母を連れて街の保健室に出かける まとめその6
もみじが運営するHP上の画像をクリックしてください。(リンク切れ多数ゴメンなさい。更新する予定ありありですが、時間がなく・・・。大変申し訳ありません。m(_ _)m)街の保健室に母と行ったときの会話を連載でまとめた、その5でした。『母を連れて街の保健室に出かける まとめその5』もみじが運営するHP上の画像をクリックしてください。(リンク切れ多数ゴメンなさい。更新する予定ありありですが、時間がなく・・・。大変申し訳ありません。m(_…ameblo.jp今回は、その会話のまとめの6回目です。数日前に、NPO法人の代表の人が、「親の家から出ると言う選択肢だってある」と言われました。このことを是非母に知らせたいと思いました。しかし母に反論も無かったので、このことをどう思ったのか、今のところ、母の気持ちは全く分かりません。「そうしたら、両親は生活保護受給者になってしまうではないですか」と私は反論したのですが、「そういう人は少なくない。『親は生活保護受給者なのに、いっぱいお金を稼いでいる芸能人が、親を扶養しないとは・・・』と非難されている人がいるではないですか」私は過去に、「家を出たら」と言われたことが何度もありました。また、「家を出ないのは、家の家賃か不要であり、母に家事をしてもらいながら仕事をして、ゆとりのある生活が送れる。このような有利な生活を手放すことが嫌なんでしょう。それなのに、母の悪口を言うなんて・・・」そう言われたことが何度もあります。「父の入院費の負担も、(一人暮らしの)家賃に比べたら安いものよ」と反論されたことがあります。では、私は何で家を出ないのでしょうか。父と同居していた時は、「法律が許せば父を殺したい。でもあんな父のために一生を刑務所で暮らすなんて、バカバカしい」そう思ったこともありました。「大学を卒業したら家を出よう」そう決心していました。また、お金も貯めていましたし、就職後の家を出る時期も考えていました。それをしなかったのは、父が入院して暴力がなくなったからなのだと思ったりします。何時殴られるか分からないで、ビクビク暮らしていたら、お金がどうこうなんて言っていられません。なけなしのお金をつかんで、家を出たでしょう。そして、父が「よ!!」なんて言って、自分(父)が嫌われていることを全く知らずに、私が住んでいるアパートにやってくることを、学生時代は想像していました。更に就職後家を出ても問題は解決しないと、考えました。私は働くことが辛く苦しかったのですが、家を出て会社の近くに住めば、通勤時間は節約できたかも知れませんが、家事などの生活に必要な労働が増えたでしょう。はたしてそのような生活ができたでしょうか。それとも生活保護受給者になったでしょうか。続く ←ポチッとしてね。私は、病気や障害を抱えて生き辛さを抱えている方と交流したいと考えて、ブログを更新しています。そのため私のブログをフォローしていただくことは、承認制とさせていただいています。その理由は、私のブログをフォローする意図が分からない人からのフォロー申請があるからです。そのような人は、集客目的だと判断して、フォロー申請を削除させていただいています。私のブログをフォローする方はよろしかったら、もみじ宛でメッセージを送り、私のブログをフォローしたい旨の理由をお伝えください。大変申し訳なく思いますが、どうかご了解をお願いいたします。病気や障害を抱えている人は、即承認させて頂いていますので、闘病記等のブログ書いている人は、メッセージ不要です。