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今日は、日曜日に見た、光る君への光源氏のモデルとされる、藤原道長が糖尿病だったと知られています。そこでお酒の歴史について調べてみました。

 

まずは、お酒の作り方から

 

上のサイトの続きです。

奈良時代には「造酒司(みきのつかさ/さけのつかさ)」と呼ばれるお酒造り専門の役所が朝廷の宮内省に設けられ、貴族たちが嗜むためや豊作祈願の神事のために日本酒を造っていたという。

 

奈良時代の製法はこの情報では分かりません。麹菌を使うことは一般的ではなかったということでしょうか?

 

平安時代になると、お酒造りは僧侶の間に広まっていった。僧侶が大寺院で造るお酒を「僧坊酒(そうぼうしゅ)」と呼ぶ。

中略

また平安時代中期の文献であり、法律などについて書かれた『延喜式(えんぎしき)』(927年)には、米・麹・水で酒を仕込む製法など、朝廷における日本酒の造り方が詳細に記載されている。

 

平安中期には、麹菌を使って糖化する製法が古文書からうかがえます。

 

余談ですが、私の母方の祖母は甘酒を作るのが好きでした。実は甘酒ではなくお酒を飲みたかったのですが、嫁の立場ではお酒は飲めません。それで甘酒を造りわざと発酵を進めて甘いを通り越して、お酒になったどぶろくを台所でこっそり飲むのが楽しみだったようです。祖父が飲めなかったので、肩身の狭い想いをしていたのでしょう。祖母の口癖は、

「うんまいで、飲んでみろ。うんまいで」と母に勧め、母は、

「嫌だ」と逃げていたそうです。甘酒(?)を飲んでいる祖母の姿が、目に浮かびます。(見たことはありませんが・・・)

 

ご飯の多糖類を麹菌によって単糖にすると甘くなります。それを放っておくと環境中の酵母が単糖をアルコールに変えることを、祖母は知っていたのででしょうか?

 

鎌倉時代になると民間の間でも日本酒造りは広まり、京都を中心に酒蔵が誕生していった。
本来、お酒は冠婚葬祭や豊作祈願など、お祝い事や神事に飲むものだったが、この頃から日常的にも飲まれるようになっていったという。

 

この記述から、平安時代は貴族が儀式の時に呑むのであり、庶民はお酒を飲めなかったのですが、鎌倉時代になると武士階級は飲めるようになったことが分かります。

 

藤原道隆は糖尿病だったことが知られており、肖像画を見るとでっぷり太った姿です。

この肖像が有名です。

 

更に、平安時代のお酒は清酒ではなく、どぶろくだったと聞いてます。更にアルコール度数がどれくらいうだったのでしょうか。私の記憶によると、アルコール度数はそう高くなく、どぶろくだったので、カロリーは高かった。しかしお祝い事や神事に飲むものだったため、藤原道長が好きで太っているのではなく、現代で言うところの職業病だったと私は考えていますが、どうなのでしょうか?

 

なんだか、道長を援護したくてお酒の歴史を調べてみました。次に気になるのは、清酒がいつ頃から作られたのか?です。

 

続く

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