その場で綺麗な声に仕向けるのが、巷の指導であるが、アッポッジョ発声は、最初は詰まったような潰れたようなニュアンスを含むのが特徴である。
要するに、声の進歩の長期に渡る過程と言うものが、どのようなものであるのかすら、巷の指導では分かっていないのである。
パヴァロッティの訓練過程の記述を観ると、その様子が伺える。
最初は、顔が真っ赤に膨れ、窒息するようだったと書かれている。
そして、汚い声でまず安定し、それから徐々に美しいバランスを構築していくのである。
そのような、長期に渡る声の移行など、特に日本では端っから無いのである。
何故なら、アッポッジョを体現できていないからである。
日本の権威、知ったか振りインテリは、アッポッジョとは無関係だと思って間違い無い!