ユークリッド空間の音 -20ページ目

ロックマン9/ロックマン10/ロックマン11

2か月ほど前の誕生日に

自分にプレゼントを買いました。

 

自分にプレゼントを買うというのは

今までほぼなかったのですが

ちょっと思うところがあって。

 

買ったのは

・プレイステーション4

・ぷよぷよeスポーツ

・ロックマンクラシックスコレクション2

・ロックマン11 運命の歯車!!

です。

 

 

 

 

 

決してゲーマーやゲームマニアではないけれど

プチゲーム愛好家として魅力的な作品です。

 

特に「ロックマンクラシック~」には

自分がまだやったことのない9と10が収められていました。

 

たまには買い物を――と思い

清水の舞台から飛び降りました。

 

 

(普段は100円くらいのジュースを買うのも迷う)

 

 

 

 

PS4には

「トロフィー」

というシステム(?)があります。

ゲームに関する決められた項目をクリアしていくと

(例えば「○○分以内にクリア」とか「ノーダメージで~」とか)

トロフィーが獲得できて

記録に残るというもの。

 

決してゲーマーやゲームマニアではないけれど

今はロックマンシリーズをちまちまと進めていて

トロフィー獲得率が

「ロックマンクラシックス~」で100%、

「ロックマン11」で98%

になりました。

 

未クリアのライトシミュレーションが鬼畜。

 

 

ロックマン9、10には

独自に「チャレンジ」というシステムがあります。

ゲームに関する決められた(以下略)

 

 

決してロックマンマニアではないけれど

最近はロックマン9を進めてみて

達成率が90%を超えました。

 

あとは

・「Mr.PERFECT」(ノーダメージクリア)

・「GAMER'S DAY」(1日で5回クリア)

・「TRULY HARDCORE!」(通算30回クリア)

・「QUICK DRAW G」(ギャラクシーマンを10秒以内に倒す)

という鬼畜。

 

これらの長期戦をちまちまと進めつつ

今はロックマン10のチャレンジを

少しずつ進めていっております。

九月

チェロ独奏足踏み鳴らし涼新た

 

 

 

 

男みな変態紳士甲虫

 

 

 

 

焼酎の四日振りなる監察医

 

 

 

 

向日葵の夜も向日葵のごとく咲く

 

 

 

 

月までの階段のごと素数表

 

 

 

 

 

「記念撮影」――aurora arc――

「固まって待ったシャッター レンズの前で並んで

 とても楽しくて ずるくて あまりに眩しかった

 そして今

 想像じゃない未来に立って 相変わらず同じ怪我をしたよ

 掌の上の 動かない景色の中から 僕らが僕を見ている」

 

「記念撮影」(BUMP OF CHICKEN)

 

 

思い返してみると

自身を写真に撮ることはほとんどないです。

 

 

町や自然の景色とか

ラン(シェルティ、♂、哲学者)やクウ(シェルティ、♂、甘え)とか

自分ではないものは結構あります。

一時期はインスタントカメラ手にして

自転車で町を回ったりしていました。

 

 

自分を撮るのは

会報誌のプロフィールにいるとかで

必要になったときと

イベントなどで他の方に撮っていただいたものを

いただくときくらいかな。

 

あとはネタのためとか。

 

 → 閲覧注意

 

 

 

昨年の水害時には

一階に置いていたアルバムも浸かりました。

わたしは「浸かったのなら仕様がないか……」という思いでしたが

母は一枚一枚使えるものを確認していました。

 

わたしもランやクウを撮ったものなら

何とかして手元に残したかもしれない。

 

 

そう言えば昔に撮ったインスタントカメラの写真は

どこに行ってしまったんだろう。

「撮った」という事実は確かにあるのに

肝心なものが見つからない。

ひょっとしたら家を取り壊す際に

何かの冊子とともに運び出したのかもしれません。

そうなればそのうち出てくるかもしれませんが

一年前に保管していた家がもうないというのは事実です。

 

 

 

 

水害時に取り壊した家の跡に

新しい家が建ちました。

ランの知らない家です。

 

 

 

 

ランと過ごした家は消えてしまったよ。

 

そう思うとなぜか涙が出ました。

 

 

 

 

パソコンやスマホの画像には

昔の家の写真を写したものがあります。

いずれももう本物を見ることは叶いません。

 

でもまあ考えてみると

一年前の自分が今建っている家を見ることもなかったでしょう。

今の自分が昔の家から大切なものを運び出すことも叶わない。

たぶん時の流れってそんなものだと思う。

 

