生意気だとか、知ったかぶりとか。
なんでもいいや。知ったかぶりかどうかはともかく、論理に対して論理で抵抗することをやめてからはなおさら「素直でない」とか「我が強い」という言葉で、露骨に……とはいえ、本人にしかわからないような陰湿なやりかたでの攻撃を受けることがよくありました。

 

はい、私の話です。

裏テーマは「被害者意識の分解」というか分析ね。

 

なんであれ、そういう「ネガティブ」な、自分はあんたのことがわからないという指摘は、要は「あんたが悪い」。子供のケンカか(笑)。つきつめていけばそこに「わかりあいたい」というニュアンスもありますが、根っこは「あんたのほうが折れるべきだ」とか、同じくつきつめていけば「わかりあえない人間がこの世に存在することが許せない」という、他者(=自分)否定のエネルギーでもある。

 

我が強くたっていいじゃないですか。

だって、じゃあ私のどこがいけないの? と問いかけると、まちがいなく「そういうふうに言われたことを素直に受け取れないってことだよ」と、どこまでわかっているものやら……という問答につなげてくる。痛めつけてダメージを与え、どこかで何か目に見える形の弱みをキャッチすると「だから言ったでしょ」と勝ち誇る。

 

おっと。思い出して哀しくなりました。

 

言ってる人は、自覚はないながらも、相手を打ちのめそうとすることで、「自分に対して」責め苦を負わせてもいるんです。

 

同じ土俵にいるかぎり、万能の解決策は出てきません。

とことん悩んだ経験があれば、あとはもう……というか、悩んだり苦しんだりも、そういう感情や重荷がこの世に存在するのだと察知しさえすれば、せいぜい、それでおしまい。

 

気にしないことです。

 

話が変わりますが、我が家には、あと少しで生後十か月になるワンコがいます。

おもしろいことに(=ありがたいことに)、いままで暮らしたどのワンコとも違う。ただ、チビ犬ゆえ体力はないくせに気が強くて、基本がマッスル犬なもので、室内で人間と一緒に暮らしていると、隙を見てはアルファ(ボス)になろうと果敢にチャレンジしてくる。

 

本気と甘噛みのあいだくらいの攻撃をしてくる。

やられても出血はめったにないけど、痣やミミズバレはしょっちゅうです。

これ、声でのコントロールとか、体罰とか、ともかくしつけようと向きあっても「ちがうやん」と、私の場合、どうも自分のなかからそういうサインが出てきましてね。しつけるって、人間もそうだけど、自分らの社会性やら「共存と個体の生存本能のバランス」やら、ともかく先に生まれたりして、なんらかの既得特権をもっているほうが、できるだけ効率よく、自分にとっての一生が快適なものになるよう、後進に自分の価値観を刷りこむ。そういうことだよね。

 

どっちが「正しい」とか言いだすと、本能を殺すことになりかねない。

人間社会だと、矯正とか支配(コントロール)とか。極端になると虐待。

 

秤(天秤)のバランスがどっちに揺れようが、実はたいしたことじゃない……のかも。

それもこれも、気にしないこと。

 

「気にする」だって、過ぎれば「気に病む」という言葉になる。

病むのと健やか。それだって裏表であり、紙一重であり、一つのことでもある。オモテウラという解釈だって、それはいったい「誰」がジャッジしているのかってことだもんね。

 

アルファになりたいスイッチが入ってしまったワンコには、こちらの感情のスイッチをオフにした「ゼロ」の状態で向きあう。むずかしいけどね。考えすぎないようにして、瞬間的に「人間という動物」である自分の都合を犬に伝える。話して聞かせるのも、スピード(ぺしっとお尻をタッチ。これは強さよりもスピードとエネルギーが重要)に物を言わせるのも、基本は同じ。こっちの都合を押しつけちゃってごめんなさいね、と瞬間的に犬に(自分にも)心のなかであやまっておく。

 

ワンコに対しても、人間サイドでそういう暮らしをコツコツと続けていけば、それはそれで良い感じになりそうな気がしてきた。

 

そして最初の「我が強い」の話に戻りますが。
我が強いとか、おまえのことはわからないとか。

存在そのものが許せないとか。些細なことが癇に障ったとか。

 

いろんなレベルがありますよ。

親子関係、家族関係、友人関係、仕事関係。どんな状況であれ、人間が複数いれば、誰がどれだけ寛容になれるか、ひたすらそういう兼ね合いになるのがフツーです。

 

で、相手を責めたくなるにせよ、寛容である「べき」とか、そんなふうに思うのも、相手じゃない。相手をねじ伏せようとして頑張って、あげく、ふと気づくと「自分は(=世の中)はこうあるべき」「それ以外は許せない」と、心に負荷をかけて、素直どころかどんどんエゴまるだしになっていくのも、それもこれも、すべて自分。出た、自分!

 

あはは、この「出た、自分!」は、松平さん(「天才ヒーラー松平道明」でググってください)の言葉遣いをいただきました。自己観察、このところ感情や思考にちょい偏っていたような気もします。少し「身体の状態」に戻ってみるのもありかもね。←自分メモ。