既成概念に捕らわれず、現象そのものを観る力、感じ、分析する力が伴えば、成果はあがると思われるが、演繹法的な研究は、盲点が多すぎる!


要するに、物真似の才能が伴えば、成果はあがる!

文字情報のみに頼るから駄目なんだ!


外国語の発音も、日本語の五十音に置き換えて認識せず、聴いたままを如何に真似出来るか?と言う能力に掛かっているが、その能力を持つ人間は限られているのか!?


私は、出雲弁による曖昧な母音や子音の発音認識も備わっているから、比較的外国語の発音は、聞き取れたり発音出来るが、もっと抽象度の高い、声そのものの真似も、段々と出来るようになってきた。


何事も、既成概念の枠でガチガチになる事は、物事を整理する意味では重宝するが、それだけでは、現象そのものへの認識に盲点が形成される。


私のように、多少、カオスが入り込んだ頭の方が、そう言った認識に関しては有利かも知れない。


滑舌の良い日本語を話す人を私は余り信用していない。(笑)