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街の保健室に母と行ったときの会話を連載でまとめた、その10でした。

今回は、その会話のまとめの11回目です。これで最後にしようと思います。

 

前回の会話では、

「産んでくれた親に感謝できない」と私が言うと、NPO法人の代表は賛成はしてくれませんでしたが、でも否定もしませんでした。

 

私がこのNPO法人に参加しようと思ったのは、去年の暮れに月一回の頻度で、

「お話会」が開催され、「何でも日頃思っていることを言ってみよう」という呼びかけに、参加したいと思ったからです。

 

しかし、実際参加して見ても私が話たかったことを話す機会は巡って来ませんでした。そんなおり、かかりつけ看護師というコンセプトで起業した看護師さんとお話する機会があり、

「お母様を1度ここに連れてきたらどうかしら」という提案に甘えさせていただいたのが、この会話になりました。

 

会話が終って、日頃から言いたかったことを母に伝えられた安堵感があり、思わず泣いてしまいました。

 

もちろん、母もNPO代表も看護師さんも私の話にまるごと賛同はしてもらえませんでしたし、その後の母の言動も以前とあまり変わりません。しかし、私はそれで良いと思いました。3人は私ではないのですから、全く同じ気持ちにはなれません。また、テレビドラマのように、第三者が少し意見したことで、次の瞬間言われた人が改心するなんてあり得ないことは、66年生きてきた体験でよく知っています。

 

しかし、言い切れた。伝え切れたことに私は満足しています。言いたいのに、言えないもやもやは小学性のときには抱えていましたので・・・。

 

このような機会を作っていただいた、NPO法人代表や看護師さんに感謝いたします。2人ともお忙しい中、3時間と長い時間を割いていただき、根気よく私の話を聞いてくださった。本当にありがとうございました。

 

その後、何故か涙ぐむことが増えました。

 

丁度、終戦記念日の時期だったこともあり、戦争をテーマにしたドキュメント番組を視聴する機会が多かったこともありますが、直ぐに涙が出て困りました。

 

もしかしたら、フリーズしてしまった私の心に涙がしみてきて、柔らかくなり、人に共感する気持ちが生まれたのでしょうか。少なくとも、今までよりは私の心は動くようになったことは間違いないように思いました。

 

もっとも、これがいつまで続くかは分かりませんが・・・。

 

長い私の連載ブログにお付き合いいただいた、フォロアーの皆様にも感謝いたします。ありがとうございました。

 

終ります。

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