【お父さんはムエタイ中】新型コロナ感染の収束は2024年だった・・・ | 【公式】オツカレ!(手もみ)各務原市60分2,000円リラクゼーションマッサージ店|もみほぐし

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【お父さんはムエタイ中】新型コロナ感染の収束は2024年だった・・・

 

 


 インフルエンザの流行と相俟って、国家の勢力図さえも塗り替えながら世界を6度も窮地に陥れ流行を繰り返していた新型コロナウイルスは、複数のワクチンや治療薬の開発により、今年2024年、念願の収束を迎えようとしていた。


隆盛を極めていた会社も次々と倒産や廃業に追い込まれ、かと思えば街の無名な一工場から革新的な発明品が次々と生まれでた。

多くの企業や個人が、こんなにもリモートで多くのことが出来るのだと気付き、ある一種の科学及び化学技術は、近年の20年分以上の進歩を、1・2年で跳躍して得ることが出来た。

対して移動手段として重宝されてきた多くの乗り物系のインフラは、数年では回復ができない程のダメージを背負うこととなった。

人はある部分、雑草の様に生き抜くたくましさを得ることが出来たが、決して繰り返されてはならない、ナチスの様に排他的な‘潔癖主義’を心の闇に築いてしまったかも知れない。


その年の暮れ、2016年から筋トレに出掛けると言ったきり姿を眩ませていた父(小太郎)が不意に玄関のドアを開けて飛び込んで来た。

(私が)大学に進学し、すっかり存在を忘れていた小太郎は、頭がすっかり禿げ上がり、体型こそブルース・リー仕込みの気色悪いタイツでも着込みそうに絞り込んではいたが、あらゆるパーツの下垂は否めず、確実に老け込んでいた。

それでも、その年齢を忘れさせる程のキラキラしたまなこで私を見詰めると、まるでさっき立ち話をした相手に話しかけるかのように、こう切り出した。

「陽ちゃん、俺さ、ムエタイ好きやん。でもさ、この日本でキックボクシングやら空手通っててもムエタイの様でいながら、やっぱりムエの様でムエじゃない?みたいな?…」

この時既に、私の耳には、ヤツのセリフが何一つ入って来なかった。本能的にである。

この、人の都合に構わず、他人の思考回路を乱す独特なしゃべり方。いつも私が言いたくなるのは…。

「到底是你想说什么呢?!!」(結局ワレは!何がぬかしたいんじゃ!)

と言う一言だけだった。

今まで放浪していた瘋癲風情が何を言う…。

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ふうてん[瘋癲]
精神状態がふつうでないこと・人。定職をもたず、ぶらぶらしている人。
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それでも父は、相変わらずの調子でのべつ幕く無し語り続けた。

「そんでな、俺さ、ムエタイ留学ちゅうの?タイに留学してさ、俺がいなけりゃ地域も平和!?みたいな?」

聞くところでは、この50過ぎの男は、人生のほとんどを、この繰返しで生きて来たらしい。

いつも何かを思い付いては、とりつかれた様にそれに熱中し、突然姿を眩ましてしまう。

そもそもこの男は自分の年齢の自覚が有るのだろうか。もしかしたら、どこかのジャングル奥地の部族のように、年齢と言う概念すら持たないのかも知れない。

50を過ぎてから、世界でもっとも過酷と言われる、ボクシング・・・。

更に全身の筋肉の70%を占める下半身を、頭よりも高く、鳥が飛ぶ速度よりも速く動かすと言われる足技を加えた、立ち技世界最強のムエタイに挑戦しようなどとは、常人が到底思い付くことではない。

ワクワクが抑えられない小太郎は、玄関先で私にそう言うと、躊躇(ためら)わずに、その場で嬉ションを漏らした。

「ちょっ!ちょっとなに⁉︎」


先ほどまで、小太郎を、軽蔑と、今までの恨みを当て付けるように見ていた私は、余りの哀れさに、思わず涙が出てしまった。

きっと、サイレンの様に泣くと言うのは、こうゆうことを言うのだ。

抑え隠そうとしても、目頭が破裂してしまいそうなほどに熱くなり、固く閉じた口許からは、嗚咽がもれてしまう。

溢れ出る涙。
哀れみか、情けないのか。私自身、涙の理由がわからなかった。

せき止めている唇を開放しろとばかりに、無意識に喉から声が飛び出そうとする。

「小太郎…。ううう…。パパ…。小太郎…子供みたい…」

停められない。

「パパ、寂しかった!!!」

自分でも驚いた。寂しかったと言う自覚はない。

寧ろ(むしろ)ウザ過ぎる! この男が居なくなってから、私の心はひたすら平穏だった。

(寂しかったはずがない…)

