モダン歌唱とオールドスクールの声の違いは、端的に言うと、声の圧縮度、密度の違いです!

勿論、モダン歌唱は息っぽく低密度であり、オールドスクールは高密度です。


個性や存在感が大きいのは、オールドスクールであり、声を構成する要素が多く、会得する事が難しいです。

それなりの才能、訓練に時間とお金が掛かります。

高密度に成ればなる程、その人物の個体差が顕になります。その人でしか味わえない個性が出てきます。


一方、モダン歌唱は、汎用的で、気息っぽく、低密度であり、没個性的であり、その人でなくても、代わりはいくらでも居るよ!と言う事でしょう。

この演奏はモダン歌唱のバスです。

https://youtu.be/d3haXjwSpnM?si=YN-JWYbNYkLc7yWX



現代は、実存主義の時代では無くポストモダニズムと言えると思われますが、歌唱スタイルも、その名の通り、絶対的な真理などを疑い、相対化する動きが顕著な気がします。

その結果、声も絶対的な存在感が薄く、気息っぽくフワフワした印象が強いです。特に日本は!


オールドスクールの歌手が、一様に声の形が統一されていたのは、普遍的な声の法則が重要となる、高エネルギーの世界であった事を裏付けると思います。


ポップスには無い、威厳やら力強さ、深さ、声そのものの魅力を売りとするクラシックの世界で、余りその構造的支柱を相対化し、汎用的になると、クラシックと言うカテゴリーそのものも曖昧なものに成りはしないでしょうか?


昨今、物事の境界を曖昧にする動きがありますが、それをさも差別の無い良いことの様に言ってますが、物事の輪郭が崩壊して行き、区別すら無くなり混乱を招く事に繋がるリスクの方が大きいと思います。


その事による、生きると言う目的も、存在すると言う意識も曖昧になり、活気の無い社会が到来するビジョンが浮かんで仕方ありません。


やはり、支配層は、一旦壊して、新しい世界を造ろうとしているのでしょうか。


これからの動向を見守るより手はありません!