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かいマムと申します。

 

 

現在夫婦共働きで長男きぃまる、次男ちゅけぷん、長女あーたんの3人の子供を育てています。

 

 

このブログでは妊娠中に胎児ポッター症候群と診断された次男の物語を綴っています。

 

 

 

2〜3ヶ月に一度しか子供に面会に来ない家族が来たため、コードブルー並に医師看護師が集結しました。

 

 

 

 

小さく肩を震わせて、拒絶の背中を見せているとんちゃんのお母さんに、病棟ママたちの噂話は止まりません。

 

 

前回のお話はこちら

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「かわいそうだから、もらってあげたら?」

 

 

よく、そんなことが言えるなぁ...悲しい

 

 

いや、確かに自分に優しくしてくれる人を見境なく、パパ、ママと呼ぶとんちゃんと接しているとそう言いたくなる気持ちもわかる...よ。

 

 

 

 

 

 

けど、障害児の家族になることを受け入れられない人の辛さをこの人たちは考えたことがあるのかな...いや、ないんだろうな...それとも全然平気で受け入れられる人たちなのかな。

 

 

そんなことをグルグルと思いました。

 

 

 

本家育児ブログの記事に飛びます。

 

 

 

 

 

 

アメブロでも、知的障害のお子さんをお持ちの方のブログを時々拝見しています。もうお母さんがいっぱいいっぱいで、ショートステイできる施設を2〜3個契約して、隙あらば泊まりで子供を預けていたり。

 

 

 

その状況をお父さんがよく思っていなかったり。

 

 

 

 

そういう状況もこの噂話ママたちは子育て放棄って言うのかもしれないですね。

 

 

 

 

けど、姉が小さかったときにはショートステイなんかなくて、レスパイトなんて概念もなくて、父親は家から逃げて東京で一人暮らし、煮詰まった母親がおかしくなっている中で生きていくしかなかった。

 

 

 

 

控えめに言って地獄でした。

 

 

 

 

何がって、八方塞がっていることが。

 

 

 

 

家では情緒がおかしくなるようなOEがずっと繰り広げられてるわけだし、姉は食べ物への執着がすごかったので、私の分を奪って食べるという毎日で、私はもう食べるということを放棄しかけてた。姉と外に行くと、周囲の人にずっと謝り続けていなくてはならなくて、一人で小学校にいる時には、誰にもわかってもらえない辛さで押しつぶされていた。

 

 

 

 

 

そんな中で運よくもしレスパイトやショートステイの権利があったなら使わずにはいられないだろうし、当時だって欲しかった。とんちゃんのお母さんにとってはそれが入院という形だった。

 

 

 

 

なし崩し的に障害者の母親を休める機会が落ちてきて、そこからもう一度障害者の母に戻れと言われることの辛さを誰が想像できるだろうか。愛情がないわけでもない。傷つけたり殺してしまったりするくらいなら選んで離れる方がマシなのだ。

 

 

 

 

助けて欲しい。

 

 

 

なのに周囲の目は常に自分を責めてくる。好きで障害者の母になったわけじゃない。

 

 

 

 

いや、障害者の母だからより苛烈な環境になってしまっているけど、本来的に日本の育児は常に母親が監視されて、採点されてるような息苦しさがあるんじゃないだろうか。

 

 

 

 

 

しかも、この病棟ママ、お子さんが生まれるまでは保育士さんだったそうです絶望

 

 

本家育児ブログの記事に飛びます。

(ものすっっっごい稼いでいてたっっっかい私立保育料を毎月払える人は別。うちの近所にも月18万の保育料のインターナショナル保育園がある...金さえあれば教育は思うままなのか!?思うまま、なんだろうな...)

 

 

 

 

その点私立幼稚園は東京都なら補助もつくし、私立保育園同様、園長先生の采配で人を選んでいるから、園長先生が信頼たり得るイデオロギーをお持ちなら、安心して子供を預けられる。

 

 

 

この一件があって、子供と長く過ごす人を少しでも選ばないと、と思ってしまったわけです。

 

 

とんちゃんの家族がその後退院したとんちゃんを受け入れられたのかどうか、それはわかりません。

 

 

 

長くなりましたが、とんちゃんをきっかけに思ったこと、でした。

 

 

 

おしまい。

 

 

 

 

闘病録は続く

 

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