自分がこの発声のメカニズムを体感的に把握している人が聴く判断のレベルと、単に感受性豊かではあるが、自分は出来ないレベルの判断では、圧倒的な客観性の差があります。
昨日、ダグラス・スタンレーの事に動画で言及しましたが、その弟子であったコーネリアス・リードにしても、自分が出来ていない、発声の統合された境地に至らない人の判断は、現実の現象の体感が不足している為に、どうしても、他の記述などの引用に基づく判断に成りやすいのだと思います。
日本国内でも特に声の空洞化が顕著な声楽家が、審査員などを務めている訳ですが、声の形がまるで出来ていない人を評価しているのも現状です。
それは、審査員本人が統合された声の形を知らない、理解していないから、上部の響きに惑わされているからだと思われます。
恐らく、私と同じ様な意見を持っておられる方もいらっしゃると思いますが、それらの方々は、極少数派です。
何故だかお分かりですか?
それは、声の要素を統合し、その中心点を把握し、コントロールに至るまで、長年のたゆまぬ訓練が必要であり、皆さん、そこまで到達出来ぬまま、ステージで振る舞っていたからです。
その業績とやらに、権威が絡み、その低レベルが固着する傾向になるのです!
勿論、その面々は、このジョバンニ・マルティネッリの声なども到底現実の体感的に理解出来ないでしょう。
言うは易し行うは難し!
これに尽きます!
https://youtu.be/slaqEAOS4ZI?si=YtQUa_sPfxQazXD2