「しんどい」と言っているその瞬間は、筋肉の反射のような、エネルギー的な「閃く力」がジャンプしようとしている。つまり、一発逆転に通じるもっとも効率的なヴィジョンが見えそうなときほど、口からは「しんどい」と出てきがちである。

 

あくまで私の場合、なんだけどね。

 

ただ、だからといって「しんどい」を自分から求めて励みすぎると、どこかで限界を超えてしまう危険もある。自分のなかにできてしまった「捻れ」を、うまく活かして余生を送る。そんなふうに持っていくしかない。

 

そうできればいいなあ、というヒトリゴト。

 

仕事仲間

仕事ができる人には二種類いて、と、あくまで仮定の話ですよ。

刷込からくる捻れが業界だけではなく、自分のなかにもあることを認識したうえで「三方よし」的なヴィジョンをきちんと見晴らせる人と、そんなことをする余裕があるのは単なる「甘え」であり、甘えたことを言っている相手とともにいることは苦しいと思っている人。

 

はっきりした線を引くことは不可能だけどね。

だから「相性」ということばで説明するのが手っ取り早い。けど、自分を犠牲にすることなく、それでいて、きちんとすべてを分け合う覚悟がある人と一緒に走っていきたいな。ひとを「紹介する」ことができるかどうか、でもあるけど。それもまたケースバイケースだし。

 

私はいまは、この「紹介」をしたくないファーズにいるけど。したくないは、本当はしたいことでもある。

ああ、執着か……。むずかしいねえ。