すべてのものが移り変わっていく。

ランが天に召されることも必然だったろうし

わたしがいずれ死ぬことも必然です。

時間を超えた愛を繋ぐのは記憶とその証の成せる業で

それはこの世界がずっと繋がっていることを示す証なのかもしれない。

ランが生きていたことも

洪水があったことも

新しい家が建ったことも

事実はすべて事実であり

それを認めたことによって今ある世界を認めることができる。

かつてそれらの事実があった世界にいると認めることができる。

またこの世界の続きを歩いていくことができる。
自分がいなくなったこの世界を想うことができる。


新しい家で
クウを大切にするよ。

 

 

曲は各所に時の流れを想起させる音が鏤められていると思います。

スライドする音。

ピアノ風音源のアルペジオ。

ベースがほとんど「ファソミファ」でずっと変わらない。

その曲がひとつの世界として続いていることを示しているようでもあります。

 

すごく泣いた。

 

 

「想像じゃない未来に立って 僕だけの昨日が積み重なっても

 その昨日の下の 変わらない景色の中から ここまで繋がっている

 

 迷子のままでも大丈夫 僕らはどこへでもいけると思う

 君は笑っていた 僕だってそうだった 終わる魔法の外に向けて

 

 今僕がいる未来に向けて」

八月

踊り子の耳の形やアマリリス

 

 

 

 

サルビアは濡れ衣を着せられたまま

 

 

 

 

サイダーをごきゅごきゅと飲む次男かな

 

 

 

 

トマトしか凶器にできるものがない

 

 

 

 

パラソルの無伴奏にて回される

 

 

 

 

舟歌を歌えばビールの注がれる

 

 

 

 

首だけを起こしたる犬片陰

「月虹」――aurora arc――

「僕の正しさなんか僕だけのもの

 どんな歩き方だって会いに行くよ

 胸の奥で際限なく育ち続ける

 理由ひとつだけ抱えて

 いつだって 舞台の上」

 

「月虹」(BUMP OF CHICKEN)

 

 

月も虹も空に見えるけど

月は実在して

虹は実体のないもの――。

 

本当は虹は光そのものを見ていることになるんだろうけれども

光もその実体を掴むことは難しいです。

 

水滴を通して見えた光が

七色の橋に見えるなんて

自然は素敵だと思います。

 

 

 

月や虹を見て思い出すのは

「どこまでもついてくる」

ということ。

ちっぽけな自分が多少移動したところで

月も虹もその位置を変えていません。

変えていないように見えます。

 

ビルや山の風景と比べて

あまりに存在が大きい月や光は

揺るぎないものなのかもしれません。

 

実体のない虹さえ揺るぎない。

 

そうすると、

今自分が見ている月や虹は

自分しか見えていないということになるのでしょうか。

今自分が見ている月や虹を

他の人間が見ることはできません。

 

 

誰もが違う面を見ているのに

その美しさに惹かれるのは

凄いことなんじゃないかと思います。

 

 

曲はパーカッションが力強く

舞曲風の印象を受けます。

ケルトっぽくて大好きです。

細かく上下動するメロディーラインが素敵です。

大地とオーロラ、それに月や虹が見えてきそうな曲です。

 

 

「世界が笑った様に輝いたんだよ

 透明だったハートが形に気付いたよ

 どこに行ったって どこにも行かなかった

 あなたひとりの 呼吸のせいで

 

 たった一度だけでも頷いて欲しい

 どんな歩き方だって会いに行くよ

 あっただけの命が震えていた

 理由ひとつだけ 虹を見たから

 いつだって 舞台の上」

「話がしたいよ」――aurora arc――

「この瞬間にどんな顔をしていただろう

 一体どんな言葉をいくつ見つけただろう

 ああ 君がここにいたら 君がここにいたら

 話がしたいよ」

 

「話がしたいよ」(BUMP OF CHICKEN)

 

MBTIの性格診断で

どうやら自分はINFPらしい。

I:内向型(←→外向型)

N:直感型(←→感覚型)

F:感情型(←→思考型)

P:柔軟型(←→規範型)

 

ひょっとしたらちょっとの差で

ISFPかもしれないとか

INFJかもしれないとか

そう考えたりもしましたが

INFP型の「過去に経験した嫌なことを何度も思い返す」という特徴について

もう覆し難いほど身に覚えがあり

どうもそれっぽいのです。

 

会う人会う人に迷惑をかけたり

不義理であったりして

会う人会う人になにがしかの負い目を感じています。

相手を困らせてしまった具体的な場面が何度も何度も頭をよぎります。

 

だから「友達」という言葉が使えず

「知人」という言葉も使うことを憚られたりしています。

 

自分が外の世界に這入っていく資格はないのではないかと

いつも考えています。

 

 

ただ頂いた御恩は忘れません。

感謝の念は尽きません。

 

 

 

