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今日は、日曜日に見た、光る君への光源氏のモデルとされる、藤原道長が糖尿病だったと知られています。そこでお酒の歴史について調べてみました。

 

まずは、お酒の作り方から

 

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実は縄文時代から、日本ではお酒が飲まれていたと言われている。というのも、長野県八ヶ岳の山麓にある遺跡から、ヤマブドウの種が入った縄文式土器が発見されたのだ。このことから、日本では縄文時代から果実酒が飲まれていたのではないかと推測されている。
つまり日本で最初に飲まれたお酒は、意外にも日本酒ではないかもしれないというわけだ。

 

世界でも、ブドウ酒が多く作られていますので、製法が単純なブドウ酒が日本でも作られていたことは、うなづけます。余談ですが、父は私が小学性の頃にヤマブドウでブドウ酒を作っていました。ここに製法を書くと、法律違反になるのかしら・・・。止めときます。随分前であり父は既に亡くなっているので、このことは時効ですね。

 

ソムリエの田崎真也さんがテレビでおっしゃっていましたが、生食用のブドウは甘いのでこれでワインと作ると、単糖が全部ただのアルコールになってしまう。ワインの様々な香りや味を楽しむには、酸っぱいブドウが好いそうで、山ブドウは栽培文化がない時代では、最適な原料だったのかも知れません。
 

その後、中国の書物に日本のお酒についての記載があるそうですが、製法、原料等不明だそうです。

 

日本の書物にお酒が登場したのは、奈良時代に書かれた日本最古の歴史書『古事記』(712年)である。日本神話の神である須佐之男命(すさのおのみこと)が、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治するために「八塩折之酒(やしおりのさけ)」を造ったと記載されている。
この八塩折之酒とは、仕込み水の代わりに酒を原料に使って、何度もくり返し醸造したアルコール度数の高いお酒のことだという。つまり酒で蛇を退治したようだ。

しかし、ここでも原料は不明である。

 

なるほど・・・。この時代は既にお米が作られていますので、ご飯が原料であることは容易に想像できます。仮に原料がお米ならば、デンプン(ブドウ糖のような単糖が数珠のように繋がった多糖類)を単糖にブツブツと切る工程が必要ですが、ここが不明ですね。でも知りたいです。

 

お米を原料に酒を造っていたことがわかる記述は、『大隅国風土記』(713年以降)にある。現在の鹿児島県東部に位置する大隅国では、口の中でご飯(穀物)を噛んで、唾液の中にある分解酵素のアミラーゼで米のデンプンを糖化させ、それを壺に吐き出し、溜めて発酵させる方法でお酒を造っていた。

 

ご飯を噛んで糖化させる方法は、テレビで再現されているのを見ました。でもちょっと人が噛んで吐き出した物を原料にするのは抵抗があります(私は・・・)。テレビでは、乙女が噛んだと言っていました。麹菌のデビューは、まだ先のようです。


『大隅国風土記』と同時期に編纂(へんさん)された『播磨風土記』には、神様に供えた米が濡れて、麹カビが生えて甘くなったので、それを使って酒を造ったと記載されている。

 

ということは、甘い物からアルコールが付くいられることは、経験的に知られていたということでしょうか?ようやく麹菌が登場しました。

 

続く

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