ご訪問ありがとうございます。2019年、第三子の長女が生まれる時の妊娠記録です。現在イヤイヤ期真っ盛りの2歳のお嬢になりました。

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入院して1ヶ月が経ちました。週数でいうと11週くらいでしょうか。バレンタイン前日に救急搬送され、1ヶ月が経ったので、ホワイトデーだったのですが、夫くんにお返しいる?と聞かれても、お気持ちだけで....という他ありませんでした。

 

 

 

 

相変わらず、30分に一度の嘔吐です。食物自体、匂い、光、湿度、とにかく感覚の刺激に対して全て嘔吐、という状態が続いていました。週に一度体重測定があるのですが、1.5kgずつ減っていたので、この時点で入院時より−6kgでした。

 

 

 

 

ケトンが出続けているということは、体が飢餓状態にあり、身体の中の筋肉を分解してしまっている状態なので、手足が痩せ細り、肌も新陳代謝できないのか、下に新しい皮膚ができてるわけでもないのに、表面が剥落していっているような状態でした。

 

 

 

 

入院して最初の1週間は良くなる傾向もあり、シャワーにも毎日入っていましたが、2週間目から湯気の蒸気を嗅いだだけでシャワー室で嘔吐、他の妊産婦さんに申し訳なくて、とてもシャワーに入りたいと思えなくなってしまいました。

 

 

 

 

 

シャワー室前の廊下に設けられた洗面スペースでドライヤーをされてる方がいると、シャンプーの匂いで嘔吐するようにもなりました。毎日蒸しタオルでの体拭きをして凌いでいました。

 

 

 

 

 

血管がボロボロになってしまっていて、もう抹消点滴を入れられる血管がなくなってしまいました。

 

 

 

ちょっと気持ち悪いかもしれない手の血管の写真を載せますね、嫌な人はここからスクロールしないでください。

 

 

 

まずは長女イラストでワンクッション

 

 

 

次ね、ボロボロの血管写真です。

 

 

いきますよ。

 

 

 

 

両手ともこういう状態になってしまって、点滴をさせる血管がなくなってしまいました。タンパク質不足で皮膚の表面が剥落するので、テープを貼られた跡、皮膚がもっていかれてますね...

 

 

 

窓からの光の刺激でも嘔吐してしまうので、日中でもこんな感じの薄暗い部屋で、ひたすら吐くだけの日々。

 

頭がおかしくなりそうでした。

 

いや、なってたんじゃないかなすでに...。

 

 

 

 

唯一の救いは、1週間に一度の検診では、常に赤ちゃんは順調だったこと、です。

(母体が死にかかってるのに、ある意味すごいですよねぇ...生命力)

 

 

 

ちゅけぷんは保育園が楽しそうだ、ということでした。元々重病で生まれ、両親よりも医療関係者と過ごす時間の方が長かった子です。仕事上とはいえ自分に好意を向けてくれる人に、あっという間になつく、という処世術を持って生まれてきました。

 

 

 

週末に面会に連れてきてもらった時にはいつも私の個室より、ナースステーションに連れ去られていました。アイドルでした(笑

 

 

 

 

そんな次男ちゅけぷんのための搾乳もドクターストップが出ました。こんな形で次男のおっぱいを卒乳してしまうのは悲しかったけど、もう命の危険があるからやめて、と言われて、泣く泣くやめました。妊娠しているので子宮収縮を催す授乳はいつかはやめないといけないことだったのですが、離れて暮らしている今、やめるのか、と思うと私の方が不安になってしまいました。

 

 

 

そんな中これ以上の点滴はできない、という判断がなされました。

 

 

血管がボロボロだったのもあるし、点滴で入れられる栄養濃度はしれてるので、このままでは栄養失調で死んでしまう、手術で体の中にポートを埋め込んで、もっと高濃度の栄養を入れよう、という提案がありました。

 

 

 

続く。

 

 

 

🌀かいマムのかいまわり11月号🌀