観に行くし、聴きに行く
美術館や博物館に行けば、当時の友達といくらでもカンバセーションできる

当時、我武者羅に学び稼ぎ移動した学生時代の自分には、まだまだそんな時間の余裕は持てなかったけれど

今、妊娠出産を経て、世界情勢も変わり
来た道を振り返ってみると

人生を豊かにしてくれたのは
自分の選択肢の延長線上にある環境でした。

ドイツ🇩🇪ありがとう!
経済活動で一生恩返しするね。