曲は歌詞とよく合って

互いのよさを引き立てているように思います。

間奏のラストでコード進行が変わるところは

涙が出る。

 

 

 

「抗いようもなく忘れながら生きているよ

 ねぇ一体どんな言葉に僕ら出会っていたんだろう

 鼻で愛想笑い 綺麗事 夏の終わる匂い

 まだ覚えているよ

 話がしたいよ」

「アンサー」――aurora arc――

「心臓が動いている事の 吸って吐いてが続く事の

 心がずっと熱い事の 確かな理由を

 雲の向こうの銀河のように どっかで失くした切符のように

 生まれる前の歴史のように 君が持っているから」

 

「アンサー」(BUMP OF CHICKEN)

 

 

ゲーム理論による分類のひとつで

「二人零和有限確定完全情報ゲーム」

というものがあるらしいです。

 

・二人で対戦し

・一方の損得が他方の得損になり

・有限手数で終了し

・不確定要素がなく

・すべての情報がプレイヤーに公開される

 

チェスや○×ゲームなどがこれに相当し

その特徴として

「互いが最善を尽くせば先手必勝か後手必勝か引き分けかがわかる」

ことがあるとのこと。

 

将棋は「千日手」の存在のために

「有限」という条件を満たすかどうか厳密に決められていませんが

おおよそこのゲームに相当するそうです。

 

言ってみれば

機械が全力を尽くせば

先手勝ちか後手勝ちか引き分けかが

対戦する前にわかっちゃうんですね。

 

人間はそこまで考えられないし

一方が最善を尽くしても

もう一方もそうできるとは限らない。

 

ただその盤上にドラマと勝敗があることはわかっています。

対局するからには勝たなければならないことはわかっています。

もし「負けなければならない」という理由で対局に臨んだならば

それは将棋以外のところにドラマがあるということがわかっているのだと思います。

 

 

 

有名な数学の命題証明に

「素数は無限にある」

というものがあります。

 

「素数が有限であると仮定する。

 すべての素数を掛け合わせた数に1を足した数をNとする。

 Nはそれより小さいどの素数で割っても1余る。

 ゆえにNは素数である。

 これは素数が有限であることに反する。

 よって素数は無限である」

 

具体的な素数を数え上げたわけではないのに

それが無限であることがわかってしまうのは

とても不思議です。

 

 

 

 

数学の命題の中には

「与えられた正方形と同じ面積の円を作図することは不可能」

「角の三等分線を作図することは不可能」

など、

不可能なことがわかっているものがあります。

これはどんな内容になるのか想像もつきませんが

人間って凄いと思います。

 

 

「○○にはどんな意味があるのだろう」

と考えて

その答えが突拍子もないものだったり

人によって違っていたり

「答えなんてない」が答えだったり

ただいずれにせよ

「○○が存在する」

ということは厳然たる事実です。

 

たぶん○○の答えは○○なのだと思う。

 

 

 

 

 

 

曲はサビの部分の同じモチーフの繰り返しが

歌詞を引き立てているように思います。

四拍子の素直な曲調が凄く素敵です。

 

 

「それだけ わかっている

 僕だけ わかっている

 

 だからもう 離れない

 二度ともう 迷わない」

「アリア」――aurora arc――

「言葉は上手に使ったら 気持ちの側まで 近付けるけれど

 同じものにはなれない 抱えているうちに 迷子になったよ

 

 僕らはお揃いの服を着た 別々の呼吸 違う生き物」

 

 アリア(BUMP OF CHICKEN)

 

 

「aurora arc」買いました。

この曲で号泣しました。

 

アリア:①オペラなどの劇音楽や宗教声楽曲で歌われる

      器楽伴奏つきの旋律的な独唱歌。

    ②演奏会用に作曲された抒情的な小歌曲や器楽曲。

        (Weblio辞書より)

 

 

中高で吹奏楽部に這入っていました(←INFP)。

ホルンを吹いていました。

人見知りで先輩後輩とはなかなか話ができず(←INFP)

「大勢で音を合わせる」という内容に関しては

かなり苦労したと思います。

 

自分の楽器の音が少し高かったり低かったりして

それが気になって

大きな音が出せなかったりしました。

高い音も出せませんでした。

 

 

一度「剣の舞」で

中盤の主旋律を1stで吹いたことを憶えています。

最高音の成功率は5割くらい。

 

何だかんだで続けていたのは

面白かったからなのかもしれません(←INFP)。

 

 

 

世界は広いけれど

音楽というものが

おおよそ1オクターブを12分割した半音のベースで作られているのは

不思議に思います。

 

10分割とかあまり聞かない。

 

(シタールなどの半音の半分とかの例外はあり)

 

日本の伝統的な「ミファラシレミ」とかも

西洋の音階の中に収まっていたりします。

 

みんな「これが美しい」という感覚は

似ているのかもしれない。

 

 

人間がいなくなったら

音楽はなくなるのかなあと思ったりしますが

もしそうなっても

鳥は歌い続けるかもしれない。

 

 

独唱のアリアには

前奏や後奏や伴奏もある。

ひとりでは歌えない。

目の前には観客がいる。

伝えなければならない。

いつかは終わるときが来る。

だから美しいのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

曲の冒頭は教会音楽のようです。

パイプオルガン?

