そもそも、完璧な人間なんていない。そう思ってみた方が人生楽だよ。
とはいえ、自分かな。自分のことを好きになれないとか、どうしても嫌いだとか、あるいは逆に「私はどういう厳密な意味で、好きというコトバを使っているのか」と悩むこともありです。そういうのを一通り、やらかした上で、ああ自分か、と。
生まれたばかりのときは、何も「考える」こともなく、でもそういう思考が必要ない状態にバランスよく「おぎゃー」と。この世界というステージにデビューするひとがほとんど。そうじゃないパターンもあるかもしれないけど、それだって「順番が逆」「ねじれてる」というだけの現象。
おっと、話がずれた。
なんでこんな話を書いているかというと、完璧な自分でありたい、と思い描いて頑張る人ほど、つじつまの合わせ方が小ずるかったりするなあ、という例を最近いくつか目撃する機会があったから。まあ、この「小ずるい」も、あくまで私の視点から見て、ということですがね。
私の元同業の仲間で、ほぼ「幼なじみ」と言ってもいい立ち位置の友人は、あるひとのことを「中間管理職で上からいつもプレッシャーをかけられているから、ふとしたはずみで下請けいじめをして鬱憤晴らしをしてしまう構造」と言っていました。まさに、そういう感じ。
それでも、同じ業界で仕事する相手ですからね。
ちょっとデコボコしているのも、それを補って余りある才能とか有能さを持ち合わせたひとなら、多少のことに目をつむろうじゃないか。というような、そのひとのまわりでの共通認識が生まれます。
そういう仕事環境だと、でこぼこしたひとは、同じようにでこぼこしたひとと群れたがる。これだけは、見ていてとてもイヤな感じがしたけれど。まあしょうがない。完璧な人は(彼らは自分らのことをそう思っているのかもしれぬが)いません。
それでも、いつかは限界が来る。こちらというよりは、あちらのサイドで、ぽこぽこと人がフェイドアウトしていく。最初は本当に有能で、しかも優しくて、チーム感覚にもすぐれていながら、仲間を引っ張っていく力もあるひとが、多少デコボコのひとたちからこっそりと「あの人は仕事はできるが性格がきつくて」みたいな誹謗中傷をされることにどこかでうんざりして、あるいは病んでやめていく。けど、そういう椅子取りゲームみたいな環境だと、もう笑ってしまうくらい決まり切ったことなのですが、最後の椅子さえも残らなくなる。そして誰もいなくなった。
デコボコしてるけど有能で完璧を目指して、でもときどきボロボロになって「一緒にごはんを食べましょう」と口先だけで言ってくる……ごめんね。私はあなたとお弁当は一緒に食べてもいいけど、美味しいご飯はたぶんむり。いや、何度かご一緒したことはあるけど、ご飯が主役になることはなかったなあ。微妙な感じ。
あ、具体的な顔を思い浮かべているわけではなく、複数の、それも私がいろんな意味でお世話になったかたたちです。でも、最初に名刺交換をしたときのままのポジションに残っている人は皆無だなあ。つまりは、それだけしんどい業界ってことかもしれない。わかっているから、私は最初からフリーランスをつらぬいている。途中でこちらを盗み見て、中途半端にフリーになってひとの仕事を奪おうとする人も多いけど。まあ、そういうひとこそ、完璧の皮をうまくかぶっているなあ。でも、ああいうふうにはなれないし、なりたくもないから……と半端にネガティブなコメントが口からこぼれてくる時点で、もう私とは違う畑(違う星、と言ってもいい)で進化した異星人みたいなもんです。
口を利く機会をもたないこと。
寄ってきそうな気配をみたら、遠ざかること。
大切な人に近づいてこようとしたら、その「大切な人」を信頼して、へたに状況をコントロールしようとしない。
で、最後に残るデコボコ星人が辞めていったら、決して深追いしない。
それだけで、自分の本当にやりたいことが、まっすぐクリアに見えてきます。
あなたをコントロールしようとする人は、それが愛とか完璧だという幻想を抱いている・だけ。
宗教みたいなもんですな。
それが誰であれ、そのひとと同じ信仰をもつ必要はありません。