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今、下記のサイトのNPO法人レジリエンスと言う団体のファシリテーター養成研修を受けています。

 

養成講座はこちら

 

この研修は、リアルタイムでも受講できますが、研修の後にも動画が配信されるので、私のように移動が困難、遠方、仕事などで都合が合わない等の人にも研修が受けられます。

 

ファシリテーターの受講ですが1月の2日間が終り、2月の2日の内の1日目が終りました。

 

その受講中の気づきいたことをお話します。

 

その2のブログは、モラハラな人って、矛盾したことを良い、その矛盾に気がついていないので、被害者は混乱してしまう。その理由は、自分が言ったことを簡単に忘れてしまうことにあるのではないと書きました。

 

その後、講座はでトラウマは、命の危険を感じるような何かの出来事自信を意味するのではなく、それが原因で身体的にあるいは、精神的な症状が出ることがあります。その症状のことを反応と呼び、トラウマとはこの反応の症状を言うのだそうです。

 

私もよく、

「あれはトラウマだよ」なんて言うことがありますが正確には、

「その出来事の結果、なんだか気持ちが落ちている。倦怠感を感じる、フラッシュバックが起きた」なんて言い方が正しいのですね。

 

私の場合は、物にぶつかり頭を強く打つことがあるとその痛みは、父に殴られた時の痛みと同じなので、思わずカーっとなってしまい、感情が抑えられなくなります。そんな時は、泣くこともありますが、深呼吸をして自分に言い聞かせます。

「お父さんはもう亡くなった。この世にいないのだから、殴られることはもうない」

 

急に不安な気持ちになりそわそわしてしまうことがあります。そんなときも深呼吸をして、

「落ち着こう。考えよう。きっと解決策が見つかるさ」

 

何度も何度も、自分に言い聞かせながら深呼吸すると、次第に気持ちは落ち着いてきます。

 

またグリーフの意味は、持っていたものを喪失したことを意味するのだそうです。

私の場合では、父の放火により住んでいた地域を離れざるを得なくなった。幼なじみとふるさとを失った。

と言うことでしょうか。

他には、離婚し家庭を失った。大好きな人を亡くした。なんてことが上げられます。

 

その喪失感をケアすることが、日本ではグリーフケアと呼ぶことが多く、アメリカではグリーフワークと呼ぶのだそうです。

 

そこで、あることに気がつきました。私には何かを失うきっかけが何もない。強いて言えば、父が家を放火したことだけです。

「私ってあまり失っていない。それは、生まれたときから何にも持っていないから、失うものがないんだ」と思いました。

 

生まれたときは、父の実家に住んでいたので、家と祖父母と両親と叔父1人叔母2人の家族がいました。心から安心できる環境だったと思います。その後数ヶ月でその家を出たことで、叔父母と叔父と叔母と家を失いました。

 

その後、1.5年で変形性股関節症だと診断されて健康が私にはなかったけれど、治療により歩けるようになる希望が見え始めた。幼くてそこまで考えることはできませんでしたが…。

 

また、父が余りにも頭が悪かったので私もバカだと思われていた。なんの取り柄もない、目立たない女の子であり、両親はともにモラハラで、その後生まれた妹をかわいいと思ったことがなく、妹の癇癪に悩まされていました。また、ヤングケアラーでもありました。

 

私の言うことは無視され、妹の言葉だけ母は信用しました。従って私は妹との喧嘩を母に言いつけることをしませんでした。父への不満は、父方の祖父母や叔父に言いました。そのために、通学に必要な中古車を買ってもらいました。

 

その何にもない所から、中学生の時、初めて業者テストを受けたら真ん中より上の順位だったので、

「私はバカではないみたいだ」と思うようになり、県立の普通科に進学すると、あの高校の入学したと言っているけれど、商業科に決まっていると思う人もいました。私は、

「これ以上バカにされないように薬剤師を目指そう」と思いました。小学校のときに母が働いていたことに否定的な圧力を感じていたので、尊敬されるような資格を取れば、その圧力はなくなるだろうと思っていました。しかしその考えは甘かったと今は思っています。それ程に、専業主婦と言う生き方はデフォルトだったのですね。

薬学部に進学したときは、近所の人達から、

「あのバカな父親から薬剤師が生まれるわけがない」と思われ、近所の人から薬学部の何学科か?まで質問されたと母から聞きました。これは、薬学部でも薬剤師になれない学科があるに違いないと思ったのだろうと、私は想像しています。

 

国家試験の合格が当時は新聞で確認できました。当時近所だった人達は、その新聞で確認して話題になったと聞かされました。「薬剤師は本当だったんだね」という意味の話題だったのだろうと思います。

 

私の(生まれたときに同居していた)叔父が、

「俺の姪は薬剤師だ!!」と自慢すると、

「お前の姪が薬剤師な分けないだろう!!」と言われたと言っていました。

 

祖父母を失った時は、
「無条件で愛してくれる人を亡くした」と思いましたが、30歳代のその頃からは祖父母を必要としていなかったので、喪失はありませんでした。

 

大学を卒業する頃には、父は精神科に入院していました。若年性認知症でした。36歳で結婚し、父は私が40歳の時に亡くなりました。父が亡くなった喪失感は全くなく、むしろホッとしました。46歳の時に妹が自死しましたが、同じく喪失感はありませんでした。母が亡くなるときも同じように喪失感はないでしょう。夫が亡くなったときは悲しいと思うでしょう。夫を亡くすことが唯一のグリーフでしょうか。

 

講義を聴きながら、本当に私って何も持っていなかったんだ。と思いました。

 

こんなに何も持っていなかった私が、努力して得た結果を人からうらやましいと言われます。薬剤師であることや母に家事をしてもらって働いていることなどですが、母が家事をしてくれるのは、私が働いているからであり、専業主婦だったら全く家事はしてくれないと思います。

 

講座では、幸せは点なんだ。線でも、面でもなく、一点なんだ。と言っていました。それは幸せを感じる時は、一瞬なのだと言っているのかな?と思いました。

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