ここでもう「ドレシドミ」が聞こえる。

 

サビの部分で涙が出ました。

マイナーコードで始まって

コーラス部分に繋がるまでの流れが完成されている。

BUMPはコーラスを用いた名曲が多いけど

これも凄いと思った。

 

 

「笑うから 鏡のように 涙がこぼれたよ

 一度でも 心の奥が 繋がった気がしたよ

 

 冷えた手が 離れたあとも まだずっと熱い事

 見つけたら 鏡のように 見つけてくれた事

 

 あの日 君がいた あの日 君といた

 何も言えなかった 忘れたくなかった」

6~7月

ラムネ飲みぼくの形を思い出す

 

 

 

 

わたくしの形を侵しゆく水着

 

 

 

 

五月闇屋良有作の呟けり

 

 

 

 

UFOが乳牛攫う梅雨の晴

 

 

 

 

夏雲の天空都市を隠したり

 

 

 

 

分校の床みしみしと大南風

 

 

 

 

出水や今日も山本特派員

「宇宙飛行士への手紙」

今日おしごとから帰るとき

車庫入れをする際に

ちょうど「宇宙飛行士への手紙」のラストが

流れていました。

 

 

BUMP OF CHICKENの新しいアルバム

「aurora arc」がリリースされたということで

そちらの方も買いたいと思っています。

 

「踵が二つ 煉瓦の道

 雨と晴れの隙間で歌った

 匂いもカラーで思い出せる

 今が未来だった頃の事」

 

 

家とおしごと場を車で行き来する際に

町の様子が見られます。

お店が徐々に復活している反面

まだ解体・修理がされずに残っている家もあるし

撤退を余儀なくされた店の跡地がぽつんと残されたりもしています。

 

 

わたしの家のすぐ近くに幼稚園があります。

歩いて1~2分の距離。

家の屋根から見ることもできます。

昔はわたしも通っていました。

地元の同級生が通っていました。

 

今はまだ浸水の影響で

閉ざされたまま。

 

昔にそこが賑わっていたのが夢のように感じられ、

改めて「時は流れるもの」だなあと思いました。

 

 

 

「どうやったって無理なんだ

 知らない記憶を知る事は

 言葉で伝えても

 伝わったのは言葉だけ」

 

 

幼稚園生の頃には

このあたり一帯が水に浸かることなんて

当然予見できなかったと思う。

 

 

ただ少し見方を変えると

人生で起こることなんて

予見できないものだらけではある。

車に乗っていれば事故に巻き込まれるかもしれない。

よくよく考えれば

自分はいつ死んでも不思議ではない。

 

ちょっと視点がずれるけど

お給料をいただいていることだって奇跡だ。

 

 

 

「死ぬまでなんて嘘みたいな事を 本気で思うのは

 生きている君に 僕はこうして出会えたんだから

 そしていつか星になって また一人になるから

 笑い合った今はきっと 後ろから照らしてくれるから」

 

 

もし過去に行けるタイムマシンがあれば

昔の自分に会って

「○○に行って○○さんに会いなさい」

「○○に行くのは控えなさい」

とか言いたくなるかもしれない。

 

ただそれは

今までの過去を積み上げてきた自分に対する

冒瀆になるのかもしれない。

 

結局、昔の自分には

「何があっても強く優しく生きなさい」

としか言えないのかもしれない。

 

 

ああ……。

ドラゴンクエストⅤの

あのイベントのひとつの含みが

ここでやっと見えたよ。

 

いや、見えていたけど

改めて実感したよ。

 

 

 

取り壊した家での生活を思い出すことがあります。

起きたらベッドを下りて、

階段を下りて顔を洗って、

サプリを飲んで、

……

 

もう過去になっちゃったから

思い出すしかない。

 

今の世界はその過去の延長上にある。

 

過去を認めれば今の世界を認められる。

 

未来を変えられるのは今だけ。

 

「宇宙飛行士の手紙」を聴きながら車庫入れをし、

そんなことをつらつらと思いました。

 

 

「踵が四つ煉瓦の道

 明日と昨日の隙間で歌った

 全てはかけがえのないもの

 言葉でしか知らなかった事」