6月29日は、臨床心理士さんによる検査の結果を、初診医師から教えてもらう診察日でした。

 

結果は、知的レベルは高いけれど、その反面作業の正確さやスピードは遅い。抑うつ傾向がある。というものでした。もっといろいろ教えていただきましたが、忘れてしまいました。

 

この検査結果は、文書を発行してもらうことにしましたので、その文書が届いたところで、夫や線維筋痛症と診断した医師などに読んでもらおうと考えています。

 

「セッションが始まっていますね。どうですか?」

「はい、日記を書いていると、起きられないことの原因が少しだけはっきりしてきました。ただ何となく、『なにもしたくない』と思っているだけよりは、なんで何もしたくないのかを考えるようになりました」

「そうですか。もみじさんは、知的レベルが高いので、自分の体をよく観察して、客観視できるのでしょう。こんな人は、認知行動療法に向いてますよ」

「わかりました。ただ、30年以上も苦しんでいるので、そんなに簡単に良くなるのかな?と不安です」

「痛みが完全になくなるのではなく、痛みに振り回されていた生活から、痛みはあるけれどその痛みと仲良く付き合い、自分が主人公になることを実践しましょう」

 

27日にボブヘアー美人医師がおっしゃっていたことを再度確認するために質問をしました。

 

「セッションの先生からは、『寝たきりになってもおかしくない。』とお聞きしました。とてもびっくりしました」

「もみじさんは、これまで本当に頑張ったのだと思います。特に長年股関節痛に苦しみ、何度も手術されています。病気発症から30年以上ですものね。もう少し弱い方ならば寝たきりになっていたでしょうね。実際もみじさんと同年齢の方で、寝たきりになってしまった方がいらっしゃいます。もみじさんは、余程強い信念があったのだと思います」

「ええ、生活保護受給者にだけはなりたくなかったです」

「そうですか。それが心の支えだったのですね」

 

T大学病院の医師からも、

「頑張り過ぎる傾向がある。普通人は問題に直面した時には、問題を回避するのに、もみじさんは真っ向から立ち向かってしまう。この点が稀有なことです。」といわれています。何度の書きますが、その発言はまるで頑張り過ぎた私がお人好しのおバカちゃん。といわれたようでとっても嫌でした。

 

更には、

「働きたい」という私に対して、

「お金に執着している」とまで診断書に書かれました。心身医療科の医師が、患者を非難し、心を傷つけるようなことをするなんて、許せません。

 

しかし、こうして再度2人の医師から頑張ってきた。といわれ、それも頑張ったからこそ、今の活動量が維持できているといわれ、なんだかホッとしました。私がしてきたことをネガティブにとらえるのではなく、積極的に評価してくださったことに感謝したいです。ようやく、心のわだかまりがとれました。

 

「先生、もう1つ質問です。慢性疼痛の患者には、女性が多いそうですね。レディーガガさんも19歳の時に、レイプの被害にあっています。それは男尊女卑の社会であることと関係がありますか?」

「はい、男性ならば、同僚と飲みに行ったりしてストレス発散ができますが、家庭に入ってしまった女性は、ストレスが発散できなくて、心に不満が貯まってしまい、体でストレスを表現するのです」

 

ううん、私が考えていたことと少し違うな。と思いました。なぜならば、女性同士でランチなどして夫や家庭の不満を語り合っていると思ったからです。確かに、家庭での不満を抱えている方はいらっしゃると思いますが、そんなに家庭が嫌ならば、離婚って手もあるし、働くことで夫と対等な関係を築けるかもしれない、とも思ったからです。

 

しかし、それができない弱い女性もいらっしゃるのかな?とも思いました。私の高校生の時の森鴎外の雁という作品を読んだ時の感想が、

「主人公の女性が、帝大の男性がこの環境から救い出してくれることを期待していることが理解できない。自分でお裁縫を習うなどして自立したらよいのに・・・」というもので、教師から変な生徒だと思われたことがありました。後にもう1度読み直した時は、

「明治という時代が女性の自立を阻んでいたんだな」と思い直しましたが・・・。

 

ランチでおしゃべりできる程度の不満ではなく、恥ずかしくてとってもいえないような重篤なストレスを抱えている方がいらっしゃるのかな?とは思いましたが・・・。

 

私は、職場では『女性は結婚して家庭に入れ」といわれて社会にも居場所がなく、家庭に入ると夫から暴力等を受け、家庭にも居場所を見つけられない女性が無視できない程に多いのかな?と思っていました。

 

私も、子供の頃には父から「扶養家族は黙れ」といわれて、言いたいことを言えずに黙るしかなく、では働いて扶養家族から脱出しようとしたら、両親が障害者の私のすねをかじって何とも思わない。そんな理不尽な経験をしてきました。一方職場では「どうせ結婚したら辞めてしまうのだろう」と思われ「いえ、定年まで働きます」といっても、「ふん」と軽くあしらわれる。最後は「障害者だからといって特別扱いはしない」といわれたことがきっかけで、会社を辞めることになってしまった。どこも八方ふさがりで、出口が見えない。そんな経験をしてきて、どこにも居場所がないではないか。という失望感を今は抱えています。

 

その反面、男性は「妻や子供を養う責任を負っている」ということで、男性同士で仲間意識を共有し、欠点を補い合っていたり、かばい合っているように思っていました。違いますかね・・・。

 

線維筋痛症の医師は、男性脳と女性脳で説明しますが、私はそんな染色体の違いでは説明できないことがあると思うのです。なぜならば、LGBTの方たちは、自分の体に違和感があったり、性的嗜好が同性に向いたりしていて、男性脳と女性脳では単純に説明できないと思うからです。最近は、ジェンダー迷子という言葉を知りました。自分がどんなジェンダーなのかわからくなってしまっている方までいらっしゃるようです。

 

社会では、女性でいることのほうがはるかに不利です。それなのに、女性になろうとしている方がいらっしゃるということは、余程のことなのだろうな~と思ったりしています。