ご訪問ありがとうございます。こちらのシリーズは三人兄弟のうち、2018年に生まれた次男ちゅけぷんの闘病録です。妊娠期には生存不能と言われているポッター症候群と診断され、奇跡的に生まれてくることができました。現在CAKUT(小児先天性腎低形成異形成)温存期の4歳です。

 

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生後1日目(帝王切開の翌日)は、病室の引っ越し、各専門医から手術に関する説明、同意書へのサイン、と慌ただしく過ぎ、最後に腎臓科の医師にこの先これ以上腎臓が良くなることはない、と告知されてしまいました。

 

 



前回のお話はこちら

 

   


そんな中でも、親としてはただ翌日に控えた腸形成術という大手術を無事にクリアし生き残って欲しい、もう生きることを二度と変更しない、という意味合いの名前をちゅけぷんにつけたのです。

 

 

 

 

 

 

たくさんの説明と告知が終わったあと、看護師さんに頼んで車椅子に乗せてもらって夫くんとNICUに行きました。24時間ちゅけぷんと一緒に居てくれるN(NICUのことを略してNと呼ぶ習慣があります。)の看護師さん達に名前が決まりました!と報告すると、すぐにベッド上部に差し込むネームタグを持ってきてくれて書かせてくれました。

 

 

 

 

 

 

ちゅけぷんは手術の後はしばらく安静のため鎮静剤が入っていて抱っこできないというので、思う存分スキンシップしました。元々母乳の出はいい方ですが、抱いた瞬間にパッと胸が張りました。親にうまく愛されなかったために、自分が親になることがあんなに怖かった私が、無条件に親であることを認識させられた瞬間です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NICUには産後一時的に不安定な要素があるので念の為一応入っているという子から、重大なケアが必要で片時も目を離せない子まで、たくさんの小さな赤ちゃんがいます。どの子も足裏に赤外線センサーや胸に心電図モニターをつけているので常にどこでもピコピコ音がしているし、いつ何時急変するかわからないので24時間煌々と灯りがついています。看護師さんも、医師たちも、みんなとても親身で優しく、手厚く赤ちゃんに接してくれています。

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも、ここは戦場です。

 

 

 

 

 

 

たくさんの赤ちゃんがその命の限りをきらめかせて戦っています。生きることを諦める子など一人もいないのです。

私にはそれが眩しくてたまりませんでした。

生まれたばかりの我が子もまた、母親から離れて一人この戦場で戦っているのです。

 

 

 

 

 

 

生きるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

必死に言い聞かせている自分がいました。

 

 

 

 

 

 

 

この時の私は知る由もないのですが、ここから退院までの1年弱の間で、この生後2日目がこの子に入ってる管が一番少ない日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

生後2日目、手術の日の朝の朝焼け。

 




ずっと景色の見えない窓しかないMFICUに管理入院していたので、雲の隙間から差し込む光の帯に、決戦の時を感じました。

 

 

 

 

続きます

 

 

 

 

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