大体の物事における観点の偏りの原因の一つに、人物崇拝があると思う。

人物を崇拝してしまうと、その背後に潜む宇宙の法則に眼が行かず、その人物が頂点と言う観点が出来上がる!

その他、国や、その歴史を崇める事も似たような現象であろう。

ベルカントの聖地はイタリアだ!

だからイタリアに行けば、ベルカントを会得出来る筈だ!


この様な観点が出来上がると、そこで習った発声の先生こそ、ベルカントの奥義を伝える聖者!と言う美化された物語が出来上がる。

神秘化や神格化こそ、畏れの感情を生み出し、冷静な判断を鈍らせる要因にも成り得る!


その思い込みや決め付けを取っ払った処に、現実があると言う事に気付こうではありませんか!


現実は、さも奥義を知っているかの様に振る舞う、いい加減な詐欺師まがいの教師だらけと言えるのでは無いでしょうか。