思考を打ち消そうとするが、また口から気持ちが溢れだした。

「小太郎! 気を付けるんだよ! 変な屋台でばっかり食べたらいかんよ! 道に落ちてるの拾って食べたらいかんよ! 身体に気を付けてね!うっうっうっ…」

気付けば私の顔は、鼻水まで出て、ぐちゃぐちゃだった。

お漏らしをした父と、鼻水だらけの私…。今ふたたびソーシャルディスタンスを保ちたかった。お互いの為に。

父が、そっと、大きくゴツゴツした手で、ティシューを一枚、私に差し出した。

(この手、懐かしい…)

父は、まだキラキラした目で、何事もなかったかの様に私を見つめていた。

「んじゃ!そうゆうことで!」

そして、ある日の夜、忽然と父は居なくなった。

それからしばらくして父から絵葉書が届いた。
そこには、すっかり浅黒く日焼けした面持ちの父が、腹筋がバキバキに割れた身体でハイキックを華麗に繰り出す姿の写真があった。

居間で煎餅をかじって寛(くつろ)いでいた母に見せると、一瞥一笑(チラッと見て、ちょっと笑う)、何事もなかったかのように、だまって宙を見た。

そして両ヒザに手をつくと重たい身体を起こして立ち上がり、棚の引き出しから2冊の通帳を取り出しだまって私に差し出した。

名義は私と妹の名前だ。
そこには父が、長年私たちに送り続けた養育費の数字と、振込人名に代わって書き込まれたおびただしい数のメッセージがが刻まれていた。


(ヨウチャン タンジョウビダネ オメデトウ)

(ウーチャン テストベンキョウ ガンバッタネ エライネ)

(イヨイヨ チュウガクセイダネ)

 

(コウコウニュウガクオメデトウ)

 

・・・・・・


「パパはね。あんた達のこと、いちにちだって忘れたことはないの。何よりもあんた達を優先してたわ…。不器用なんだよね」

そう言うと、母は再び煎餅を美味しそうに頬張った。

私の身体は全身がバイブレーションの様に痙攣し、痛いほど腹筋が固くなった。

そして、再び口許からはサイレンの音が鳴っていた。

あれから、はや3年以上が経ち、父はいまだムエタイ中の様である。

次は何を為出かすのだろう。

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

 

この作文以前のシリーズ前話


【私の父は筋トレ中】

 


私の父は、どうやら筋トレが趣味のようだ。

2016年の5月のある日、父は家族をリビングに集めるとこう切り出した。

「みんな。俺さ、筋トレ好きやん。でもさ、この居間にダンベルやらバーベルやら山に溜めてしまってさ、ママもイライラしとるやんか、するとママが棚の奥に隠したイカフライやら袋ラーメンやら毒劇物が取り出しにくくて何かイライラしてるってゆうの?…」

留め処なくダラダラと続きそうな詰まらない話に欠伸が出そうになりながらも、何とか押さえ込んだ。

(オドレの筋トレなんぼのもんかウチ知らんやんけ…。またけったいな話をはじめよったわい…)

「そんでな、俺さ、筋トレルームちゅうの?ソレ借りてさ、ママちゃんがゆっくり菓子喰いながらテレビ観てくつろぎ?みたいな?」

発達障害者特有の、相づちを打つに打てない妙な間の喋りにうんざりしながらも、幾ばくか内心に生まれた、家庭の平和の訪れに期待を寄せながら、皆が父のアイデアを賞賛して幕を閉じた。

「んじゃ!そうゆうことで!」

父は嬉々としてそう言い放つと、次の日の朝から早速色々な荷物を整理し始めた。

そして、ある日の夜、忽然と父は居なくなった。

週に1・2回は、何の兆しもなく唐突に我が家を訪れ、私たちに菓子やら小遣いやらを持参しては、妹と熱いハグをして、何事もなかったかの様に、再び立ち去る。

あれから、はや3年以上が経ち、父はいまだ筋トレチュウの様である。